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2008年3月 6日 (木)

幕府公認の借金踏み倒し!永仁の徳政令

 

永仁七年(1297年)3月6日、鎌倉幕府が日本初の徳政令となる『永仁の徳政令』を発布しました。

・・・・・・・・・

徳政令というのは、一言で言うと『借金をチャラにする法令』・・・つまり、「借りた物を返さなくても良い」という事なのです。

こんな、ムチャクチャな法令を、御家人の救済だとかなんとか言いながら、よくもまぁ、出してくれたモンです。

この日本初の永仁の徳政令・・・いくつかの条かあったようですが、現在のところ3条のみが確認できます。

  1. 越訴(おっそ)を禁止する
    越訴とは、裁判で負けた人がもう一度訴える事・・・条文では、「一旦、負けたくせにしょーもない事でまた訴えんな!そんなんするから、裁判ばっかり増えんねん」的なニュアンスの事が書かれてます。
  2. 所領の質流れと売買を禁止する
    以前に買った物は、すみやかにもとの持ち主に返すべき・・・なんて言っておきながら、「御家人は、幕府の許しがある物と20年を経過してる物は返さなくて良い」のだそうです←自己中にもほどがある!
  3. 金銭貸借の訴訟はしない
    つまり、「こんなん困りますわ~」って庶民が訴えても聞いてもらえないって事ですね。

この徳政令発布の16年前と23年前の二度に渡ってやってきたフビライ蒙古襲来10月19日:文永の役>>6月6日:弘安の役>>))・・・たくさんの兵を出して日本を守った御家人に対して、幕府は充分な恩賞を与える事ができませんでした。

なんせ、相手は外国ですから、その敵地を占領して恩賞にする事ができませんので・・・。

その後、御家人たちの生活はどんどん苦しくなり、結局は所領を担保に借金地獄に陥るハメになってしまいます。

その救済のための徳政令です。

先ほどの条文の2番は特にヒドイですが、1番・3番も訴えられてる側がほとんど御家人ですから、完全に御家人だけが得するようにできてる令という事になります。

だいたい、この令を出してるのが、御家人の親玉の幕府ですからたまったもんじゃないですね。

しかも、一時的な救済にはなったものの、御家人の貧乏が解消されたわけではありませんので、根本的には何の救いにもなりませんでした。

・・・で、わずか一年後に、訴えを聞いてもらえないとなると、誰も御家人にお金を貸してくれないので1番は廃止され、御家人は借金しないとやっていけませんし、借金するには質札がいるのは当然の事なので2番も廃止・・・という事になってしまいました。

ここに始まった徳政令は、やがて年月を経て室町の頃になると、土一揆のスローガンとして、惣村の農民たちが一致団結して徳政を要求するという形に変わっていきます(9月18日:正長の土一揆参照>>)が、それも、戦国時代の後半以降、諸大名による守護の体制が整ってくる事によって、徳政令が出される事は、ほとんど無くなりました。

逆に、一揆は徳政を要求する手段ではなく、自治や独立を手にする手段として、山城の国一揆(12月11日参照>>)加賀の一向一揆(6月9日参照>>)のような形へと発展していくのです。

そんな、徳政令に関して、おもしろいエピソードを一つ・・・。

京都三条で宿屋を経営する主人が、ある日、「今日か明日にでも徳政令が出る」という噂を耳にします。

「よ~し、これは良い事を聞いたゾ!」
と、その主人は、宿に戻るなり早速、泊まっている客から、「用心のため大事な物をお預かりしますよ」と、金目の物を預かりまくります。

当時の宿と言えば、基本、相部屋ですから、無用心と言えば、かなり無用心・・・何も知らない客は、「これは、親切なご主人さん」とばかりに、快く預けます。

かくして、2~3日後、いきなりの徳政令の発布と相成りますと、その主人は、客たちの前で高らかに・・・

「さぁ、さぁ、徳政令が出ましたでぇ~。
これは、将軍様が天下の平等を考えてお出しになる御命令どす。
借りた物は、借りた者のモンになるっちゅー事で、皆さんからお預かりした品々は、皆、ワタシの物となりましたよって、どうも・・・」

客たちは、「しまった!」と思ったものの後の祭り・・・徳政令とあらば、もうどうしようもできません。

ところが、その場にいた客の一人がススス~ッと立ち上がり・・・
「そうかい、そうかい、将軍様のご命令とあっちゃ、こっちは聞くしかねぇよな。
でもよ、俺たちもアンタからこの宿を借りたんだから・・・って事は、この宿は、もう、俺たちの物って事だよな」

ハタと気が付いて、慌てふためく宿の主人・・・早速、お上に訴えますが、当然、聞き入れてもらえるわけもなく、欲を出した主人は宿を明け渡すしかなくなったという事です。

そりゃ、こんな法令、度々出されちゃぁ、人々も混乱しますわな。

ところが、一旦、戦国の世に消えたにも関わらず、江戸時代には、またまた、大名や旗本が借りたお金をチャラにする『棄損令(きえんれい)なんてのを、出したりなんかして、もう、いい加減にして!って感じですね。

でも、未だに、お上にはウヤムヤにされちゃってる気が・・・
一連の年金問題で「これは、泥棒ですからね!」っと大臣が高らに叫んでたけど・・・ちゃんと、解決してくださいよ~平成の政治家さん。
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