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2008年3月18日 (火)

宇都宮釣天井の仕掛け人・亀姫のド根性

 

永禄三年(1560年)3月18日、徳川家康長女・亀姫(後の加納御前・盛徳院)が誕生しました。

・・・・・・・・・・

とかく戦国の姫君というのは、自らの意思とは関係なく、同盟や駆け引きのための道具として政略結婚の果てに、非業の死を遂げたり、寂しい晩年を送る事が多い・・・。

先日書かせていただいたばかりの、おつやの方(3月2日参照>>)は、「城と民を守るか」「同盟を重んじるか」のはざまで揺れ、最後には、甥・織田信長の手で悲しい最期を迎えます。

そんな信長が大事にしていたお市の方(4月24日参照>>)でさえ、戦国の波に翻弄される事となります。

そんな中で、この徳川家康の長女・亀姫は、独特な生き方をした女性・・・それは、ひとえに彼女の負けん気の強さ、したたかさ、執念深さ、そしてド根性のなせるワザ!

彼女が生まれたこの永禄三年(1560年)3月18日とは、そう、桶狭間の戦い(5月19日参照>>)の2ヶ月前・・・彼女はわずか生後2ヶ月にして、歴史の渦中に飲み込まれる事になります。

もちろん、彼女のお母さんは、この時、桶狭間に散った今川義元の姪・瀬名姫(後の築山殿)です。

奇しくも、義元の死によって人質生活から開放された父・家康(元康)でしたが、今川衰退の後、駿河(静岡県東部)に手を伸ばした武田信玄と、一旦は同盟を結んでいたものの、やがて起こった三方ヶ原の戦い(12月22日参照>>)では手痛い敗北を喰らってしまいました。

やがて、成長した亀姫に縁談の話が舞い込んできます。

三河北部に位置する長篠城主奥平貞能(おくだいらさだよし)の嫡男・貞昌・・・。

長篠は、その頃、武田の傘下にありましたが、家康としては是非とも手に入れておきたい守りの要所です。

当時の家康は、まだまだ三河(愛知県東部)の田舎大名でしたが、奥平は、さらにその下の土豪に毛の生えたような身分・・・完全に格下の家に長女を嫁に出すとは、いかに、家康が、長篠を手に入れたかったかがわかります。

逆に、奥平からすると、願ってもない良縁・・・一も二もなく、この縁談を承諾する貞能でしたが、それは、イコール武田から徳川に寝返るという事になります。

当然の事ながら、武田がこの事態を見過ごすわけがなく、亡き信玄の後を継いだ武田勝頼が、大軍を率いて長篠城を包囲します。

もう後へは退けぬ奥平も、天下の武田の騎馬隊相手に、自分たちだけでは、到底、防ぎようもありませんから、早速、貞能は、家康に救援を要請(5月16日参照>>)・・・さらに、桶狭間以来、全国ネットに躍り出た頼れる信長も救援に駆けつけ、あの長篠の合戦(5月21日参照>>)が勃発するのです。

家康と信長が到着するまでの間、未だ若き21歳の貞昌は、勝頼の攻撃に耐えに耐え、見事、長篠城を守り抜きます。

ご存知のように、長篠の合戦は、織田・徳川連合軍の勝利に終るのですが、これには、武田方からの再三の開城要求に応じなかった貞昌の力に負うところも多く、信長は大いに喜び、貞昌に自分の一字を取って信昌という名前を与え、彼は、美濃加納10万石の大名へと大出世を果たします。

貞昌改め信昌の妻となった亀姫は、その後、加納御前と呼ばれるようになります。

しかし、彼女の試練はこの4年後・天正七年(1579年)にやってきます。

そう、謀反の疑いをかけられた兄・信康と、母・築山殿が、父・家康の手によって死に追いやられる(8月29日参照>>)という悲劇が起こってしまうのです。

戦国の世とは言え、亀姫の心情はいかばかりであったでしょうか・・・と、これなら、戦国女性の典型である政略結婚させられた他の姫君と同じやん!っと思ってしまいますが、ここからが、彼女の他の姫君とは少し違うところです。

ここで、悲しみに打ちひしがれ、ヨヨ・・と泣き崩れるような女であったなら、おそらくは多くの名も無き戦国女性の中に埋もれていた事でしょうが・・・そうはならなかった・・・

きっと彼女は、この試練によって、一段と強くなったに違いないのです。

「世は戦国・・・だからこそ、自分を守れるのは自分だけ。
何としてでも勝ち抜いてみせる」
と心に誓った・・・亀姫はそんな女性だったのです。

彼女の本領は、徳川の世となって発揮されます。

元和元年(1615年)、夫・信昌の死とともに、彼女は、すでに独立して、宇都宮10万石の城主となっていた息子・家昌のもとに身を寄せます。

しかし、その家昌が若くして亡くなってしまい、その息子・・・亀姫にとっては孫に当たる奥平忠昌が、わずか7歳で家督を継ぐ事になり、かわいい孫を盛りたてるおばあちゃんとしては大いに腕の見せどころとなったのですが、なにぶん当時の宇都宮は、徳川にとっては東北の玄関口となる重要な場所。

2代将軍となった異母弟の徳川秀忠から「やはり幼い領主では・・・」との提言があり、結局、江戸に近い古河へのお引越しとなります。

もちろん、それは亀姫も理解していました。

宇都宮が要所なのもわかっていましたし、お引越しに際しては、1万石の加増もされ、納得して引越し準備に当たっていたのです。

ところが、そんな彼女のもとに、とんでもないニュースが飛び込んできます。

「宇都宮城の後任に入ってくるのは、亡き家康に寵愛された本多正純で、しかも15万石に加増されての宇都宮入りである」と言うのです。

実は、彼女の娘の嫁ぎ先であった大久保忠常の父・忠燐(ただちか)が、少し前に不可解な改易を言渡され、娘が寂しい思いをしていたのですが、その一件には、大久保家のライバルだった本多正信正純親子が、関与しているとのもっぱらのウワサだったのです。

「そんな、うっとうしいヤツが、しかも15万石の加増で、後任に入るなんて!」

はらわたが煮えくり返る思いの彼女は、宇都宮城の植木や畳、建具のいっさいがっさいを持って引越しを決行します。

奥さん怒ってます!

家出した奥さんが、家具のいっさいがっさいを持って行き、夫が帰宅した家には、電話だけがポツンと・・・そんな光景が目に浮かびます~。

しかし、さすがにこの時は国境で見つかり、返すように要求され、一応、もとに戻しました。

なんせ、国替えの場合、一般的には私物以外は、すべて、そのまま後任に引き継ぐのがルール(総理官邸orホワイトハウスみたいな物ですから)でしたから、将軍の姉とは言えど、そのルールには従わざるを得なかったのでしょう。

しかし、彼女の怒りが収まったわけではありません。

いや、むしろ収まるどころか、さらに燃え上がる事に・・・なんせ、ルールを盾に、将軍の姉が家臣に注意される格好になったワケですから・・・

ほんに、オバハンの怨みは恐ろしい。
その後、彼女はず~っと、その仕返しのチャンスを待っていたのです。

そして、ある時、将軍・秀忠が日光東照宮に参拝する事になるのですが、この将軍の東照宮参拝のおりには、将軍は岩槻古河宇都宮に泊まるしきたりになっていました。

城主としては、腕の見せどころ・・・「ここは、一つ警備に念を入れ、しっかりと城兵を管理して将軍様の味方として心強いところを見ていただかねば・・・」

と、正純は城を修復し、鉄砲を準備し・・・と、イロイロやりはじめます。

本来なら、こういった事は先に幕府に届け出るべきところなのですが、正純としては、「おぉ・・・スゴイ!」と、秀忠にびっくりしてもらいたいという思いがあったのと、本多家は父の代からの側近中の側近だし・・・という、おごりとも言える甘い考えが相まって、彼は、幕府に無許可のまま準備を整えるのです。

常にチャンスをうかがい、日頃から相手の情勢を探るスパイを派遣していた亀姫には、彼らの行動はお見通し。
「キターーーーー(・∀・)ーーッ!」
と、ばかりに、行動を開始します。

参拝を終えて帰る秀忠に、そっと密使を遣わし
「宇都宮は、無届けで鉄砲などを買いそろえ、城を修復し、仕掛けを講じて、何やらたくらんでいるかも・・・危ないから行かないほうが良いんじゃない?」

この報告を聞いた秀忠は、急遽、予定を変更し、宇都宮へは寄らずに江戸に帰ります。

そして、当然、この一件について、後日、真実かどうか正純への詰問が行われます。

もともと、よかれと思っての様々な準備ですから、正純は否定する事なく、城の修復や鉄砲の買い入れを認め「将軍様の御ために・・・」と弁明しますが、それこそ「ルールはルール」です。

城の公共物を持ち逃げしたのとは、ワケが違います。

取りようによっては、謀反とも取れる無届の改修工事と武器調達・・・必死の弁明は一蹴され、正純は失脚する事となってしまいました。

これが、有名な『宇都宮・日光釣天井事件』です。

もちろん、これには、幕府内の権力争いも絡んではいたんでしょうが、ひょっとしたら亀姫は、そんな権力争いも計算に入れていたのかも知れません。

やがて、成長した忠昌とともに、5千石の加増を受けて、実際には釣天井など存在しなかったであろう宇都宮城に、見事、返り咲く亀姫・・・

釣天井は、将軍の頭の上ではなく、本多正純の上に仕掛けられていた・・・まさに、亀姫こそが釣天井。

戦国の女のド根性を見せて、見事、思いっきり落としてやりましたね!亀姫さん!
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