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2008年5月27日 (火)

日本海海戦・伝説の東郷ターンは?

 

明治三十八年(1905年)5月27日、東郷平八郎率いる日本海軍連合艦隊と、ロシア・バルチック艦隊日本海海戦にて連合艦隊が勝利しました。

・・・・・・・・・・・・

これまでの日露戦争の経緯について、
くわしくは、コチラ↓のリンクから…

・‥…━━━☆

明治三十七年(1904年)2月10日の、日本からロシアへの宣戦布告で始まった日露戦争(2月10日参照>>)は、仁川沖海戦(2月9日参照>>)黄海海戦(8月10日参照>>)に勝利しておおむね日本優勢で、戦局は進んでいました。

翌年の1月には、203高地を占領する事によって、難攻不落と言われた旅順(りょじゅん)を砲撃範囲の収めて陥落(1月2日参照>>)、3月には、日露戦争最大の陸戦であった奉天(ほうてん)会戦にも勝利します(3月10日参照>>)

しかし、結果的には陥落・占領してはいますが、その過程では、大きな犠牲を払っていましたから、人員・弾薬ともに底をつき、もはや、先は見えていました。

一方のロシアは、先の旅順・奉天では負けたとは言え、未だロシア本土を占領されたわけでもなく、極東へ派遣している兵士の数も、全体から見れば半数ほど・・・さすがは、大国、まだまだ、いくらでも戦える状態でした。

その最たるものがバルチック艦隊です。

ロシアには、極東に配備している太平洋艦隊と、ヨーロッパに配備しているバルチック艦隊とがあり、日本を相手に戦っているのは、太平洋艦隊・・・その中のさらに枝分かれした主力の旅順艦隊と、神出鬼没にゲリラ作戦を行うウラジオストック艦隊の二つでした。

しかし、日本の優勢を見たロシアは、バルチック艦隊を極東へ派遣する事を決定し、明治三十七年(1904年)10月15日、母港・リバウ軍港を出航します。

このバルチック艦隊が、太平洋艦隊と合流してしまっては、一気に形勢が逆転しかねませんから、バルチック艦隊を無傷でウラジオストックへ入港させる事は、何としてでも阻止しなければなりません。

・・・で、その前に・・・
連合艦隊は、まず、旅順の陥落で、居場所を失った旅順艦隊を、黄海海戦で大破させ、その直後、たまたま遭遇したウラジオストック艦隊を蔚山(うるさん)沖海戦で壊滅状態にさせました。

残るは、今現在、極東に向かっている最中のバルチック艦隊・・・しかし、これが、朝鮮海峡を通るのか?、津軽海峡を通るのか?、それとも宗谷海峡を通るのか?

はなから、バルチック艦隊よりも、総艦隊重量が劣る連合艦隊を、三つに分散させての迎撃は不可能ですから、どこかの一つのコースに絞るしかありません。

ここで、連合艦隊最高司令官・東郷平八郎は、朝鮮半島に賭けます。

いえ、これは賭けではありません。
緻密な計算のもと、はじき出された結果なのです。

実は、このための、黄海海戦であり蔚山沖海戦でした。

太平洋艦隊が壊滅状態となった今・・・バルチック艦隊は、一刻も早くウラズオストックへ向かおうと、最短距離である朝鮮海峡を通るに違いないと、東郷は予想したのでした。

果たして5月26日・・・バルチック艦隊の輸送船が上海に入港したという知らせが届きます。

ここで、東郷の予想は確信へと変わりました。

かくして、日本近海に数十隻の船を配備し、警戒にあたる中、運命の明治三十八年(1905年)5月27日午前2時、五島列島西方の信濃丸から・・・

「敵の戦艦見ゆ」
無線が発進されます。

これを聞いた東郷は、すぐに全艦を率いて、西へ・・・
「ただちに出動・・・本日晴天なれど波高し」
と打電します。

午後1時半、沖ノ島西方にて敵艦を確認・・・旗艦・三笠にZ旗が掲げられました。

正面から全速力で、バルチック艦隊に向かって行く連合艦隊・・・

両艦隊の距離は8500m・・・しかし、東郷は何の指示も出しません。

さらに、距離は縮まって8000m・・・
まだ、指示はありません。

我慢できなくなった部下が「どうされますか?」と・・・
その時、高々と右手を挙げ、おもむろに左に円を描いて下ろします。

取り舵いっぱい・・・全艦が一斉に左へと船首を向けます。

Nihonkaikaisenzucc (このイラストは位置関係をわかりやすくするために趣味の範囲で製作した物で、必ずしも正確さを保証する物ではありません)

これが、伝説の東郷ターン・・・この陣形は、敵の進行方向を横切る形で、攻撃を加える事からT字戦法と呼ばれました。

そして、距離が7000mにまで、近づいた時、バルチック艦隊の先頭に位置していたスワロフから31インチ砲が放たれ、それが合図であったかのように、次ぎから次へと砲撃を仕掛けてきました。

敵の一番の目標は、やはり東郷が乗る旗艦・三笠でしたが、こちらは、未だ砲撃せず、敵の砲撃をかいくぐって、さらに近づきます。

やがて、距離が6500mまで近づいた時、連合艦隊は一斉に砲撃を開始し・・・その砲弾は、正確に敵艦隊に着弾し、大打撃を与えるのです。

勝敗は、わずか30分で決し、バルチック艦隊は散り散りになって敗走しはじめます。

さらに、これを追い、次々と敵の戦艦・巡洋艦・駆逐艦を撃沈・・・午後7時に、連合艦隊・本隊の攻撃は終了しますが、その後は、小回りのきく駆逐艦・水雷艇によって、夜を徹しての追撃を加えました。

結局、40隻あった艦隊の中で、最終的にウラジオストックへ逃げ込む事ができたのは、巡洋艦1隻と、駆逐艦2隻の、わずか3隻でした。

まさに、日本海海戦は、連合艦隊の空前の勝利となります。

バルチック艦隊・全滅の知らせを受けたロシア皇帝ニコライ2世(あの大津事件の・・・5月11日参照>>)は、ついに講和を決意したのです。

冒頭に書かせていただいたように、これ以上、日露戦争を続けていく事が不可能だった日本にとっては、戦争長期化による敗北を免れる事ができたわけです。

・‥…━━━☆

もっとも、近年では、この伝説の東郷ターンは無かったのではないか?という説も多く囁かれます。

・・・というのも、艦隊のトン数こそ、ロシアが80万トン、日本が25万トンという大差があるものの、ロシアが大きな戦艦をいくつか所有しているかわりに、日本は巡洋艦・駆逐艦・水雷艇などの小さめの船をロシアの数倍持っていた事

備えている砲門の数も日本がロシアの倍近くあった事、また、薬の性能も、日本のほうが上だった事などを考えると、あえて奇抜な方法を取る事もなく、正攻法でも勝てたはずだから・・・なのだそうです。

この海戦のキーポイントは、バルチック艦隊が、ウラジオストックに入港する前に、発見して射程距離に収められるかどうかであって、朝鮮海峡に網を張り、そこにバルチック艦隊が現れた時点で、連合艦隊の勝利は、ほぼ決まったような物だったとも推理できるわけです。

確かに、バルチック艦隊は、母港を出てから7ヶ月・・・途中の港に、ほぼ、立ち寄る事なく、延々と航海を続けて、ここまでやってきたわけで、乗組員たちは、もう、それだけでヘトヘト状態。

逆に、ここで待ち伏せている連合艦隊のほうは、充分な補給・休養がとれていたのですから、勝つべくして勝った戦いだったのかも知れません。

しかし、歴史を楽しむ立場から見れば、やはり伝説の東郷ターンは魅力的!

ただ、この、あまりにもパーフェクトな勝利は、海軍全体に大艦隊&大型戦艦がベストという考えを生む事になります。

日本は、あの真珠湾で、自らが戦闘機の時代の幕開けを見せつけておきながら、戦艦大和が海のもくずとなるその日(4月7日参照>>)まで、この日の大戦艦ベストという夢を追い続けてしまう事となるのです。

●海戦に興味アリの方は・・・11月7日【あの東郷ターンを生んだ武田信玄の甲州水軍】もどうぞ>>
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明治・大正・昭和」カテゴリの記事

コメント

わはははは♪
出た~! でも、やっぱり「東郷ターン」はあったほうがいいです。だって、東郷さんとネルソンを並べたいですからねえ。
 しかし、まあ、巨大戦艦・・・夢ではありますが、航空機は卑怯や・・って思っていた、ヘンな武士道精神も影響あるかも・・。

投稿: 乱読おばさん | 2008年5月27日 (火) 10時17分

やっぱ、あったほうがいいですねぇ・・・東郷ターンも、鵯越の逆落としも、きつつき戦法も、ツバメ返しも・・・

歴史のロマンっちゅーヤツですかね・・・

投稿: 茶々 | 2008年5月27日 (火) 16時53分

患者さんの90代のおばあちゃんが歌ってた歌で尻取り歌なんですが、「すずめ、めじろ」から始まって最後は「バルチック艦隊沈没だ~♪」で終わります(笑)
子供の頃によく歌ったといってました。
東郷さんの影響力ってすごかったんでしょうね~。

投稿: 味のり | 2008年5月27日 (火) 23時49分

すごかったでしょうね・・・

なんせ、あのラッパのマーク「正露丸」が、「征露丸」やったんですもんね~

ラッパの雰囲気と言い、勝ち戦一色やったのでしょうね、当時は・・・

投稿: 茶々 | 2008年5月28日 (水) 00時24分

ウチの死んだお婆ちゃんが日露戦争の戦勝奉祝行事で提灯行列で町を練り歩いたり、獅子舞の門付けがあったり、神社やお堂の境内に露店が出てお祭騒ぎだったって話をしてくれたのを思い出します。お爺ちゃんの義兄が戦艦三笠に乗っていたので、凱旋記念に作った三つ重ねの盃が残ってて、毎年お正月のお屠蘇はその盃で戴いてます。

投稿: マー君 | 2008年5月28日 (水) 01時11分

三笠に乗船・・・スゴイですね・・・

そう言えば、「ちょうちん行列」とか、「花電車」なんていう祝い方は、いつ頃までだったんでしょうね。

なんで、やらなくなったんでしょうか?
何か、禁止令的なものが出たんでしょうか?

どんなものか見てみたい気もします。

投稿: 茶々 | 2008年5月28日 (水) 06時30分

この日本海海戦の歴史的大勝利に敬意を表して同盟国の英国王エドワード七世は明治天皇にガーター勲章を授与しました。ガーター勲章の受章資格はキリスト教徒であること、英国王を表敬訪問することの二つが重要です。しかし明治天皇はいずれも満たしていませんでした。トルコやペルシャの皇帝はイスラム教徒ですが訪英したので授与されています。清国皇帝には一回も授与されていません。以後ガーター勲章は明治・大正・昭和・今上の近代日本の4天皇全てに授与されています。特に昭和天皇の御代には世界大戦で日英開戦となり昭和天皇からガーター勲章は剥奪されました。大戦後に日英国交回復後にガーター勲章の資格が復活されました。今年は今上天皇が訪英時にエリザベス2世女王からガーター勲章を授与されて10周年記念の年にあたります。

投稿: ツシマ | 2008年5月30日 (金) 20時49分

ツシマ様、はじめまして。

貴重なお話をありがとうございます。

投稿: 茶々 | 2008年5月31日 (土) 01時10分

カミタクと申します。

鹿児島県内外の観光スポットと温泉とを紹介する拙HP「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/kagoonin.htm
内のサブ・コンテンツ「東郷平八郎誕生地」
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/KAGKAN87.HTM
から貴記事にリンクを張りましたので、その旨報告いたします。今後とも、よろしくお願いいたします。

投稿: カミタク(リンク先は「東郷平八郎誕生地」) | 2008年9月 6日 (土) 12時36分

カミタクさま、ご報告ありがとうございました。

投稿: 茶々 | 2008年9月 6日 (土) 14時03分

「東郷ターン」はありました。
意外と知られていない事実がありますそれは
みなさん戦艦の設計上の性能だけの理屈をこねています。当時の世界最強天狗の鼻艦隊は
経験と実績でクルーは高いスキルを持っていました。しかし敵なしの慢心で艦船の十分なメンテナンスをしていませんでした。
一番の敗因はスピードです。
 長年ドック入りせず船底の清掃をしない船底にはウツボなどの貝殻がびっしりと蓄積し、それが抵抗となって設計上の性能を十分発揮できなかったことです。

 一方の日本艦隊(日本人は)そのことの重要性を十分理解していました。
 指揮官レベルの人であっても漁師の生活を身近に見ていた人が多い。
 東郷さんと作戦参謀はこのスピードにかけました。
 この事は海上自衛隊では常識であり
新米指揮官とクルーで太平洋を横断し日本へ帰国した後、必ず全員(指揮官含む)でドックあげののち、貝殻を落としを行います。
 その蓄積物の量に驚くそうです。
これをかららは、「経験の貝殻落とし」と言います。指揮官・クルーの経験とスキルは上昇しても。ハードウエアーは必ず劣化します。
 国防の最前線では、理解され当然のことです。
 少々脱線しまっすが、現在の日本の企業に欠けているところですね(苦笑)

 明治の方々は人も、使う道具も、精神も一流だったと思います。
 ここをピークに衰退。今こそあなたのDNAに刻まれた、資質を私を含め目覚めさせたいものです。

投稿: そろそろ本気出そうよ | 2010年12月30日 (木) 15時33分

そろそろ本気出そうよさん、こんばんは~

貴重なご意見ありがとうございます。
幕末&明治を生きた先人たちには尊敬すべき人がたくさんいますね。
このDNAはどこへ??
再び隔世遺伝でよみがえる方向に期待!

投稿: 茶々 | 2010年12月31日 (金) 02時08分

東郷みたいな活躍をこれからの政治家は頑張ろう

投稿: 棒人間 | 2013年2月23日 (土) 13時13分

棒人間さん、こんばんは~

そうですね。
政治家さんには頑張っていただきたいです。

投稿: 茶々 | 2013年2月24日 (日) 00時08分

フィンランドのビール会社が提督シリーズという企画のビールを出していて、東郷平八郎もビールのラベルになっていました。
20数年前に諏訪市の居酒屋で、そのビールを飲んだのですが、ラベルをもらえるかどうか聞いてみてもよかったかな~とちょっとだけ後悔してます。

投稿: とらぬ狸 | 2015年5月27日 (水) 19時17分

とらぬ狸さん、こんばんは~

東郷平八郎は外国で、かなり有名みたいですね。
ビールのラベルはカッコイイなぁヽ(´▽`)/

投稿: 茶々 | 2015年5月28日 (木) 02時50分

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