針供養の起源と針のお話
2月8日と12月8日は、年に2回の針供養の日です。
普段、裁縫などに使用している針に感謝し、折れた針を供養する行事ですが、主に関東では2月8日に、関西や北陸・九州などでは12月8日に行われる事が多いそうです。
その多くは、折れたり古くなったりした針を、豆腐やこんにゃくに刺して海に流したり、紙に包んで流したり、地中に埋めたりして供養し、その日、一日は針仕事を休み、針を休憩させるとともに、裁縫の上達を祈願します。
古代における針という物が、文献に登場するのは、あの『古事記』の中の「海幸・山幸」の神話のくだりです。
有名な神話なので、ご存知の方も多いでしょうが、一応・・・
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アマテラスオオミカミ(天照大神)の孫で、高天原からの天孫降臨で有名なニニギノミコト(日子番能邇邇芸命)が、一目惚れして結婚した(7月9日参照>>)コノハナサクヤヒメ(木花之佐久夜毘売)との間に生まれた兄弟が、兄・ホデリノミコト(火照命)と、弟・ホヲリノミコト(火遠理命)。
兄が、海の漁師をして生計を立てていたので海幸彦と呼ばれ、弟は山の猟師だったので山幸彦と呼ばれます。
ある時、山幸彦は兄に、
「俺の弓矢とアニキの釣り針を、一度、取替えっこしてみない?」
と、誘います。
「大事な商売道具だからヤダ!」
と、しぶる兄に何度も頼み込んで、交換してもらい、生まれて初めての釣りを楽しむ山幸彦。
しかし、魚はいっこうに釣れません。
それどころか、兄の大切にしている釣針をなくしてしまいました。
しぶしぶ兄になくした事を話しますが、当然の事ながら、兄は「返してくれ」と、食い下がります。
なんせ、それで生計を立ててますから・・・。
しかたなく、持っていた十拳剣(とつかのつるぎ)をつぶして、500の針を作って、
「これで許してチョンマゲ」と、お願いしますが、兄は、
「あの針でなきゃ、ヤダ!」と、スネまくり。
途方にくれた山幸彦が、針をなくした海岸で思い悩んでいると、そこに現れたのは、潮路を司るシオツチノカミ(塩椎神)。
「ニィチャン、どないしたんや?沈んだ顔してからに・・・」
「これ、これ、こういうワケで・・・」
と、説明すると、その神は、一つの籠を取り出して小舟を造り、「ニィチャン、これに乗って行き。
ほんで、しばらく行ったら海の神の宮殿があるさかいに、そしたら、海の神の娘が何とかしてくれるやろ」
シオツチノカミの言う通りに、小舟に乗って宮殿に向かった山幸彦・・・迎えてくれたのは、海の神であるワタツミ(綿津見)の娘・トヨタマヒメ(豊玉毘売)。
そして、宮殿では、彼をすんなり受け入れ、いきなりの飲めや歌えの大宴会、タイやヒラメの舞い踊りの連続です。
あっという間に三年の月日が流れ、だんだんと毎日の宴会にも飽きてきて、わが家が恋しくなってきた頃、山幸彦の最近のテンションの低さに気づいたトヨタマヒメが父に相談し、やっとこさ、なくした針の話をします。
「あ・・・それやったら、こないだタイが、のどに何や刺さって物が食い難いって言うとったさかいに、それとちゃいまっか?」
と、実にあっさりと針はっけ~ん!
すると父は、針を返す時に「游煩鉤(おぼち・ネクラ針)、須須鉤(すすじ・イラチ針)、貧鉤(まじち・貧乏針)、宇流鉤(うるじ・アホ針)」と、呪文を唱えて後ろ向きに渡し、その後は、常に兄のする事と反対の事をやっていれば、兄は、絶対に不幸になって、山幸彦は幸せになると教えてくれました。
そして、もし兄が弟をうらやましがって攻めて来た時のため、海の満ち干きを自在に操れる塩盈珠(しおみつたま)と塩乾珠(しおひるたま)という宝物までもらって、一路帰宅します。
当然、その後は、ワタツミの言った通りになって、結局、兄は、山幸彦の家来となるのです。
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・・・と、この物語は釣り針ではありますが、古代には、鉄の針というのが、ものすごく貴重な物だった事がわかります。
このように、当時、鉄の針は、ごく一部の上流階級の人のみが使用していて、一般には、竹や木、獣の骨や魚の骨で作られた針を使用していたそうです。
そのように貴重だった針の大量生産が始まるのは、やはり、現在の着物の基礎ができあがった室町時代の頃から・・・。
最初は、京都の姉小路で・・・後に御簀(みす)屋で作られるようになったので『みすや針』と呼ばれました。
一方、同時期に別ルートで中国から伝わった手法を使って、長崎でも針が製造されていました。
そんな針の、針供養が行われるようになるのは、江戸時代頃からです。
針供養で有名な淡島神社・・・全国各地にある淡島神社の本家本元は、和歌山県にある加太神社だそうですが、もともと、婦人病や安産など、とかく女性の病気にご利益があるとされていた淡島明神への信仰が江戸時代に大流行したのです。
そのきっかけは、物売りを兼ねた淡島願人(がんじん)と呼ばれた放浪のお坊さんたちが、家々に門付けする際に唄っていた祭文(歌の形をした語り物)の歌詞にあるようです。
それは、アマテラスオオミカミの第6番目の姫が16歳の春に女性特有の病気にかかった時、巻物と神楽を小舟に乗せて堺の浜から流したところ、あくる日に淡島に流れ着いたので、巻物を取り出し、ひな形を作った・・・これが雛遊びの始まりで・・・という内容の後に・・・
♪・・・丑寅の御方は針さしそまつにせぬ供養・・・紀州なぎさの郡加太淡島大明神、身体賢固の願、折針をやる・・・♪
と、続くのです。
このような、淡島願人たちの歌によって、その信仰が広がっていったようです。
淡島神社は、雛流しでも有名ですからね。
ですから、針供養というのは、供養という名前がついてはいますが、仏事でも神事でもないのです。
最近では、裁縫の専門学校などでも、針供養が行われたりしますが、それこそ、本来の姿・・・針に感謝する気持ちがあれば、それでいい・・・というのが針供養だという事なのでしょう。
「針供養 宗旨も知れず 寺もなし」
古い川柳にも、こう読まれています。
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コメント
糸こんにゃくに古針に刺すのは初耳ですね。
さまざまな供養の仕方もありますね。大事にしないとね。
私は、和気清麻呂のネーちゃんと称徳天皇を描いたのだ。
投稿: sisi | 2008年2月 8日 (金) 19時44分
水着で入浴とは、外国のジャグジーっぽい感じですね。
投稿: indoor-mama | 2008年2月 8日 (金) 21時57分