毛利元就・九州制覇へ~立花城・攻防戦
永禄十二年(1569年)閏5月3日、毛利元就が大友宗麟の傘下となっていた筑前・立花城を奪回しました。
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戦国の始め、中国地方に一大勢力を誇っていた大内氏と尼子氏・・・。
はじめは、その傘下で、安芸(広島県・西部)一国の小大名でしかなかった毛利元就が、弘治元年(1555年)、屈指の奇襲作戦・厳島の戦い(10月1日参照>>)で、事実上大内氏の実権を握る陶隆房(すえたかふさ)を破り、さらに、当主の大内義長を自刃に追い込み(4月3日参照>>)、大内氏を滅亡させます。
そして、永禄九年(1566年)、今度はかつての主君であった尼子氏の月山・富田城を攻め(11月22日参照>>)、尼子義久を幽閉し、尼子氏を事実上の滅亡に追い込みました。
これによって、山陽・山陰の大部分を手中に収める事になった元就・・・更なる領地拡大を狙って、次のターゲット・九州の北部へと狙いを定めます。
しかし、この頃の九州北部は、豊後(大分県)の王・大友宗麟の勢力範囲・・・九州に絶大な力を誇る宗麟相手ですから、なまじ正攻法で立ち向かっていけば、容赦なく反撃される事は明らか・・・。
そこで、元就は永禄十年(1567年)頃から、筑前(福岡県)一帯の大友の傘下である岩屋城(福岡県・大宰府市)の高橋鑑種(あきたね)、古所山城(こしょさんじょう・福岡県甘木市)の秋月種実(たねざね)、立花城(福岡県新宮町)の立花鑑載(あきとし)らに密使を送り、毛利側に寝返るように求めていました。
やがて、前後して、彼らは毛利方に付くのですが、当然、その事実を知った宗麟が、黙って見ているはずはありません。
永禄十一年(1568年)7月23日・・・まずは、立花城攻めにかかる宗麟。
毛利の傘下になったとは言え、毛利本隊の支援を受けていない立花城が、強大な宗麟に攻撃されては、ひとたまりもありません。
その日のうちに、城主・鑑載は自刃に追い込まれ、立花城は宗麟の手に落ちます。
しかし、そうなると、今度は元就が、それを黙って見過ごすはずがありません。
翌月の8月には、元就の命を受けた吉川元春(元就の次男)、小早川隆景(元就の三男)らが、関門海峡を越えて、豊前(福岡県・東部)へと進攻します。
さらに、明けて、永禄十二年(1569年)の4月には、元就自身が4万の大軍を率いて、九州へ上陸・・・豊前を経て筑前に入り、立花城へと迫ります。
やがて、開始された猛攻撃でしたが、大友の城兵も、そう簡単には負けません。
しかし、さすがに4万の大軍・・・しかも毛利軍は、アリの這い出る隙間もないくらいに、ピッシリと城の包囲を固め、立花城を孤立させ、周囲との連絡を取れない状況に追い込みます。
そして、1ヶ月耐えた城も、とうとう降参・・・永禄十二年(1569年)5月3日、立花城が開城されるのです。
見事、立花城を奪回した元就・・・彼は、この戦いに出るにあたって、「豊前と筑前一帯を制圧するまで、安芸には戻らない」と、宣言しており、その宣言通りに、この勢いのまま、さらに宗麟を脅かすべく進攻するつもりでいました。
ところが、その頃・・・留守にしていた山陽・山陰一帯で、とんでもない事が起こってしまいます。
滅ぼしたはずの大内氏と尼子氏が、毛利の支城に次々と攻撃を仕掛けて来たのです。
かつての月山・富田城の攻防戦で生き残った山中鹿之介(幸盛)が、京都で僧侶になっていた尼子氏の血を引く尼子勝久を当主に担ぎ上げて再起を計り(7月3日参照>>)、それに、義長の養父・大内義隆の従兄弟・大内輝弘が同調したのです。
進むべきか・・・撤収すべきか・・・
激論が交わされた末に、毛利軍は、大内・尼子両氏を討伐すべく、全軍で勝久らに制圧された出雲(島根県)へと戻ったのです。
この時、すみやかに全軍で撤収したおかげで、出雲を奪回する事はできましたが、結局、元就は、せっかくの九州制覇への足がかりを失う事になってしまいました。
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