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2008年4月 8日 (火)

公方から関東を守れ!太田道灌・江戸城を築城

 

長禄元年(1457年)4月8日、太田道灌江戸城を築きました

・・・・・・・・・・・

まずは、太田道灌(どうかん)江戸城を築いた理由から・・・

以前から、度々登場している室町幕府と鎌倉公方の対立・・・関東に拠点を持つ武家でありながら京都・室町で幕府を開く事になってしまった足利氏は、本拠地の関東を支配する役職として鎌倉公方と、その補佐役の関東管領を置きました。

Asikagakuboukeizu3 足利将軍家&公方の系図
(クリックで大きくなります)

以来、足利氏の長男の血筋が将軍職を、次男の血筋が鎌倉公方を、代々受け継いでいくわけですが、その鎌倉公方が、幕府を無視し、関東を独立国家のように運営しはじめた事から対立が生まれます。

将軍が第6代・足利義教(よしのり)(6月24日参照>>)、公方が第4代・足利持氏(もちうじ)の代になってピークを迎えたその抗争は『永享の乱』(2月10日参照>>)と呼ばれ、戦いは持氏の敗死によって決着が着けられたかに見えました。

しかし、持氏の遺児・足利成氏が、古河(こが)公方を勝手に名乗り(古河を本拠地にしていたので)、公方奪回を目指し関東各地で乱を起こします

特にターゲットにされたのは、当時、関東管領職にあった扇谷(おうぎがやつ)上杉家です。

古河公方は幕府非公認の勝手な公方・・・対する上杉家は、幕府から正式に任命されている役職ですから、当然と言えば当然です。

・・・で、当時の上杉家の当主・上杉定正執事を務めていたのが太田道灌です。

つまり、道灌は成氏から関東を守るため、江戸城を築いたのです・・・その時、道灌・27歳。

もともと平安時代の末期に、この地を治めていた江戸氏の、館のような小さい建物が建っていた場所に築城したという事ですが、それとは別に、おもしろいエピソードも残っています。

道灌が築城にふさわしい場所を求めて、品川沖を船で航行中、船の中に“コノシロ”という魚が飛び込んできます。

「これは、ラッキーアイテム・ゲット!」
とばかりに、すぐに近くの岸に船を着け、そばにいた漁民に・・・
「このあたりの村は何という村かいな?」
とたずねると・・・
「ここは、千代田宝田祝いの里でございます」

「メッチャ縁起えぇ名前・・・ステキやん!」
と、即座に、この地に築城する事に決定したのだとか・・・。

諸葛孔明の再来築城の名人とうたわれた道灌のことですから、さぞかしすばらしい江戸城を構築した事でしょうが、残念ながら現在は、その影を見る事はできません。

道灌の死後、扇谷上杉氏の物となった江戸城は、その後、関東を支配した後北条氏の物となります。

しかし、ご存知のように北条の本拠地はあの屈指の名城・小田原城・・・そんな北条氏にとっては、江戸城は単なる支城の一つに過ぎず、あまり重視していなかったようです。

北条の物であった時代の江戸城は、わずかな城番が見張りをするだけのお城で、整備も修理もまともに行われず、かなりボロボロの状態になってしまっていました。

そんな江戸城が歴史の表舞台に登場するのは・・・そう、豊臣秀吉が北条を倒し(7月5日参照>>)、その秀吉の命を受け、この江戸城を徳川家康が居城とした時からです。

その時、初めて江戸城に入城した家康は、もはや惨たんたる姿の江戸城を目の当たりにするのです。

低い土塁が取り囲むだけで堀もなく、海辺へ出入りする木戸が数ヶ所あるだけでがっしりとした門もなく、主要の建物は枌板(そぎいた・松などの板をうすく削った物)葺きで、台所は(かや)葺きに全面が土間・・・さらに、玄関は船板が3枚敷いてあるだけ

しかし、家康は天下を取って、この江戸で幕府を開きます。

入城以来、30年の年月を費やして、生まれ変わった徳川の江戸城・・・ご存知のように、それは、道灌もびっくりの世界最大の大城郭となるのです。
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南北朝・室町時代」カテゴリの記事

コメント

はじめまして!
いつも楽しみに拝見しております。
太田道灌のコノシロのエピソードを読んで、思わずコメントいたしました。
私が生まれ育った近所には(川崎市)、小さな山がありまして、そこは『道灌がはじめ、江戸城を築城しようとした場所であった』という言い伝えが残っております。
が、道灌自身がその地に逗留した際、鷹が兜を加えて飛んで行ってしまった夢を見たことから、『武家にとって、兜を失う夢とは縁起が悪い』と。
その地を諦めたのだとか。
そして、その山は夢のエピソードにちなんで『夢見ヶ崎』と名付けられ、今は小さな動物公園があります。
兜のエピソードを歌った『夢見ヶ崎音頭』なるものもあるんですよ(笑)
道灌さんは興味深いエピソードの多い人なのですね。

初コメントなのに長々と失礼しました。

投稿: erima | 2008年4月 8日 (火) 06時35分

はじめまして!
erima様、コメントありがとうございます~

夢のエピソード・・・そんなエピソードも残っているんですね~知りませんでした~

確かに道灌は、占いにも精通していて軍師のような役割もはたしていたといいますから、“道灌の夢”は、色々な事に影響力を持っていたかも知れませんね。

『夢見ヶ崎』・・・いい名前です~

有名な“やまぶき”のお話といい、確かに道灌さんはエピソードの多い人ですね~

投稿: 茶々 | 2008年4月 8日 (火) 16時01分

ども。
元:石保志 彰にございます^^
名前変更をしましたので、挨拶に来ました☆
入学式の日に名前を変えたかったので+.゚(*´∀`)b゚+.゚

短文な上に用件だけで申し訳ありません^^;

では、更新頑張ってくださいね!!

投稿: 宗兼 彩 | 2008年4月 9日 (水) 00時03分

石保志彰さん改め、宗兼彩さま・・・

今日が入学式なのですか?
おめでとうございます。

希望あふれる春・・・
新たなスタートに、日々お忙しいでしょうが、また、遊びにきてくださいね。

投稿: 茶々 | 2008年4月 9日 (水) 01時11分

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