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2008年2月21日 (木)

近代新聞と瓦版~大江戸情報ネットワーク

 

明治五年(1872年)2月21日、日本で初めての日刊新聞『東京日日新聞(現在の毎日新聞)が創刊されました。

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それまでの、主に『瓦版』を中心にした日本の情報メディアは、江戸時代の末期、近代新聞として大きな変貌を遂げます。

安政四年(1857年)に、上海でイギリス人が発刊していた漢字新聞『六合叢談』を、幕府が翻訳し、文久の始めに出版した物が、日本初の新聞とされています。

しかし、これは、なんだかんだ言っても、外国のを丸写ししただけ・・・やがて、元治元年(1864年)の4月に、岸田吟香浜田彦造本間潜蔵の三人によって、日本人の手による最初の新聞『新聞誌』が創刊されます。

最初は、印刷の予定もなく筆写での出版だった新聞誌も、翌年には『海外新聞』と名前を改め、木版印刷となりますが、最初の固定購読者が二人という悲惨な物でした。

・・・というか、この三人・・・作るのはいいが、売る作戦をまったく考えていなかったようで、その売り方は、作者本人が横浜の街中に立っての手売りで、広報的な事も一切しなかっという事なので、はなから、そんなに多くの買い手が着くとは考え難い状況です。

しかも、この海外新聞は、半紙を半分にした10ページほどの物で、どちらかというと、小冊子のみたいな物だったようで、発行も月2~3回と不定期でした。

そして、いよいよ明治四年(1871年)に、日本初の定期刊行新聞『横浜毎日新聞』が創刊され、その翌年の明治五年(1872年)2月21日日本初の日刊新聞である『東京日日新聞』が創刊され、やっと現在の新聞のような、それらしい形となったのです。

ところで、最初にも書いたように、よく「新聞のルーツは江戸時代の瓦版」という話を耳にしますが、この二つの決定的な違いは、やはり、上記の定期刊行・・・つまり、瓦版は不定期刊行物だったという事です。

今で言うところの号外ですね。
何か、災害や事件・事故があると発行されるという物でした。

そして、瓦版という名前も、実は幕末の頃から呼ばれ始めた名前で、江戸時代の最盛期には、売り子が大きな声で記事を読み上げながら売り歩いた事で『読売(よみうり)と呼ばれていました。

錦絵などの美術的価値まで囁かれるような印刷物に対して、情報伝達に重きをおく瓦版は、実際には木版であったにも関わらず、粘土版や瓦版で印刷したような粗悪な印刷が多くあったため、いつしか瓦版と呼ばれるようになったのだそうです。

現存する最古の瓦版(←今日のところは瓦版と呼ばせていただきます)は、元和元年(1615年)5月8日に起きた大坂夏の陣での大坂城落城(5月8日参照>>)を知らせる瓦版・・・『大坂阿倍之合戦之図』『大坂卯年図』の2枚だそうです。

そんなこんなで、大坂夏の陣から始まった瓦版・・・江戸も前半の頃は、心中物好色物といった身近な話題が中心で大いに盛り上がっていましたが、例の『大江戸心中ブーム』(2月20日参照>>)によって、危機感を抱いた幕府がその前後に、心中物の発行を禁止したため、一気に人気がガタ落ちとなってしまいます。

さらに、追い討ちをかけるように、寛政二年(1790年)、あの田沼意次に代わって老中筆頭となった松平定信(10月2日参照>>)は、田沼のイメージを払拭するべく、クリーンな政治を試みたため、好色物も禁止・・・そして、そんなマジメ一辺倒、倹約一辺倒の幕府に対する政治批判も禁止となります。

Yosiwarakawarabancc 売上の下がった瓦版屋は、ニュースの中心を災害情報に切り替え、売上の回復に当たります。

瓦版屋存亡の危機がかかっているせいか、この災害情報の伝達は極めて迅速。
当時としてはかなり早かったようで、「役に立つ」と大評判となります。

しかし、天災はそうそうやって来る物でもありませんし、その合間に幕府推奨の「道徳教育記事」などを載せるたびに、売上が落ちる・・・という状況が続く中、瓦版屋・起死回生のテーマを見つけます。

それは、仇討ち物・・・この仇討ち好きは、日本人のDNAに刷り込まれた物なのか、とにかく根強い人気で、江戸時代を通じて、幕末の頃まで、その人気は衰えなかったようです。

そうして、飢饉や物価の高騰、天災・事件・事故などを伝えてきた瓦版ですが、それらの記事の内容は、おおむね幕府の公式発表に沿った内容で、根も葉もない噂的な話や、強烈な政治批判は、あまり掲載されなかったようです。

それは、幕府の厳しい統制もあったでしょうが、それよりも、瓦版屋の自らの自粛といった感じです。

なんせ、当時の江戸は世界最大の都市でしたから、不用意に大衆を不安に陥れる事のない正確な情報が要求されていたのだと思います。

「火事と喧嘩は江戸の花と言われた時代に、瓦版の最も重要な役目が、災害時に迅速かつ正確な情報を伝え、情報不足から来る不安やパニックを回避させる事にあると、おそらく江戸の人たちはすでに、気づいていた?・・・としたら、スゴイ!

さすが、世界一の大都市です。
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コメント

最初に出来たのは毎日ですか。朝日が最初かと思ったよ。

投稿: sisi | 2008年2月21日 (木) 21時23分

sisiさん、こんばんは~

私は、名前がソレっぽいので、最初は「読売」なのかと思ってましたhappy01

投稿: 茶々 | 2008年2月21日 (木) 22時16分

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