« 長篠の戦い・もう一人の伝令~信長勝利の鍵 | トップページ | 明治の珍事件~風の神様の落し物?~初の気球実験 »

2008年5月22日 (木)

夏目漱石をも悩ませた一高生の投身自殺

 

明治三十六年(1903年)5月22日、第一高等学校一年生の藤村操(みさお)さん18歳が、日光・華厳(けごん)の滝にて、投身自殺をはかりました

・・・・・・・・・

当時の新聞報道によりますと・・・
“22日の5時頃、旅宿に命じてビール少しばかりを呑み、鶏卵を食し、服装を整えて華厳の滝に至り、ここを死地と定めて懸崖(けんがい)の巌端より、滝壺めがけて真向に身を躍らし、永劫の眠を致せしものならん”
とあります。

時は明治三十六年(1903年)・・・日露戦争を前にした人々の不安が、重苦しく感じはじめた頃。

ずいぶん前の、尾崎紅葉さんのご命日に『金色夜叉』の大ヒットのお話(10月30日参照>>)を書かせていただきましたが、ちょうどその頃、急激に資本主義が勢いを増し、世間には成金が登場し、高学歴&高収入が一番理想的という考え方が目立つようになった時代背景がありました。

そんな時、エリート中のエリートで未来を約束されたような存在である一高生が、突然自殺する・・確かに、センセーショナルではありますが、それだけなら、一学生の自殺事件として、さほど話題にもならなかったかも知れません。

ところが、この学生が、かたわらに立つ大樹をナイフで削って、『巌頭(がんとう)之感』なる遺書を残していた事で、一大事件として報道される事になるのです。

その文とは・・・
“悠々たる哉(かな)天壌
 遼々たる哉古今
 5尺の小軀
(しょうく)を以て
 この大をはからむとす。
 ホレーショ
(ハムレットの登場人物)の哲学
 竟
(つい)に何等(ら)オーソリティーを價(あたい)するものぞ、
 万有の真相は唯一言にて悉
(つく)す。
 曰く『不可解』
 我この恨を懐
(いだ)いて煩悶(ほんもん)
 終
(つい)に死を決するに至る。
 既に巌頭に立つに及んで胸中何等不安あるなし
 始めて知る大なる悲観は大なる楽観に一致するを”

なのだそうですが・・・

文章がスゴすぎて何を言ってるのかさっぱりワカラン・・・

とにかく、
人生とは何だ?
何のために生きるのか?

てな哲学的な事を、ものすご~く悩んでおられたようです。

この遺書が名文だとして、たちまち世間の絶賛を浴び、ちまたには「人生不可解」「煩悶」などの言葉が流行語となるのです。

『万朝(よろず)報』社長の黒岩涙香(るいこう)という人は、自身の著作や講演で、
「この少年は、日本で初めての哲学者だ」
「近来、このような名文を見た事がない」

などと、絶賛しまくります。

しかし、そこまで、持ち上げると当然、その反対意見も登場します。
「自殺とは個人の満足以外の何物でもない」by長谷川天渓

しばらくの間は、賛否両論、様々な意見が新聞紙上を賑わす事になるのですが、こういう出来事があると必ず、連鎖反応が起こるのは困ったものです。

なんと、この自殺事件の後の5年間で、華厳の滝に身を投げた人が200人近くになったのだとか・・・もはや、社会現象です。

そして、ここに、もう一人・・・この事件の事で悩んでいた人がいました。

かの夏目漱石です。

そう、漱石は、一高で、彼・藤村君を受け持っていたのです。

しかも、数日前、最近、英語の授業をバックレてばかりいる彼に「やる気がないなら、もう学校に来なくていい!」叱ったばかりだったのです。

悩みに悩んで、心の病気なってしまった漱石は、2ヶ月後に奥さんと別居するまでになってしまっています。

まぁ、その気分を紛らわすために、執筆活動に専念し、文壇デビューとなったのですから、悩んだ甲斐もあったのかも知れませんが、結局、漱石は最後まで、心の病と縁が切れなかったわけですし・・・。

しかし、やがて、彼の自殺の原因が哲学的な物ではなかった事が明らかになります。

実は、彼は、ちょっとした知り合いであった菊池松子さんという年上の女性に恋をしていて、彼女が憲法学者の美濃部達吉との結婚が決まった事にショックを受けての自殺だったのです。

もちろん、ご本人が亡くなっていますので、絶対とは言い切れませんが、日光へ出かける際、彼女に会いに行き、「これを読んでください」と、重要な箇所に線引きをした(ラブレターともとれる)本を一冊手渡してから失踪したと言われています。

結局、この事がわかってからは、新聞は、「高尚な哲学ではなく、単なる失恋だった」と、この事件の事を嘲笑的に報道するのですが・・・

それはそれで、藤村君が気の毒な気がします。

もちろん、自殺はいけませんが、失恋は失恋で、18歳の少年にとっては大きな悩みです。

まして、恋の相手の松子さんは当時の文部大臣の娘・・・その結婚相手が憲法学者となると、学生であるが故の、自分の力の無さ、年齢の若さを痛感したはずです・・・それが叶わぬ恋と知りつつ・・・。

ワタクシ個人的には長谷川天渓さんの「自殺は個人の満足のみ」という意見に賛成しますが、だからと言って、嘲笑はないだろうと思います。

持ち上げたかと思うと、嘲笑する・・・何だか、マスコミのそんな部分が引っかかって、後味の悪い一件になったような気がしてなりません。

もちろん、連鎖反応もいけません。
本当に悩んでいるかたは、『いのちの電話』というキーワードで検索してみてください。

 

内容が「よかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】で応援を・・・
このブログの人気ページとしてランキングされます
(゚ー゚)あなたの応援で元気でます!

    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ



 

 


|

« 長篠の戦い・もう一人の伝令~信長勝利の鍵 | トップページ | 明治の珍事件~風の神様の落し物?~初の気球実験 »

明治・大正・昭和」カテゴリの記事

コメント

藤村操さん、18歳とはあまりにも若い…。それに遺書が文学的、哲学的すぎます。
私は「今日も存分に生き恥をさらすぞーっ!」と毎日やけくそ気分で生きております。


マスコミの対応も昔からこんなことばっかりなんですね。というより人間が昔からレベルが変わってないってことでしょうか。人のこと言えませんけど…。


昭和になっても坂田山での心中事件がありましたね。女性の遺体が一時行方不明になるなどミステリー感もあるエピソードでした。
この事件についても、いつかぜひ茶々様に書いていただきたいです。

投稿: とらぬ狸 | 2015年5月22日 (金) 22時58分

とらぬ狸さん、こんばんは~

最近は、ネットという物の登場で、報道のありかたも、色々と変わりつつありますね。

受け取る側もネットリテラシー力を身につけなければなりませんね。

投稿: 茶々 | 2015年5月23日 (土) 01時04分

美濃部云々の元ネタは思うに宮武外骨の『明治奇聞』ではありませんか?
もし違うのであれば、ご指摘下さい。

『明治奇聞』にて宮武外骨は『松子』と書いたわけですが、実は名前が違うのです。
菊池大麓の娘の名前は『松子』ではなく、多美子です。

投稿: ジョニー | 2015年9月13日 (日) 20時47分

ジョニーさん、こんばんは~

多美子さんは松子さんの妹さんですね。
この姉妹の他にも、失恋の相手と推測される女性は何人かおられるようですが、もともとは、失恋が原因かどうかもよくわかって無いお話らしいです。

すみません。
『明治奇聞』は読んでないのでわかりません…申し訳ないです。

投稿: 茶々 | 2015年9月14日 (月) 18時45分

宮武外骨も『明治奇聞』を書くにあたって、他書籍や新聞等から抜書きしている節があるようなので、もしよろしければ 茶々さんがこの記事を書くに当たって参考にされた書籍等をお教えくださいませんか?かなり気になってます。


>多美子さんは松子さんの妹さん
どこまで信用できるかはわかりませんがウィキペディア等でも美濃部に嫁いだのは『多美子』あるいは『たみ』は菊池大麓の長女となっているんですよ…。

また美濃部亮吉の項目を調べますと、美濃部達吉に嫁いだのは『松子』とはなっていないんですよね。
『世界大百科事典 第2版の解説
みのべりょうきち【美濃部亮吉】
1904‐84(明治37‐昭和59)
経済学者,政治家。美濃部達吉と菊池大麓の娘多美との長男として東京に生まれる。1927年東大経済学部卒。法大教授,内閣統計委員会事務局長,教育大教授などを歴任。67年4月,恩師の大内兵衛や社会党,共産党,各種革新団体の支持を得て東京都知事に当選,79年まで3期12年間在職。平和憲法を都政に生かすことと,都民との〈対話〉により地方自治体を住民に近づけることに努めた。また都職員に〈寝た子を起こせ〉と,因襲を破り,すべてまず都民の立場から考えるよう説いた。』

投稿: ジョニー | 2015年9月14日 (月) 23時23分

ジョニーさん、こんばんは~

書くにあたっては、いくつかの書籍を参考にしたと思います。
ネットではなく、自分の持っていた書籍を参照した事は確かなのですが、なんせ7年前なので…

今回、「これかな?」と思う本棚の書籍をいくつか読みなおしてみましたが、お相手の女性に関する事は、未だに見つけられず…この7年間に処分してしまった物もあるので、見つからない可能性も…

ただ、国会図書館の近代デジタルライブラリーにある宮武外骨の著書『近世自殺者列伝』>>では、やはり松子さんになってますので、ご指摘の通り、参照した物の一つは、宮武外骨の関連の書籍だったかも知れません。

頼りないお返事で申し訳ないです。

投稿: 茶々 | 2015年9月15日 (火) 03時39分

茶々さん、こんにちは。
作業所で冷たい扱いをされ、知人の看病で疲れ切っている私には藤村操の気持ちは痛く分かります。私もノイローゼになっています。例の南北朝で過激な事を書いたのもそんな感じです。でも分かるのです。この時代も今も何も見えません。家みたいに明治維新、敗戦、就職難で落ちぶれた一族には出世しかないのですが、藤村操にしても分裂状態になってしまう感じがします。実際死にたいと思う事はたびたびあります。それぐらいに江戸時代までののんびりした時代と全然違う感じがします。特に携帯で呼び出される私は携帯を捨てたいくらいです。看病と言いながらもパワハラに悩まされていますから・・・

投稿: non | 2015年9月15日 (火) 13時38分

茶々さん、丁寧なご返答ありがとうございます。『近世自殺者列伝』は未読だったのでありがたいです!

投稿: ジョニー | 2015年9月15日 (火) 20時18分

nonさん、こんばんは~

nonさんは、きっと繊細な方なのでしょうね。
人間、体が資本です。
無理をなさらぬようご自愛くださいませ。

投稿: 茶々 | 2015年9月16日 (水) 02時15分

ジョニーさん、こんばんは~

記事の中には、「○○によると…」と出典を明記している場合もありますし、例え明記していなくても、「ここは、この書籍のこの部分を参照した」とハッキリと覚えてる物もあるんですが、ほぼ10年ブログをやってると、覚えていないページもあるわけで…

このページはもちろん後者ですが…
ホント申し訳ないです。
昔の本も時々読みなおしたりしてますので、気長に探してみます。

投稿: 茶々 | 2015年9月16日 (水) 02時23分

失恋が原因だろうが、授業で叱責されたのが原因だろうが、自決の決断を正当化しようとした藤村の卑怯さに憤りを覚えます。
私は日本有数の景勝地に負の印象を残した彼を許せません。

投稿: 一高如き | 2015年10月29日 (木) 16時07分

一高如きさん、こんばんは~

そうですね。
何があろうと、自らの命を断つ事は、あってはならないと思います。

投稿: 茶々 | 2015年10月30日 (金) 02時42分

教え子が自殺したのはショックだったことでしょうね。夏目漱石は悩みやすく落ち込みやすい性格だったと聞きます。
今日ニュースで見ましたが当人うり2つの蝋人形がお披露目されました。

ところで夏目漱石の記事はこれを入れて3つしかないんですね。今日でちょうど没後100年と言う事で探しましたが、例えば「坊っちゃん」の初版が発売された日、の様な項目がないですね。

投稿: えびすこ | 2016年12月 9日 (金) 21時25分

えびすこさん、こんばんは~

ブログ全体2500ちょっとのページの中で約1400人ほどの名前が登場してますから、ほとんどの歴史人物が1ページのみですし、一つのページに複数の方の事を書いてる場合もありますし、そもそも、大好きな歴史人物でも、日付けの関係で、まだ書いて無い人物もいますので、自分で言うのもお恥ずかしいですが…
一人の方に3つのページは多い方だと思いますよ。

古典文学は読みますが、近代の小説=創作物の書籍は読まない私ですので、小説家の方はちと苦手分野です(*´v゚*)ゞ

投稿: 茶々 | 2016年12月10日 (土) 02時09分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/47570/21087126

この記事へのトラックバック一覧です: 夏目漱石をも悩ませた一高生の投身自殺:

« 長篠の戦い・もう一人の伝令~信長勝利の鍵 | トップページ | 明治の珍事件~風の神様の落し物?~初の気球実験 »