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2008年4月17日 (木)

徳川家康・その死のまぎわに・・・

元和二年(1616年)4月17日、江戸幕府・初代将軍、ご存知、徳川家康が亡くなりました。

・・・・・・・・・・・

日本史上屈指の有名人の徳川家康ですが、その死因については三つの説があります。

最もよく言われるのは、「天ぷらの食べすぎ」というヤツです。

今では、俗説だと言われていますが、この噂の根拠となる出来事は実際にあったようです。

元和二年(1616年)の1月21日、家康は年甲斐もなく、駿府郊外へ鷹狩りに出かけます。

年甲斐もなく・・・と書きましたが、この時家康・75歳・・・別に、いくらお年をめしていらしても、元気なら、鷹狩りをやってくださって良いのですが、問題は季節です。

何も、この真冬のクソ寒い時に・・・案の定、家康は、狩りの途中で倒れてしまうのです。

近くの田中城(藤枝市)に運ばれて、そこで休養する家康・・・と、そこに、茶屋四郎次郎清次という人物が、お見舞いにやってきます。

この茶屋四郎次郎清次という人は、京都の豪商・茶屋家の3代目

実は、彼のおじいちゃんである初代・茶屋家の茶屋四郎次郎清延は、あの家康大ピンチ『本能寺の変の直後の決死の伊賀越え』(6月2日参照>>)の時に、周囲の村々に金をバラまいて、金目当ての落ち武者狩りから家康一行を救った人なのです。

その功績によって、茶屋家は、家康から絶大な信頼を得ていて、この時代はもちろん、徳川幕府が崩壊する幕末まで、幕府の御用商人のトップとして君臨したお家柄・・・そんな茶屋家の孫が、お見舞いに来てくれたと聞いて、家康は少し元気を取り戻します。

・・・で、彼の持ってきたお見舞いというのが・・・
今話題!超人気!ネット検索第一位の『鯛の南蛮漬け』

魚を油で揚げて、ニンニクの入った醤油だれに漬けて・・・というアレです。

京のハヤリ・・・と聞いて、ムクッと起き上がり「うまい、うまい」とパクパクと・・・病み上がりにしては、随分と食べたようです。

しかし、その夜からお腹が痛み出し、やがて猛烈な下痢に襲われ、そのまま快復する事なくお亡くなりに・・・というのですが、今日この話題を書いている事でもおわかりのように、亡くなったのは4月17日・・・。

死期を早めた・・・という事はあるかも知れませんが、1月に食べた物が、3ヶ月後の直接の死因になるという事は考え難いという事から、この「天ぷらの食べすぎ説」は、俗説とされています。

次に、本人申告の「寸白(すばく)の虫=サナダ虫」です。

その日、鷹狩で調子を崩した後、駿府城に帰って腹痛に襲われた家康は、診察をした主治医に対して・・・
「俺って昔っから、腹ん中にサナダ虫おるんよ~
昔、自分で作った薬で一回撃退した事あるんやけど、ぜったい、また、わいてるわ~」

と、言っています。

しかし、たぶん、これは家康の思い込み・・・というのも、家康の病状を記した徳川の公式文書と言える『徳川実記』には・・・

「見る間に痩せていき、吐血と黒い便、腹にできた大きなシコリは、手で触って確認できるくらいだった」
と書かれているそうですから・・・。

家康本人は、死ぬまで、この腹にできたシコリを、サナダ虫の大群と思っていたようですが、いくら何でも、そんなこたぁありません。

・・・で、この病状から、三つめの死因・・・今では、『胃がん』であっただろうというのが定説とされています。

ところで、そんなこんなで亡くなった家康さん・・・最後の最後に、驚きの逸話を残してくれています。

布団の上に横たわり、もはや、虫の息の家康さん

まわりで見守る家臣たちにも、年齢が年齢なだけに(江戸時代ですから・・・)「もう、このまま永眠されるのでは・・・」という空気が立ち込めます。

・・・と、その時、いきなりムクッと起き上がったかと思うと、そばにいた家臣に・・・
「刀を持てぃ」
と、自分の刀を持ってこさせます。

じっくりと、その刀を見つめながら・・・
「これで、誰かを斬って来い!」

「へぇぇ・・・?」
っと、うろたえる家臣に・・・
「罪人でえぇ、試し斬りして来い!」

殿の命令です。
家臣は、死刑になる予定の罪人を、一人斬って、その血のしたたる刀(「革柄蝋色鞘刀」12月7日の末尾参照>>)を家康に渡します。

「おぉ・・・」
と、大きくうなづいて、その刀を受け取った家康は、布団の上に立って、いきなりの素振り!(虫の息なのに?)

「俺は、この剣で、末代まで子孫を守ったるでよ~」
と、叫び、バタリと倒れて、そのまま息をひきとったのだとか・・・

まぁ、このお話は、この後、家康さんが権現=神様となるため(4月10日参照>>)の逸話だと言ってしまえば、そうなんでしょうが、何とも、凄まじい死に方ではあります。

*異説=堺の南宗寺の家康のお墓(大坂夏の陣で死んだとされる)については2010年5月21日のページでどうぞ>>
 .
 

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江戸時代」カテゴリの記事

コメント

や・・・・あの・・・
自分誕生日なんですけど・・(^^;)
なんちゅう逸話を残しとんねんwww
やめれwwww

投稿: 味のり | 2008年4月17日 (木) 22時31分

ワォ・・・味のりさん、お誕生日なんですかぁ?

おめでとうございます~birthday

自分の誕生日に何があったか・・・
けっこう気になりますよね~

いいじゃないですか~
家康の最後の最後・・・
私なんか、8月の末日ですよ~

子供の頃は、皆、夏休みの宿題の仕上げに忙しく、ほとんど相手してもらえなかったし、ここ何年かはダイアナ妃(ご命日なので)ばっかりで・・・シュンです。

投稿: 茶々 | 2008年4月18日 (金) 00時52分

徳川家康はなぜ死んだか分からなかったので、とてもよく分かりやすく解説してくださって大変ありがとうございましたhappy01
私は歴史が大好きなのでよく分かって、まめちしきも増えたんじゃないかと改めて思っていますhappy01
この文章を書いてくださった人本当にありがとうございましたlovely

投稿: 璃里 | 2011年4月27日 (水) 19時15分

璃里さん、こんばんは~

ご訪問、そしてコメントありがとうございます。

大好きな歴史…これからも知識を増やしていってくださいね。

投稿: 茶々 | 2011年4月27日 (水) 23時47分

eventよくわかった

投稿: | 2011年8月29日 (月) 08時17分

かたじけないm(_ _)m

投稿: 茶々 | 2011年8月29日 (月) 12時43分

享年75歳だから当時の人の感覚では「老衰」でもいいと思います。60歳前後で立派な長命の時代です。平均寿命37歳の時代で2倍の75歳なので。
現代は享年85歳以上だと老衰でしょうか?

投稿: えびすこ | 2011年8月29日 (月) 16時04分

えびすこさん、こんばんは~

現代でもそうですが、「老衰」というのは、ある程度の年齢以上で、特に思い当たる死因がわからず、少し前から、周囲から見ても老人特有の様々な衰えが感じられた場合に「老衰」と称するわけで、「年齢が高いから老衰」という事にはならないのではないかと思います。

個人的には、家康の場合は、3ヶ月前までは真冬でも鷹狩りをするくらい元気だったわけですので、やはり、記録などから死因を推理し、もし、特定できない場合でも、「老衰」ではなく、「不明」とするのが妥当かと思います。

投稿: 茶々 | 2011年8月29日 (月) 19時29分

はじめまして、今、学校で徳川家康のことについて、新聞をつくっています。
とっても参考になりました!!
3年ほど前の記事ですが…
ちょうど困っていたところなんです、ありがとうございました♪

投稿: 小学6年女子 | 2011年9月16日 (金) 17時32分

小学6年女子さん、コメントありがとうございます。

お役にたったのならウレシイです。

投稿: 茶々 | 2011年9月16日 (金) 17時41分

徳川キタ~

投稿: 551 | 2011年9月21日 (水) 10時02分

ありがとうさん?新聞にかけます!ありがとーございます

投稿: 新聞かけるどー | 2011年9月21日 (水) 10時06分

551さん、こんばんは~

今年の大河ドラマでも、家康は大活躍ですね。

投稿: 茶々 | 2011年9月21日 (水) 17時43分

新聞かけるどーさん、こんばんは~

お役に立ってウレシイです。
新聞づくりは、授業の一環なんですかね?
おもしろそうです。

投稿: 茶々 | 2011年9月21日 (水) 17時45分

胃腸を専門とする消化器内科医です。家康の症状が出てから死ぬまでの様子は胃癌死にぴったり合います。胃癌の方は亡くなる一ヶ月前くらいまで普段と何ら変わりなく過ごされ、大病を抱えた人にはとても見えません。狩りにも行けるくらい元気なのが普通です。ところが一ヶ月前くらい前から急速に痩せ始め、胃癌からの出血により便が真っ黒になり吐血したりするようになります。胃癌死で間違いないように思われます。茶々さん、これからも面白い歴史のお話を楽しみにしております。

投稿: 卑弥呼 | 2012年5月19日 (土) 11時50分

卑弥呼さん、こんにちは~

そうですか。
やはり、胃がんの症状にピッタリなのですね。
情報、ありがとうございました。

投稿: 茶々 | 2012年5月19日 (土) 15時29分

解説ありがとうございます         おかげで深夜ですけどレポート終わりました そういえば信長が死んだ本能寺の変の6月2日って自分の誕生日なんだよね     何か人が死んだ日に祝われるのって何かねぇ

投稿: GUNLOVE(中二) | 2012年5月21日 (月) 02時34分

GUNLOVE(中二)さん、こんにちは~

>信長が死んだ本能寺の変の6月2日って自分の誕生日

それは、「俺は生まれ変わりだ」と考えましょう!

ちなみに私の誕生日は旧暦には無い日なので、日本の歴史上の人物の生没は極端に少ないです。

投稿: 茶々 | 2012年5月21日 (月) 11時09分

コメント返事来てるかチェックしてみたら来てました またいつか時間があったらチェックするのでヨロシコ― お願いします                       また利用させてもらいました!!! 

投稿: GUNLOVE(中二) | 2012年8月15日 (水) 17時12分

GUNLOVE(中二)さん、こんばんは~

また、遊びに来てくださいo(_ _)oペコッ

投稿: 茶々 | 2012年8月15日 (水) 19時07分

了~か~意!!。(@~@)

投稿: GUNLOVE(中二) | 2012年8月15日 (水) 19時56分

どっかで家康は大阪夏の陣で幸村に討ち取られたと聞いたことがあるのですが…

多分うそ?

西軍好きの僕としてはそれがいいんだけど…

投稿: のすけ | 2012年10月 8日 (月) 14時54分

のすけさん、こんばんは~

堺の南宗寺には家康のお墓がありますね(写真が5月21日のページの真ん中あたりにあります>>

お寺の伝承によれば、夏の陣での5月7日の総攻撃の時に、真田幸村に本陣に迫られた家康が逃げる際に後藤又兵衛が討ち取った事になってますが、ご存じのように、又兵衛はその前日に道明寺で亡くなっていますので、果たして、どうでしょうか?

史実とされている事には、小説やドラマより、もっとスゴイ事が多々あったりします…それがオモシロくて、歴史好きはやめられません(*^-^)

投稿: 茶々 | 2012年10月 9日 (火) 02時23分

こんにちは、占い研究者ですw

私の前世が徳川家康だったので、この説は合ってると思いますよ!前世療法で胸焼けがひどかったし、寒気がするのも狩りで雪に倒れた感覚まで覚えていましたw

最後は布団の上で亡くなったんです。

幼少の頃は竹千代って呼ばれ、それは豪華なお屋敷。

何もしないで、横になって食べていたせいか、太っちょだった。

投稿: 占い研究者 | 2012年10月20日 (土) 17時00分

占い研究者さん、こんばんは~

>幼少の頃は竹千代って呼ばれ、それは豪華なお屋敷。

そうなんですか~
って事は、織田や今川での人質時代も、肩身の狭い思いをする事無く、意外に良い待遇だったのかも知れませんね。

投稿: 茶々 | 2012年10月21日 (日) 02時18分

どうも GUNLOVE(中二)の妹です。
 数ヶ月前は兄がお世話になりました。
今回は私が、利用させてもらいました。
 そういえば、私のすんでいる所って家康さんの地元なんですよね。
 何かやたらに家康さんのレポート書かせるんですよね。どうしてなのか不思議です。
又、数日後にチェックするので、アドバイスよろしくお願いしますm(_ _)m 。
 又いつか、利用させてもらいます。    
(* ̄ー ̄*)
それでわサヨーナラー(_´Д`)ノ~~。

投稿: GUNLOVE(中一) | 2012年10月30日 (火) 19時21分

GUNLOVE(中一)さん、こんばんは~

なるほど…地元なんですか?

私の地元は大阪城周辺ですが、当時は、レポートの提出なんてのは無かったような??
覚えてないだけかも…

また、遊びに来てくださいo(_ _)oペコッ

投稿: 茶々 | 2012年10月30日 (火) 21時19分

家康は死の間際まで英雄らしいエピソードが結構ありますね。秀忠に向かって「余の死後も天下は安泰と思うか。」と尋ね、秀忠が「いや、乱れると思います。」と答えたら安心したという話とか。

ひたすら哀れ、惨めという印象しか残らない秀吉の死に際と対照的です。たしか昔の大河ドラマ『徳川家康』でも、秀吉の死に際に幻滅した家康が「私はこういう死に方はしたくない」と思ったという描写がされていたような。原作(山岡宗八)のほうだったかな。

投稿: 黒猫 | 2013年5月 8日 (水) 08時00分

黒猫さん、こんにちは~

なんたって勝組ですからね~
やはり、公式記録類では、神君家康公のカッコイイ最期を記録に残さねば!

投稿: 茶々 | 2013年5月 8日 (水) 13時19分

でもその割に三方ヶ原の敗戦の時の焼き味噌事件とか、結構カッコ悪いエピソードも抹消されずに残っていると思いますけどね。

私は浜松出身なので、三方ヶ原関連の話はかなり民話として子供の頃から読んできました(有名なところでは小豆餅と銭取のやつとか)。

投稿: 黒猫 | 2013年5月 8日 (水) 21時16分

黒猫さん、こんばんは~

負け組の豊臣ファンとして、ちょっとイケズな見方をしますが、お許しくださいm(_ _)m

「三方ヶ原の…結構カッコ悪いエピソード」ですが、これはカッコ悪いエピソードではなく、むしろイメージアップのエピソードだと思います。

なぜかと言うと、芸能事務所がアイドルやタレントを売り出すのに使う心理学を応用したテクニックの一つに二重構造の原理というのがあるそうですが、大衆の支持を得るためには、物質的な異質性と心情的な同一性の二つを兼ね備えていないと人気が出ないのだそうです。

物質的な異質性というのは、アイドルやタレントの場合は、カワイイ容姿だったり歌のうまさだったり…一方の家康の場合は、強さだったり策略の巧みさだったり見事な統率力だったり…これは、一般人とは比較できないほど優れていなければなりません。

しかし、その一方で、心情的には同一=つまり一般大衆と同じように悩み苦しみ失敗する…心情的には一般大衆と同質の物を持っていないと共感を呼ぶ事ができず、大衆の支持を得られないって事なのですね。

しかも家康の場合は、「その失敗を絵に描き残し、後々の教訓とする」という後日談つきで、さらに好感度UPです。

もちろん、おそらくは実際にあったお話なのでしょうが、カッコ悪いエピソードで無い事は確かで、だからこそ後世に伝えた…私としては、むしろ、そこまで計算ずくな所が見事でカッコイイと思います。

それでないと、長きに渡る戦国の世を終わらせる事はできなかったでしょうね。

投稿: 茶々 | 2013年5月 9日 (木) 03時53分

 ふむふむ。なるほど。
 茶々さんは心理学にも詳しいんですね。

投稿: 徳左衛門 | 2013年5月10日 (金) 00時26分

徳左衛門さん、こんばんは~

心理学…好きですo(*^▽^*)o
『悪の教典』なんか、ワクワクしながら見たデス

投稿: 茶々 | 2013年5月10日 (金) 01時40分

どうも中三になりました。いつもレポート助かってますありがとうございますbearing

投稿: GUNLOVE(中三) | 2013年7月 6日 (土) 01時54分

GUNLOVE(中三)さん、こんにちは~

そうですか…中三になられたのですね。。。
新しい門出に向かって、いよいよ忙しくなってきますね。

投稿: 茶々 | 2013年7月 6日 (土) 09時16分

はじめまして               学校で徳川、織田、豊臣新聞を作る参考になりました。ありがとうございます

投稿: インコ | 2013年7月22日 (月) 19時09分

taihenn


投稿: インコ | 2013年7月22日 (月) 19時27分

インコさん、こんばんは~

歴史新聞…やっぱ、多いんですね。。。

投稿: 茶々 | 2013年7月22日 (月) 23時31分

いい

投稿: 6 | 2013年10月24日 (木) 11時39分

学校でいい参考になりました

投稿: kami | 2013年10月24日 (木) 11時41分

6さん、ありがとうございます。

投稿: 茶々 | 2013年10月25日 (金) 00時51分

kamiさん、こんばんは~

やはり、家康さんの事は学校で頻繁に習うのですね~

投稿: 茶々 | 2013年10月25日 (金) 00時52分

浜松方面に伺った時に、ここには無いもう1つの遺言があると聞きました
多分幕府系の血筋の人は知らないと思います
5月23日に、徳川義直、成瀬正成、安藤直次(本当は頼宣も出席するはずだったが、何らかの事情で同席せず)の3人に伝えられたという話で、特に安藤直次は結局国元にも報告することなく、この話を誰にも伝えないまま亡くなったようです。

尾張家に伝わった内容は、歴代藩主の間では忘れられたようですが、末端の藩士が何らかの機会に内容を知って、書き留めたという古文書を見せていただいたことがあります。

当人の許しが得られれば、ここに書きたいんですけどねえ;
特段帝王学・教訓的に高度な話ではなく、今で言うとツイッターに書かれそうなシンプルな内容ですが、家康の本心みたいなのが見えました。
まあちょろっと内容を言っちゃうと、三方原合戦で信長が出した援軍に関することを振り返った家康の軽いコメントです。

投稿: | 2013年10月27日 (日) 17時04分

そうですか、情報ありがとうございます。

興味深いですね。

投稿: 茶々 | 2013年10月28日 (月) 01時09分

こんばんは、カムバッカーです。

ケーブルテレビで大河ドラマ「徳川家康」の最終話を録画しておいて見たのですが、鯛の天ぷらが、茶屋さんが献上してくれた珍しい油で揚げられていました。

「オリーブオイル」だったんです。

大御所様は揚がった天ぷらを「旨い、旨い」と召し上がった後で倒れてしまいました。

それをみて、そうか、オリーブオイルが・・・なんて、思ってしまいました。75歳でオリーブオイルデビューはちょっときつかったのかもしれません。

もっとも、検索をかけると、普通の油より、さらっと軽い感じで揚がるみたいですね>オリーブオイルの天ぷら。

投稿: カムバッカー | 2014年3月23日 (日) 21時22分

カムバッカーさん、こんばんは~

オリーブオイルですか…おいしそうです( ^ω^ )

投稿: 茶々 | 2014年3月24日 (月) 02時39分

(*^ー゚)bグッジョブ!!

投稿: | 2014年7月 8日 (火) 20時15分

ご訪問、ありがとうございましたm(_ _)m

投稿: 茶々 | 2014年7月 9日 (水) 01時36分

天ぷらの食べ過ぎって…
なんか…すごい馬鹿じゃないけど
逆にすごいなぁと思ってしまった自分を
殴りたいです。でも参考になりました。
ありがとうございます!happy02

投稿: 織田家三代目家臣 | 2014年8月19日 (火) 13時59分

織田家三代目家臣さん、こんばんは~

俗説とは言え、あまり食べ過ぎると体調を崩す原因になったかも…とも思いますね。

投稿: 茶々 | 2014年8月19日 (火) 18時24分

徳川家康が75歳まで長生きできたのは、健康管理や食事に対する考え方が、ずば抜けて優れていたからでしょう。例えば、薬を家康自身が調合した上で、治したという話があるらしいですし、また、日頃から麦飯を食べたそうですから、そのおかげで、長生きできたのだと思います。家康以外に長寿を保った人物としては、本多正信・細川幽斎(剃髪前は、藤孝)&忠興親子・真田信幸(後に、信之に改名)・伊達成実(伊達政宗の親戚)・鬼庭綱元(伊達政宗の家臣)などがいます。おそらく、家康のように、健康管理や食事に対する考え方が優れていたのかもしれません。

投稿: トト | 2016年3月31日 (木) 20時54分

トトさん、こんばんは~

家康が健康管理に気をつけ、薬も自分で配合していた話は有名ですね。
長生きしたからこそ、織田がつき、羽柴がこねし天下餅を食べる事ができたんでしょうね。

投稿: 茶々 | 2016年4月 1日 (金) 03時05分

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