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2008年4月14日 (月)

後陽成天皇と豊臣秀吉in聚楽第

 

天正十六年(1588年)4月14日、豊臣秀吉聚楽第に後陽成天皇を迎えました。

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後陽成(ごようぜい)天皇は、一昨日書かせていただいた第108代・後水尾(ごみずのお)天皇のお父さんにあたる第107代の天皇です。

戦国乱世という時代・・・お金も権威も、もはや風前のともし火だった天皇家。

その戦国も後半に入って、群雄割拠していた戦国大名たちの中から頭角を現して、ほぼ天下を手中に治めた感のある三人・・・ご存知、織田信長豊臣秀吉徳川家康

この三人の登場によって、権威と地位はあるがお金と力が無い天皇家と、お金と力はあるが権威と地位が無い戦国武将との利害関係が一致し、武将たちの献金よって、天皇家が潤う・・・という、天皇と天下人の関係が親密になってくるのです。

少しずつズレはあるものの、おおむねこの三人と時代を同じくしていた天皇も三人・・・。

第106代・正親町天皇と信長(10月27日参照>>)
第107代・後陽成天皇と秀吉。
第108代・後水尾天皇と家康+秀忠。

一昨日書かせていただいた通り、後水尾天皇と徳川家は、3代将軍家光の代になって修復されるものの、何やらギクシャク間の残るギブ&テイクの関係・・・(4月12日参照>>)

正親町(おおぎまち)天皇と信長は、先日の【信長の「上京焼き討ち」の謎】(4月4日参照>>)で書かせていただいたように、平静を装いながらも、お互いを探り合いながら一触即発を匂わせるような関係だったように思います。

そんな中、後陽成天皇と秀吉の関係は、最も安定した関係であったようです。

正親町天皇の息子・誠仁(さねひと)親王が、皇位を継ぐ前に亡くなってしまったため、その第一皇子・・・つまり正親町天皇の孫にあたるのが後陽成天皇。

天皇が即位したのは、羽柴秀吉太政大臣になって豊臣の姓を賜ったのと同じ年・天正十四年(1586年)です(12月19日参照>>)

その時のページでも書かせていただいたように、とにかく秀吉は、自分の身分の低さに大きなコンプレックスを感じていたので、貴種・源平藤橘(げんぺいとうきつ)と同等の「豊臣」という姓を与えてくれた天皇に感謝し、大いに尊重していたのです。

天正十八年(1590年)3月の『小田原征伐開始』(3月29日参照>>)の時などは、天皇はわざわざお出ましになり、秀吉の出陣の行列のお見送りをなさったと言います。

その姿に気づいた秀吉は、馬から下り、天皇のもとへ歩み寄って・・・
「少し、お暇を頂戴いたします」
と挨拶し、その後、御所にて盃を交わして出陣したという事ですから、この二人の関係がいかに良かったかがわかります。

信長が、天にそびえる安土城の天守閣から、見下ろす形になる場所に天皇を向かえる建物を建築したのに比べれば、おそらく、今回・天正十六年(1588年)4月14日秀吉の聚楽第(じゅらくだい)への御幸は、天皇にとっても気分の良いものだったのではないでしょうか?

聚楽第は、平安時代の頃に内裏があった場所に、秀吉が建てた豪華絢爛な建物で、天皇を迎えたこの時の宴は5日間に渡って行われました。

その後も、秀吉は、天正少年使節との会見(6月20日参照>>)など、重要な会見をここ聚楽第で行っています。

Zyurakudaitizucc 「第」とは「邸」という意味ですが、聚楽第はお屋敷というよりは、本丸や二の丸を持つ城の様相を呈しており、京都の町をすっぽりと包む『御土居(おどい)と呼ばれる堀が造られていました。

「攻めるに易く、守るに難し」
と言われた京の都を、秀吉は城塞都市へと造りあげるつもりだったのでしょうか?

しかし、その後、関白職を譲った甥・秀次を聚楽第に住まわせ、秀吉自身は伏見城に移った事で、この聚楽第の運命は大きく変わります。

そう、秀次が謀反の罪により切腹させられてしまうのです(7月15日参照>>)

すると、秀吉は、その秀次の記憶を消し去るかのように、豪華な聚楽第をも、跡形もなく潰してしまうのです。

そのおかげで、残念ながら、現在の聚楽第の跡という物は、先ほどの御土居の跡などが少し確認できる程度で、その遺構はほとんど残っていません。

金箔の瓦で覆われていたという聚楽第・・・一度見てみたかったですね。

結局、天皇と戦国武将の関係も、秀吉が亡くなった後に天下を取った家康の、例の『禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)のおかげで、何やら不穏な関係に逆戻りしてしまうのです。
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