« 聖徳太子のどこが怪しいのか? | トップページ | 戦国最後の天皇~後水尾天皇・徳川相手に王の意地 »

2008年4月11日 (金)

江戸城無血開城・最後まで残ったのは今年話題のアノ人

 

慶応四年(1868年)4月11日、幕末・維新の中でも屈指の出来事・・・『江戸城無血開城』がありました。

・・・・・・・・・

クーデター・政権交代・国家転覆・・・このような状況にの中で、最も重要な本拠地を平和裏に無血で明け渡す・・・『江戸城無血開城』は、歴史上まれに見る出来事です。

この快挙を成し遂げたのは、官軍による江戸・総攻撃の直前の3月13日と14日に行われた勝海舟西郷隆盛の会見(3月14日参照>>)・・・二人の話し合いがあったからこその戦争回避だったわけですが、そんな事は、すでに皆さんご存知の事と思います。

しかし、近年、もう一人、第三の人物が重要な役目を果たしていたのではないか?と、俄然注目を浴びつつあります。

それが、2008年の大河ドラマ主役天璋院・篤姫です。

・・・・・・

慶応四年(1868年)の1月に勃発した鳥羽伏見の戦い(1月3日参照>>)で、錦の御旗を掲げて官軍となり、勝利した薩長軍が東へ東へと進む中、2月12日には、第15代将軍・徳川慶喜江戸城を出て、上野寛永寺に入ります。

なおも、江戸城に残ったのは、篤姫をはじめとする女性陣・・・江戸城の退去を拒否して、かんばり続けるのです。

そして・・・・
 

「慶喜さん本人に関しては、どのように罰せられても仕方のない事だと思っています。;

しかし、徳川家は大切な家柄・・・どうか、このお家は守っていただけるように、御所の方にお願いしていただけませんか?;

徳川に嫁いだ限りは、私も徳川の人間として生きる覚悟はできていますから、徳川家にもしもの事があれば、亡き夫(徳川家定)に面目が立たないと、寝食を忘れて悲しんでいます。

どうかわかって下さい。

徳川家を救ってくださる事は、私の命を救ってくださる事よりうれしい事です。

今のご時世と人物の器を考えて、あなたの他に頼める人もいないし、それ以外の方法も見つかりません。

ご迷惑だと思いますが、どうか、可哀そうだと思って救ってください」

これは、近年見つかった篤姫が西郷隆盛に送った手紙・・・ホンモノは1300字に及ぶ長い物で、上記の内容は、あくまで抜粋で、しかも、個人的解釈も入っているのですが・・・

ドラマでご存知のように、篤姫は、薩摩の島津家から第13代将軍・徳川家定に嫁いだ人・・・薩摩藩士の西郷隆盛は、身分の低い自分を取り立ててくれた藩主・島津斉彬多大な恩を感じていましたし、篤姫はその斉彬の養女です。

この手紙が西郷隆盛に届けられたのは、3月の半ば頃と考えられていますので、勝海舟との会見での西郷さんの判断に、グッドタイミングで影響を与えている可能性もあるかも知れません。

やがて、4月に入ったある日、勝海舟は篤姫を説得するため江戸城にやってきます。

海舟が通された広い座敷に、居並ぶ女中たち・・・なかなか篤姫は現れません。

すると、一人の女中が前へ出て、海舟の前に座りました。
女中のなかに紛れ込んで身を隠していた・・・それが、篤姫だったのです。

海舟は、江戸城明け渡しの理由を包み隠さず話し、3日間に渡って篤姫を説得しました。

「強情だけど、最後にはちゃんと理解してくれた」・・・これが、その時の海舟の篤姫に対する印象だったそうです。

この後、篤姫と海舟が家族ぐるみの付き合いをするようになるのも、このときのお互いの印象が良かったからに他なりません。

そして、江戸城明け渡しが間近に迫った4月9日、第14代将軍・徳川家茂の奥さん・和宮が、先に江戸城を出ます。

最後まで残った篤姫は、開城前日の4月10日、養父・斉彬が莫大な費用をかけて持たせてくれた将軍の御台所にふさわしい嫁入り道具をはじめとする数々の調度品を、すべて残したまま、その役目を終えたかのように、静かに江戸城を去るのです。

かくして慶応四年(1868年)4月11日江戸城無血開城が成されました。

江戸城を出てからの篤姫については、2008年12月15日【晩年の篤姫~ドラマでは語られなかった温泉旅行】でどうぞ>>
 .
 

内容が「よかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】で応援を・・・
このブログの人気ページとしてランキングされます
(゚ー゚)あなたの応援で元気でます!

    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ



 

 


|

« 聖徳太子のどこが怪しいのか? | トップページ | 戦国最後の天皇~後水尾天皇・徳川相手に王の意地 »

幕末・維新」カテゴリの記事

コメント

篤姫、放送もなかなか好調のようですね。
篤姫は徳川最後になって薩摩から帰ってくるように何度も通知がくるのですが、「嫁いだ自分に何の落ち度があって実家に帰れというか!?」みたいなことを言って断ってます。
亡くなる最後まで徳川の人間として生きたその強情っぷり(笑)
まさに「薩摩おごじょ」だと思います。

投稿: 味のり | 2008年4月12日 (土) 01時05分

味のりさん、お早うございます

ホント女の意地ですね・・・

大河のほうもドラマが低迷の中、数少ない高視聴率のようです・・・確かにおもしろいですもんね。

初対面で、一瞬にして仲良くなった勝海舟はどのように描かれるのか・・・楽しみです。

投稿: 茶々 | 2008年4月12日 (土) 07時02分

最近の「龍馬伝」のふがいなさ(5月以降の視聴率不振が目立つ)を見ると、「篤姫の質」(内容・演出・配役・衣装など+視聴率)の高さが際立ちますね。今BSハイビジョンで金曜日に再放送しています。

大河ドラマと言うのは、「同じ作家の同じ小説を2回採用しない」規定が存在するのでしょうか?内容がほぼ丸々同じ「忠臣蔵作品」もそれぞれ作者が違います。今年は司馬遼太郎先生の「竜馬が行く」のリメイクだと、思った人も少なからずいるようです。でも、40年以上も坂本龍馬を主人公にしなかった理由が、最近わかるような気がします。

投稿: えびすこ | 2010年7月10日 (土) 10時01分

えびすこさん、こんばんは~

そうですね。
「竜馬がゆく」があまりにもデキが良すぎるのかも知れませんね。

投稿: 茶々 | 2010年7月10日 (土) 22時35分

天璋院篤姫と言えば、NHK連続テレビ小説「あさが来た」に出演中の、宮崎あおいさんが演じたのが印象的ですね。篤姫が江戸城無血開城における、影の功労者というのは、NHK大河ドラマ「篤姫」の放送中に知りました。篤姫としては、江戸の町を火の海にしたくないという思いや徳川家に対する愛着が強かったからこそ、実家の島津家に働きかけたのでしょう。ただし、無血開城後に、新選組の面々や旧会津藩の人々たちが、悲惨な最期を遂げてしまう展開になることまでは、どうすることもできなかったのではないでしょうか。それでも、篤姫らとしては、最善の努力をしたのだと思います。

投稿: トト | 2015年11月30日 (月) 18時37分

トトさん、こんばんは~

大河ドラマの篤姫は、原作と違っていたり創作が多かったりしましたが、それを差し引いても良い感じのオモシロイ大河ドラマでしたね。
ただ、篤姫の評判が良かったためか、2匹目のドジョウを狙い過ぎて、その後の大河ドラマは、どんどん別の方向へ行ってしまっている気がします。

投稿: 茶々 | 2015年12月 1日 (火) 02時38分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/47570/20132476

この記事へのトラックバック一覧です: 江戸城無血開城・最後まで残ったのは今年話題のアノ人:

« 聖徳太子のどこが怪しいのか? | トップページ | 戦国最後の天皇~後水尾天皇・徳川相手に王の意地 »