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2008年4月 9日 (水)

鬼武蔵・森長可~遺言に託された最期の願い

 

天正十二年(1584年)4月9日、小牧長久手の戦いの中盤戦・長久手の戦いで、森長可が壮絶な討死を遂げました。

・・・・・・・・・・

鬼武蔵の異名を持つ戦国武将・森長可(ながよし)・・・。

彼は、本能寺の変(6月2日参照>>)織田信長とともに最期を迎えたあの森蘭丸(成利)のお兄さんです。

時代劇では、いつもドラマチックに描かれる信長の最期のシーンによって、何かと蘭丸のほうが脚光を浴びていますが、鬼武蔵というニックネームでもわかる通り、この長可さん、なかなかのツワモノなのです。

長可は、美濃(岐阜県・中南部)金山城の城主をしていた父・森可成(よしなり)のもと、6人兄弟の次男として生まれます。

父・可成は、信長に従い、その上洛の時には先鋒を努めた有能な武将・・・。

そんな、父に習って、長可も信長の嫡男・織田信忠に仕え、数々の武功をあげますが、そんな中、姉川の合戦(6月28日参照>>)後の小競り合い宇佐山城攻防戦(9月20日参照>>)で、父とともに兄・可隆(よしたか)を失ってしまいます。

父と兄の死後、13歳で家督を継いで金山城主となった長可・・・その気性の激しさから、織田家の家臣たちとは、度々トラブルを起こしますが、そんな長可を信長は「なかなかたくましい・・・」と、むしろ評価していました。

筋骨隆々で武勇すぐれた彼は、武田との合戦においても大活躍し、武田氏滅亡(3月11日参照>>)の後には、北信濃四郡(高井郡・水内郡・更級郡・埴科郡)海津城・20万石を与えられます(3月24日参照>>)

この時、海津城へのお引越しにあたって、本領の金山城5万石を、弟の蘭丸に譲ります。

しかし、実は、これがあの本能寺の変の2ヶ月前の出来事・・・つまり蘭丸は金山城主になってから、わずか2ヵ月後に亡くなってしまったワケです。

しかも、長可にとっては、すぐ下の弟の三男・蘭丸だけではありません。
その下の・・・四男・坊丸(長隆)と五男・力丸(長氏)も、その本能寺の変で失ってしまうのです。

その時、信濃という元武田の領地で、未だその残党と奮戦中だった長可は、主君と弟たちの急を聞いて、無我夢中で京を目指します。

近寄る残党を斬って捨て、襲いかかる者すべてをなぎ倒し、まるで鬼のような形相で・・・いつしか長可は、『鬼武蔵』と呼ばれるようになるのです。

その後、山崎の合戦(6月13日参照>>)に勝利した羽柴(豊臣)秀吉の傘下に入る事になった長可・・・そして、勃発したのが、一連の小牧長久手の戦いです。

主君の仇を討って、事実上織田家・家臣のトップとなった秀吉と、信長の次男・織田信雄が事実上の後継者をめぐって争った合戦・・・信雄には、「このまま秀吉に天下を取らせてなるものか!」とする第二の実力者・徳川家康が味方についています。

この合戦の序盤戦の羽黒の戦いで、長可は、「もはや命はないか!」と思うほどの屈辱的な負け方をしてしまいます(3月17日参照>>)

その負け戦にどうしても納得がいかない長可は、「家康に一矢報いたい」とばかりに、三河への奇襲作戦を秀吉に提案します。

これが、長久手の戦い(昨年の4月9日参照>>)です。

しかし、情報が敵に筒抜けでは、奇襲作戦が成功するはずもなく、四方を敵に囲まれ、奥さんの父・池田恒興(つねおき)とともに、天正十二年(1584年)4月9日、長可は、この長久手の戦いで壮絶な死を遂げるのです。

そんな長可の死から何日か経って、奥さんのもとに一通の遺書が届きます。

それは、羽黒の戦いと長久手の戦いとの間の陣中で長可がしたため、秀吉の家臣・尾藤甚右衛門(びとうじんえもん)に託した物でした。

自分の死後の家族の動向を書き記した、全部で6か条からなる遺言状・・・

  • お母ちゃんは、秀吉様の保護のもと京都で暮らしてほしい。
  • 千丸(末の弟)は、このまま秀吉様にご奉公するように・・・。
  • 千丸を後継者にして金山城を継いだらあかん。
  • その後の金山城は、適した人に治めてもらえるよう秀吉様に頼んでね。
  • お前(妻)大垣(実家)に戻りなさい。
  • 残した刀や茶道具などは、千丸に譲ってください。

そして、追伸として・・・
  おこう(娘)は京都の町人と結婚して欲しい・・・
   できたらお医者さんがええなぁ。
   この先、もし、全滅
(秀吉もろとも敗戦)するような事があっ
   たら、城に火をかけて皆で一緒に死んでください」

 

父と、四人の兄弟を戦いで失った長可・・・
その武勇をひっさげて戦いに明け暮れ、鬼武蔵と呼ばれた剛の者・・・

負け戦のあと、名誉挽回の合戦に挑むその時に、彼が願った事は、ただ一つ・・・

残った家族を、これ以上、戦いに巻き込まない事でした。

娘を武士の嫁にはしたくない・・・
幼い弟を合戦に出したくない・・・

気を張って、強がって、ガムシャラに突っ走って来た男の悲痛な叫びが聞こえてくるようです。

鬼武蔵こと森長可・・・まだ27歳の若者でした。
 .

 

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戦国・桃山~秀吉の時代」カテゴリの記事

コメント

短い一生の中で数々の逸話を残し歴史好きの中ではDQNの代名詞的な扱いの森長可さんですがw
 
最後に人の琴線に触れる優しい内容の手紙を書いているあたり、やっぱり戦国の世の人だなぁと思いましたね。私もかくありたい。

投稿: 維新入道 | 2009年10月17日 (土) 12時58分

維新入道さん、こんにちは~

>DQNの代名詞的な扱い・・・

そうなんですかぁ?

一連の行動は、なにやら自分の弱さを隠すために無理にツッパッて生きてるように、私には見えます。

13歳で父と兄を戦いで亡くし、一家を背負う事になった少年には、ツッパるしかなかったのかな?と・・・

投稿: 茶々 | 2009年10月17日 (土) 13時57分

本能寺の変で討ち死したのは、(通し名で表記)蘭丸・力丸・坊丸の3人でしたね。この3人は来年の大河ドラマに出ます。
昨日調べたんですが森兄弟の末弟・千丸が大名・森忠政となり、子孫が江戸時代に存続しましたね。森家は外様大名の中でも家系が古い家柄と言う事で、代々存続できたようです。

森家は「可」の字が、長可の代まで通し字でしたね。

投稿: えびすこ | 2010年8月 1日 (日) 08時42分

えびすこさん、こんばんは~

蘭丸以外もドラマに出るんですか?

きっと、小牧長久手もやってくださるんでしょう。
楽しみですね~

投稿: 茶々 | 2010年8月 1日 (日) 23時28分

茶々さんおはようございます。
はい、上記の3人は確かに出ます。配役も決まっています。
番組内で千丸=忠政がどの時点で出る可能性があるかわかりませんが、慶長時点で兄弟でたった1人生き残った人なので、(今日の森家には)とても重要な人物です。
しかも甥がいないようなので、森家の命運は忠政にかかっていました。長可の思いがわかります。

投稿: えびすこ | 2010年8月 2日 (月) 09時12分

えびすこさん、お早うございます。

>はい、上記の3人は確かに出ます

おぉ、それは楽しみですね~~
期待大!!

投稿: 茶々 | 2010年8月 2日 (月) 10時26分

毎回、この見識ぶりに驚いています。すごく面白いです。どころから勉強されているのでしょうか?一番驚くのが昔の手紙や詩?を現代訳と大阪弁に訳して下さることです。すごくわかり易く毎回、仕事の息抜きのリラックスにしてます。これからもよろしくお願いします。

投稿: minoru | 2011年1月18日 (火) 13時39分

minoruさん、こんにちは~

>毎回、仕事の息抜きのリラックス…

うれしいお言葉ですヽ(´▽`)/
とても励みになります。

大阪生まれの大阪育ちで、新聞読んでもイントネーションが大阪弁になってしまう私ですが、今後ともよろしくお願いします。

投稿: 茶々 | 2011年1月18日 (火) 17時53分

「江」の2回目の放送でも、「森家は6人兄弟」と言ってましたね。浅井3姉妹は確かに「森3兄弟」とも面識がありますね。

ところで大河ドラマで戦国時代を扱う作品で、主人公などの女性が馬に乗る場面(特に最近よく出ます)がありますが、実際にあの時代の女性は馬に乗れたんでしょうか?家が馬を飼っていれば乗れたと思います。でも、大河ドラマで若い時の北政所が馬に乗る場面だけは見た事ないです。

投稿: えびすこ | 2011年1月19日 (水) 08時46分

えびすこさん、こんにちは~

さぁ、どうなんでしょうね?
たしなみの一つとして乗馬を習っていたかも…

それとも、今と違って、あまりにもい当たり前なので、乗れない人がいなかったって事ないですかね?

いずれにしても、お姫様がそんへんで一人で乗る事はないように思いますが…

投稿: 茶々 | 2011年1月19日 (水) 14時33分

小牧・長久手の戦いで戦死した森長可は、家族思いの武将だったと思います。本能寺の変で、森蘭丸・力丸・坊丸の弟3人を失ったわけですから、長可が山崎の戦いに参加していれば、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に従うのは至極当然でしょうね。何しろ明智光秀が、弟3人を殺した張本人ですからね。あと、鬼武蔵と言われた長可は、戦場以外では、人間としての優しさを持っていたのかもしれません。

投稿: トト | 2016年2月21日 (日) 09時49分

トトさん、こんにちは~

コメントありがとうございます。
その通りだと思います。

投稿: 茶々 | 2016年2月22日 (月) 15時17分

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