« 戦国の伝達システム~のろしと密書と髻の綸旨の話 | トップページ | さらば・・・近藤勇 »

2008年4月24日 (木)

競馬の歴史~日本ダービー記念日にちなんで・・・

 

昭和七年(1932年)4月24日、目黒競馬場にて、日本初のダービーが開催された事を記念して、今日は、『日本ダービー記念日』という記念日なのだそうです。

・・・て、事で、例のごとく、今日は『競馬の歴史』について書かせていただきます・・・と、言いましても、人が馬に乗って走り始めた時から、「どっちが先に着くか?」なんて競争を始めていたでしょうし、事実、古代オリンピックにも競馬の種目が存在しますので、今回は、あくまで、現在のような近代の競馬について書かせていただきます。

・・・・・・・・・・・・

もう、皆さんご存知のように、競馬と言えばイギリス王室・・・近代競馬は、17世紀のイギリスから始まります。

王室が夢中になれば貴族が夢中になる・・・

そうなると、貴族たちは、それぞれ自分の馬を持ち寄って競争をさせては、より優秀な馬の子孫を育て、より強い馬を求める・・・という傾向になっていくのは、当然のなりゆき・・・

そうなると、強い馬が多く集まって、賑やかに開催されるレースという勝負の場所が、徐々に生まれていく事になります。

そんな中で、第12代・ダービー卿という人が、ロンドンの3歳馬のトップを決める大会として開催したのが「ダービー」というレースです。

やがて、1773年からは毎日、競馬成績書が発行されるようになり、1793年からは、4年に一度の血統登録書も発行されるようになり、やがて、イギリスで5つの大きな大きなレースが行われるようになります。

それが、五大クラシックと呼ばれるレース・・・「1000ギニー」「2000ギニー」「オークス」「ダービー」「セントレジャー」の5つです。

イギリスから競馬が輸入された国は、すべてこの形式をそのまま受け継いでいますので、成績書や血統書もちゃんと管理され、五大レースも行われます。

日本の場合は・・・1000ギニーが桜花賞」「2000ギニーが皐月賞」で、「オークス」「ダービー」と来て、セントレジャーが菊花賞」となります。

ただし、日本で最初に競馬が行われたのは、今回のダービーをさかのぼる事70余年・・・文久元年(1861年)の事となります。

世は、まさに幕末・・・14代将軍・徳川家茂和宮さんの結婚があった『公武合体』真っ只中の頃ですから、当然、外国人主体による横浜での小さな開催でした・・・馬は日本の馬と中国の馬が使用されたそうですが・・・。

やがて、イギリス王室にならって、明治五年(1872年)には、明治天皇が、やはり横浜でレースをご観戦・・・勝ち馬には賞品を出されたようです。
(やっぱ天皇賞だったのかな?)

現在のように、馬券・・・おっと、勝馬投票権が出されるようになったのは、明治二十一年(1888年)ですが、あまりの加熱ぶりに20年後に、一旦、馬券は廃止されます。

やっぱ、お金がからむと人は変わりますからねぇ~。

しかし、一旦、楽しいを思いをしてしまったら、やめられないのも人の常・・・で、結局、大正十二年(1923年)に再び、馬券が復活!

ただし、今度は、金持ちしか買えないように、馬券をかなりの高額にして、配当もおまり多く設定せずに、何とか人間の理性が保たれるように工夫されました。

そして、いよいよ、昭和七年(1932年)4月24日第一回の日本ダービーが開催され、競馬ブームの最盛期を迎えます。

それからは、一旦、戦争で中断されるものの、昭和二十一年(1946年)に再開された時は、もう、現在の競馬の形をなしていた・・・という事です。

以上、競馬の歴史を駆け足でご紹介しましたが・・・以前、書かせていただいた囲碁(1月15日参照>>)をはじめ、南北朝時代には、わび・さびの境地であるお茶でさえ、その産地を当てる『闘茶』なんて賭け事が存在した日本の事ですから、絶対、過去に、流鏑馬(やぶさめ)とかで、賭けてた輩がいるんでしょうねぇ・・・きっと。
 .
 

内容が「よかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】で応援を・・・
このブログの人気ページとしてランキングされます
(゚ー゚)あなたの応援で元気でます!

    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ



 

 


|

« 戦国の伝達システム~のろしと密書と髻の綸旨の話 | トップページ | さらば・・・近藤勇 »

明治・大正・昭和」カテゴリの記事

コメント

近代競馬は、いざ知らず…日本の競馬の発祥は、京都上賀茂神社に平安時代から伝わる競馬会神事でしょう。日本ではギャンブルと言うより…神様の御霊を和めるためとか、神意を問う卜占として競馬が行われていたし、そういう馬は神馬として限られた人しか乗れなかったので、賭けの対象とするのは難しかったでしょうね。話は変りますが、いわゆる草競馬なるモノがいつ頃登場したか分かりませんが、競馬場の無い時代の競馬ってどんな風にやってたか興味が湧きます

投稿: マー君 | 2008年4月25日 (金) 23時12分

>マー君さん、こんばんは~

もちろん、神事としての競馬での賭けはご法度でしょうが、以前ブログにも書かせていただいた天武天皇の時代の双六にはじまり、文中の闘茶や闘鶏・闘犬など、室町の頃から登場するバサラ大名は賭け事に没頭していたようなので、影でやってた人もいるんじゃぁないかと・・・勝手な想像ですが・・・。

競馬場がない頃は、やはり葵祭の前に行われる競馬会足汰式&競馬会神事のように直線コースで競っていたんでしょうかね?

投稿: 茶々 | 2008年4月25日 (金) 23時40分

今日は皐月賞でしたが、大地震の影響で千葉県の中山競馬場では、最近までレースができなかったんです。
競馬場に何度か行った事がありますが、スポーツ新聞がかなり散らかっていますよ。

投稿: えびすこ | 2011年4月24日 (日) 21時57分

えびすこさん、こんばんは~

中山には行った事ないですが、淀と阪神はしょっちゅう行ってます(*´v゚*)ゞ

馬券も飛び交いますね。

投稿: 茶々 | 2011年4月25日 (月) 01時17分

 最近はあまり行かなくなりましたが、中山・東京には何度も通いました。行く度に「この柱の建築費くらいはつぎ込んでしまったなあ…」と無念の思いを、かみ締めていました。
 
 高い授業料を払って自分をコントロールする術をちょっとだけ学んだような気がします。

 反省と後悔の日々を人生の糧に…。歴史を学ぶのと同じ(?)なんでしょうかね(苦笑)。

投稿: とらぬ狸 | 2015年4月25日 (土) 09時20分

とらぬ狸さん、こんにちは~

>行く度に「この柱の建築費くらいはつぎ込んでしまったなあ…」と無念の思いを…

確かに…(・∀・)ニヤニヤ
警備員一人くらいは雇っていたでしょうね…きっと

投稿: 茶々 | 2015年4月25日 (土) 18時08分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/47570/20519217

この記事へのトラックバック一覧です: 競馬の歴史~日本ダービー記念日にちなんで・・・:

« 戦国の伝達システム~のろしと密書と髻の綸旨の話 | トップページ | さらば・・・近藤勇 »