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2008年4月21日 (月)

ウソかマコトか?将軍の隠し子・天一坊事件

 

享保十四年(1729年)4月21日、将軍ご落胤事件『天一坊事件』で知られる天一坊が処刑されました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大岡名裁きとして歌舞伎や映画の題材にもなり、大変有名な『天一坊事件』・・・事件のあらましは、こうです。

暴れん坊で有名な8代将軍・徳川吉宗の時代、江戸品川のお寺に、天一坊と名乗る修験者が住み着きます。

しかも彼は、「自分は将軍のご落胤(隠し子)であるから、近々、江戸城に出仕する」というのです。

実は、ちょっと前から、彼はすでに、大坂で同じ事を言い、何かにあやかろうとする商人や裕福な農民から、多くの金品を貢いでもらい、さらに、そのへんの浪人を召抱え、まるで御大尽のごとく・・・。

その評判とともに、赤川大膳なる家老まで引き連れて、愛しい父・吉宗に会うために、「下に~下に~」と、まるでホンモノの大名行列のようにして、鳴り物入りで江戸に到着していたのでした。

噂の天一坊ご一行ですから、そりゃもう、江戸に入った時点で、幕府は上を下への大騒ぎです。

しかも、彼は証拠の品なる物まで持っているという・・・。

ご存知のように、徳川吉宗紀州(和歌山)の徳川家の人・・・しかも四男なので、本来なら藩主にすらならない立場の人ですから、若い頃は自由奔放で、文字通り「暴れん坊」な生活を送っていたのです。

ところが、あれよあれよと言う間に、紀州家のお兄様方が相次いでお亡くなりになり、藩主の座が転がり込んで来たかと思うと、今度は、江戸におわす7代将軍・徳川家継が、わずか7歳にして亡くなり、当然子供も無し・・・本家の血筋がいなくなった事で、御三家の一つ・紀州家から8代将軍になったのでした(8月13日参照>>)

天一坊の告白によれば・・・
「そんな吉宗が、まだ徳太郎と呼ばれていた若き頃、腰元でもトップクラスの沢の井という女性に手をつけて妊娠させてしまいますが、当時は、まだまだひよっ子・・・しかたなく、“男子が生まれて大きくなった時、名乗ってきなさい”というお墨付きと、葵の紋の入った銘刀・粟田口山城守(あわたぐちやましろのかみ)を、女に授けた」
というのです・・・それが、先ほどの証拠の品。

側近の者が吉宗に尋ねると・・・
「そんな事があったかも知れない・・・」との返答・・・
しかも、証拠の品はホンモノ・・・

すゎ!まことのご落胤と、そりゃ大騒ぎにもなります~。

ところが、その天一坊なる人物を取り調べた名奉行・大岡越前守忠相(ただすけ)・・・
「これは、おかしい」ピンとキタ~~~(・∀・)!

・・・で、結局、ウソがバレでしまうのですが・・・

実は、天一坊は、紀州・和歌山の感応院というお寺の小坊主で、名前は宝沢(ほうたく)と言い、まったくの別人でありました。

1~2年前のある日、宝沢は、隣村のお三というお婆さんと知り合いになります。

身内もおらず、一人暮らしで寂しい毎日を送っていたお三婆は、親しくなった小坊主に、いつしか身の上話を語りはじめます。

それが、先ほどの「吉宗が徳太郎だった頃・・・」のお話です。

実は、そのお三婆さんの娘が、その腰元・・・実家に戻って出産をしたものの、産後のひだちが悪く、娘が亡くなり、生まれた男の子も死産だったのです。

その話を聞いた宝沢・・・その男の子が、もし、成長していれば、自分と同じ年頃だと知って、悪知恵が働きます。

そう、そのお三婆さんを殺して、そのお墨付きと短刀を盗んだのです。

ほとぼりが冷めるまで・・・と、九州へと逃亡しますが、乗った船が難破し、伊予(愛媛県)にたどりつきます。

そこで、知り合ったのが、赤川大膳なる人物・・・彼は、早速、ワル仲間の美濃(岐阜)常楽院・天忠に相談。

この天忠の弟子で、身寄りのなかった天一なる坊さんを殺して、この宝沢を天一に仕立てあげ、京・大坂で酒池肉林の日々を過ごしていたのです。

結果・・・
「天一坊こと宝沢は、生国にて人を殺め、盗みを働き、あまつさえ公儀を偽り、多くの金銀を騙し取りし事は、不届き至極・・・よって市中引き回しの上、品川にて獄門に処するものなり」
これが、大岡越前さまのお裁き・・・

・・・・・と、長々と書きましたが、上記のお話は、大岡忠相さんの名奉行ぶりを伝える『大岡政談』の中の一つで、講談やお芝居として人気とになった架空のお話なのです。

「えぇ?・・・架空なのに、今日が処刑された日って、どーゆー事?」
と、お思いでしょうが、『大岡裁き』としては、架空の出来事・・・つまり、講談やお芝居がモデルとした実際の事件があって、そのモデルとなった事件の犯人が処刑された・・・という事なのです。

実際に起こった事件の犯人は源氏坊改行というお坊さん。

事件を担当したのは、町奉行の大岡さんではなくて、武家の問題解決を行う勘定奉行・・・しかし、事件のあらましは、ほぼ、同じです。

ただ、改行には証拠の品となるような物は無く、そのためにニセ者と判断されますので、その品を手に入れるための殺人などは行っていません。

その時の調べによると・・・
彼は紀州の生まれで、母親が武家屋敷へ奉公にあがっている時に身ごもったという事で、武家の子供である事は本当のようです。

それに、母親から
「お前は高貴な人の血を引いているんだよ」
「世が世なら人の上に立てる身分なんだよ」
と、
小さい頃から聞かされていたのも本当の事だったようです。

ただ、父親が誰かという事を明かさないまま母親が亡くなったために、改行自身が勝手に、父は吉宗だ」と、本当に思い込んでいたようなのです。

つまり、彼は人を騙すという気持ちは、まったくなく、本当に父親に会いに江戸に来て、思いのままを人に話したら、勝手に皆が金品を持って集まって来ただけだったのです。

しかも、上記の・・・
側近の者が吉宗に尋ねると・・・
「そんな事があったかも知れない・・・」との返答・・

というのも、実際の事件でも、吉宗はそうのように返答したらしいのです。

若き日に、けっこうな数の過ちを犯していた吉宗には、「絶対無い!」と言いきれない部分があったようです。

結果的に、実際の事件では、「世間を騒がせた罪」として、享保十四年(1729年)4月21日獄門にされた改行さん・・・ひょっとしたら、ホンモノのご落胤だった可能性もゼロではない・・・という、気になる結末となってしまいました。
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江戸時代」カテゴリの記事

コメント

今の事ならDNA鑑定で簡単に実子か他人か見分けが付くんですけどねぇ。もし万が一にも天一坊が吉宗の実子で吉宗は勿論のこと幕府が公認して将軍世子になってたら、幕府の命運も随分と違ったモノになってたでしょうね。

投稿: マー君 | 2008年4月21日 (月) 23時01分

>マー君さん、こんばんは~

ホント、吉宗君が暴れん坊なために大騒動ですよね。

吉宗さんは、ちゃんと認められた女性だけでも、正室の他に10人の側室がいたそうですから、天一坊が認知されたらされたで、これまた、ひと悶着あるんでしょうね。

投稿: 茶々 | 2008年4月22日 (火) 00時14分

今から12年前の、1997年のテレビ東京の「正月時代劇」では、天一坊は処刑されずに放免されて、妹と帰郷しています。千葉テレビで今月、その正月時代劇の再放送があります。
恐らく天一坊が処刑されなかったのは、この時代劇だけだと思います。
吉宗を見ると、これまた懐かしい14年前のNHK大河「八代将軍 吉宗」(もうそんなに、古い作品になったのか…。書きながら、昨日の様に思い出します)では、ヤンチャな10代の青春時代でした。覚えている限りでは女中の行水を覗いたり、裸で城中をうろついたり(史実でもそうだった様です)、家来を巻いて江戸市中で迷子になったり、市中で喧嘩の仲裁をしたなど。
思春期の吉宗である「新之助頼方」を演じた俳優さんは、今30歳を過ぎています。歳月を感じます。
完全版DVDでもう1回見てみたいです。早く出てほしい。

投稿: えびすこ | 2009年9月 5日 (土) 10時23分

えびすこさん、こんにちは~

そう言えば、大阪でも最近再放送してましたね~

おかげ様で、「天一坊」のキーワードで、このページにもたくさんのかたに来ていただけましたヽ(´▽`)/
ありがたいです。

投稿: 茶々 | 2009年9月 5日 (土) 12時21分

「完全DVDでもう一度見たい」とおっしゃる千葉の方、
NHK大河ドラマのほうをまた見たいと言ってるんですよね。(違ったりして・・・)。

思えば西田としゆきが良い演技を見せてました。それから津川雅彦の綱吉も良かったですね。障害のある家重を演じた役者はどうなったんでしょうか。彼もうまかった。尾張家付け家老の成瀬とか紀伊家付け家老の安藤(これは黒澤としお)渋いちょい役までみんな良い俳優を揃えてました。NHKはジャリタレントの乱用をやめよ。(吉宗の次兄を演じた野口五郎はいまいちだったかな)。

投稿: 「覚えあり」なんちて | 2011年1月25日 (火) 11時12分

「覚えあり」なんちてさん、こんにちは~

やはり、NHKも視聴率を稼ぐ人を起用しないとダメなんでしょうねぇ。
いろいろ事情があるのでしょう。

投稿: 茶々 | 2011年1月25日 (火) 11時37分

大岡政談といえば、「雲霧仁左衛門」の話は甲州で実際にあった事件がモチーフになっていると、近年の『山梨県史』編纂過程における資料調査で明らかになりましたね。

投稿: 黒駒 | 2011年1月25日 (火) 11時49分

黒駒さん、こんにちは~

やはり、何かのモチーフという物はあるのでしょうね。

投稿: 茶々 | 2011年1月25日 (火) 15時25分

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