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2008年5月 9日 (金)

大江戸・プロフェッショナルな女性事情

 

今回は、おそらく『教科書に載らないだろうシリーズ』【大江戸・堕胎業禁止令】5月2日参照>>)の続き・・・その時に、「近いうちに」・・・と追記させていただいていたプロフェッショナルな江戸の女性のお話をさせていただきます。

またまた下ネタではありますが、これも歴史の一面という事で、お許しを・・・

・・・・・・・・・・

以前、【三くだり半】(5月15日参照>>)のところで書かせていただいたように、こと法律においては、『大宝律令』の昔から、何となく男尊女卑感が拭えないですねぇ。

当時、世界最先端の大都市であった江戸でも、男性側からは、三行半の手紙一枚で離婚できるのに、女性側からは、豊臣秀頼の娘さんの作った駆け込み寺(昨日・5月8日参照>>)へ逃げ込んで、おかみのご沙汰を待たなくちゃならない・・・

・・・と、何となく女性が不幸なイメージがありますが、その三くだり半のページにも書かせていただいた通り、江戸時代の男女の比率は、だいたい3:1・・・つまり、男性全員が一人の奥さんとしか結婚しなくても、二人の男性が余ってしまうわけです。

まして、現在のように一夫一婦制が確立されていたわけではなく、お金持ちは平気で、何人ものお妾さんを囲う時代ですから、ますます男は余ってしまうわけで、女性の側から見れば選び放題・・・必然的に、男尊女卑をひけらかすような男はモテないわけです。

必死で彼女のご機嫌をとって、必死で彼女に嫌われないよう努める・・・それでも、彼女や奥さんを獲得した人は良いですが、上記の通り、絶対に余ってしまいます。

・・・で、当時大ハヤリだったのが、プロのお妾集団です。

これは、自分で見つけたカワイイ女性をお妾に・・・というのではなく、お妾が欲しいと思う男性が口入屋(くちいれや)に行って、そこの主人に頼み、主人は自分の知ってるプロの集団から、女の子を紹介するという物・・・。

この口入屋というお店は、ウラ稼業ではなく、れっきとした職業紹介所・・・今で言うハローワークみたいな物で、ちゃんとしたまじめな職業も紹介していた・・・というか、そっちがメインですが、同時に、こんな紹介もやってたんですね。

当時は売春禁止法っつーのがありませんから、これも、一つの商売・・・売るほうも買うほうも、紹介するほうも、ビジネスと割り切ってのお付き合いなんでしょうね。

そんな中、『風軒遇記(ふうけんぐうき)という文献には、明和・安永年間(1764年~1781年)に、史上最悪のプロのお妾集団が存在した事が書かれています。

この集団の名は「通称:小便組」と呼ばれたそうですが、ここに所属する女性はいずれも美人揃いで教養も高く、中には武家の娘もいて、価格ランクも上の上・・・

一両あれば、一年分の米を買える時代に、彼女たちは、契約時の支度金だけで三両~五両・・・もちろん、月々のお手当ても別にいるわけですから、ハンパじゃありません。

・・・という事は、やっぱり彼女たちと契約する男も、それなりにお金を持っている男でなくては、話になりません。

そして、首尾よく、お妾となる契約が成立したら、まずは、彼女たち・・・例のごとく上手に甘えて、お金やプレゼントをねだります。

高級感あふれる彼女たちですから、男のほうも張り切って、それに見合う高級な品々をプレゼント・・・やがて、散々金品を吸い上げた後、ころあいを見計らって、一緒に寝所に入った夜に、オネショをするのです。

突然の事にびっくりする男・・・そのただ一度で、冷めてしまう者もいれば、一度や二度は何とも思わない人も・・・そして、やたら怒る人もいますが、とにかく、相手が愛想をつかして、「もう、いらない」と言うまで、毎晩々々、オネショが繰り返されるのです。

中には、「小で効き目がないなら・・・」と、大をした女性もいたとか・・・。

・・・で、ようやく男が「縁を切りたい」と申し出たところで、高額の手切れ金を要求・・・そして、フリーになったら、また口入屋から紹介してもらって・・・という具合に、詐欺的行為で大儲け!

彼女たちの事が世間に知れ渡るまでの10年間ほどで、ガッポリと稼ぎまくったのたとか・・・そして、世間に、集団の事がバレるようになったところで、キッパリとやめてしまうところまで、まさにプロ・・・。

悪女に手玉に取られ、食い物にされた男性諸君が、その後、立ち直られたのかどうかが心配ですが、これは、あくまで事件・・・一般的ではない話なのでご安心を・・・
 

なんせ、江戸も後期の天保年間(1830年~1844年)には、「安囲い」というシステムが登場するそうですから・・・(男性諸君はぜんぜん懲りてない)

これは、「一人でお妾さんを囲うほどのお金持ちじゃないけど、やっぱお妾さんを囲いたい」という男性たちが集まって、何人かで一人のお妾さんを囲い、その費用をワリカンにしようという、「何て事するんだ!」と言いたくなるようなシステムですが、女性も承知して契約を結んでいた事を考えたら、どっちもどっち・・・。

やがて、黒船でやってきたあのペリーさんによって、「日本人は、平気で裸体を見せる未開な人種」と言われた事で、維新を成した明治政府は、混浴をはじめ、裸や男女関係に対する、それまでの日本の観念を払拭しようと、様々な事を禁止し、法律を定める事によって、国もそして、日本人自身も、明治以前の考え方が一掃される事になります。

しかも、この、明治の頃には、人口の男女比も、女性が男性の数を上回るようになっていたため、江戸時代のような事は無くなりました。

今では考えられないお妾さんシステムですが、現在とは、根本的に尺度が違いますから、同じ土俵の上で比べる事はできません。

・・・で、冒頭にも書かせていただいたように、これも、歴史の一面という事で、今日は書かせていただきました。
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