« 笹の才蔵こと可児才蔵~愛宕にまつわる死の予言 | トップページ | 秀吉・もう一つの一夜城~石垣山城の謎 »

2008年6月25日 (水)

でるか?徳川埋蔵金伝説

 

最近、テレビでやらなくなりましたねぇ・・・徳川埋蔵金

一時は、某コピーライターさん指揮のもと、自称・超能力者まで総動員し、大型重機を使って、あちらこちら掘り返していましたが・・・。

かく言う私も、こういう類のお話は、決して嫌いではありません。

そもそも、このお話のでどころは、明治維新の時に徳川から明治政府に渡された財産が、あまりにも少なかった事にたんを発します。

最後は、完全崩壊しちゃったとは言え、250年間も君臨し続けた徳川幕府ですから、それなりの額の財産はあったはず、「なのに、こんだけかい!」というところから、「どこかに、隠したんじゃないの?」ってな話になって、埋蔵金伝説なる物が誕生するわけですが・・・。

最も有名なところでは、幕末の頃に幕府の勘定奉行をやっていた小栗忠順(おぐりただまさ)(4月6日参照>>)さんのウワサ・・・。

彼は、大政奉還後も徹底抗戦を訴えて、その強固な姿勢を崩しませんでしたが、その強固すぎる主張のため免職となり、幕府が崩壊する前に、故郷の上野(こうずけ・群馬県)に戻ってしまっています。

その時に、万が一の時のために隠してあった軍資金・360万両を持ち逃げしたという噂があったものの、維新後に新政府によって、彼が処刑されたため、そのお金のありかも不明になったという物です。

しかし、当時、本当に持ち出すようなお金が幕府に残っていたんでしょうか?

文久三年(1863年)と元治元年(1864年)に起こった下関戦争(8月8日参照>>)の賠償金やら、2度の長州征伐やらに多額に費用がかかり、この頃の幕府は大変な財政難に追い込まれていたとも言われています。

現に、ウワサの勘定奉行・小栗さん・・・蝦夷地(北海道)開発の権利と引き換えに、フランスから600万ドルの借金をしようと、慶応二年(1866年)の8月20日9月25日の二度に渡って、フランス経済使節のクーレと交渉を行っているのです。

600万ドルと言えば、当時のお金で約450万両・・・これだけあれば、幕府の運営もしばらくはもちます。

・・・って事は、このお金を持って逃げた?

いえいえ、実は、この借金交渉は決裂してしまい、実際に借り受ける事はなかったのです。

それは、この交渉が開始されて、ほぼ約束が固まりはじめた翌年の慶応三年・・・その年に行われたパリ万博に、幕府と並んで薩摩藩が出展していたため、ヨーロッパの人たちが幕府と薩摩藩は同列の国だと思い込んでしまった事、また、同じ年の10月には大政奉還(10月14日参照>>)が行われていますが、以前も書かせていただいたように、この時点では、幕府はまだ、その態勢を維持したまま、この先も、別の形で存続するつもりでいたのですが、やはりヨーロッパからだと、大政奉還=幕府の崩壊に思えた事で、「もはや、終る政府に金は貸せない」となってしまったのです。

・・・て、事は、やっぱりお金はない・・・。

いやいや、まだ、他にも埋蔵金伝説はあります

それは、甲州街道・・・江戸時代に「五街道」と呼ばれた重要幹線の中で、東海道中山道は将軍のいる江戸と天皇のいる京都を結ぶため、確かに重要。

また、奥州街道も東北と江戸を結ぶ重要な幹線。
日光街道は、われらが権現・家康さまの日光東照宮への道ですから、これまた重要。

・・・で、甲州街道は・・・

以前、服部半蔵(11月4日参照>>)のところで書かせていただいたように、この甲州街道は、家康がまさかの時のための逃亡ルートとして用意した街道だとも言われ、家康は、「ここを通って、いざという時は上州を本拠地に、再起を計れ」と言ったとか、言わなかったとか・・・

それで、このルート沿い、あるいは上州に、家康の頃からの軍資金が、脈々と受け継がれているのでは?と囁かれているのです。

また、このように、国内に隠したと見せかけて、実は海外に・・・という海外埋蔵金伝説もあります。

それは、先に登場したパリ万博・・・このパリ万博を、15代将軍・徳川慶喜の弟・徳川昭武(あきたけ)が見物し、その後もしばらく留学していた事はすでに書かせていただきました(3月7日参照>>)が、この時期に、将軍の弟を海外留学させる・・・そこに、お金を持たせないわけはありませんし、ひょっとしたら、まさかの時に、起死回生の一発を放つための軍資金を持たせた可能性もなきにしもあらずといったところでしょうか。

また、慶応四年(1868年)には、早丸という幕府の船が、財宝を積み、秘密裏に嵐の中を出航した・・・なんて、まことしやかな伝説もあります。

しかも、この船は、その後、行方不明になったのだとか・・・って事は、もし、嵐の中沈没していたら、今も、お宝とともに、船は海に眠ってる?なんて事もあるかもです。

・・・・・・・・・・・

以上、噂が噂を呼ぶ徳川埋蔵金伝説ですが、今のところは、あくまで伝説です。

ただし、もし、実際に埋蔵金を見つけたとしても、速やかに文化庁に届けねばならず、届けた後は、その文化庁の管理下になるため、発見者には、何割かのお礼金が支払われ、後は手出し無用・・・って事で、大金を投資しての発掘は、「夢を買う」という心意気でない限り、ワリには合わないというのが、ホントのところのようです。

でも、イロイロ想像すると楽しいですね~。
 .

内容が「よかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】で応援を・・・
このブログの人気ページとしてランキングされます
(゚ー゚)あなたの応援で元気でます!

    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ



 

 


|

« 笹の才蔵こと可児才蔵~愛宕にまつわる死の予言 | トップページ | 秀吉・もう一つの一夜城~石垣山城の謎 »

江戸時代」カテゴリの記事

怨霊・伝説・昔話・不思議話」カテゴリの記事

コメント

埋蔵金は無かったでしょう今の政府も官僚や個々の議員は資産を持ってても、政府自体は赤字運営ですからねぇ、また…よしんば蓄財が有ったとして、幕末の動乱期に幕府中枢に居た者達で分配してしまえる程の金しかなかったんじゃないでしょうか。幕府崩壊の折に行き掛けの駄賃とばかりに私腹を肥やした悪大名・悪代官・悪奉行・悪徳役人が多数居たってのは、少々うがった見方でしょうかね。

投稿: マー君 | 2008年6月25日 (水) 10時02分

マー君さん、こんにちは~

埋蔵金・・・冷静に見ると・・・
おそらく無かったでしょうね。

でも、一つの浪漫として、「あったらいいなぁ・・」という希望は持っていますが・・・

投稿: 茶々 | 2008年6月25日 (水) 14時08分

確かにロマンは有りますがねぇ。徳川埋蔵金が万が一見つかったとして、その総額って現在価格に換算すると幾らぐらいなんでしょうかね。徳川埋蔵金もさることながら、日本各地には有名な武将の隠した埋蔵金伝説が多数残されてますよね甲斐信濃方面では武田信玄の軍資金が残され、今も何処かの山中に眠ってる。だとか、富山の方じゃ佐々成政の埋蔵金伝説が有名ですね。然しどれもこれも憶測の域を脱しない眉唾ものの夢物語と言わざるをえませんね。それが証拠にどの埋蔵金もビタ一文見つからないんですから。でも、万が一…日本全国に伝わる埋蔵金伝説が全て真実で、あっちの山から数百億、こっちの山から数千億、瀬戸内海から小早川水軍の財宝が何千億、東海沖から九鬼水軍の財宝が何千億なんて具合に一度に発見されたら、今の赤字財政もチョットは解消されるんでしょうが、それこそ夢のまた夢ってぐらい現実離れした絵空事ですね。

投稿: マー君 | 2008年6月25日 (水) 17時35分

あの番組は私も見てました~(笑)
川口探検隊と一緒なんですよね。
CMで引っ張ること引っ張ることwww
テレビからはなれられませんでした。
あの有名な「食う寝る遊ぶ」を生み出したコピーライターさんでしたが、今もあると信じているのか聞いてみたいですね。
私は・・・・・・うっかり信じちゃう方ですね(笑)

投稿: 味のり | 2008年6月25日 (水) 21時16分

マー君さん、こんばんは~

富山湾には、積荷を積んだままの北前船が沢山沈んでる・・・なんて話も聞きますが、こういう個人の物の場合は、発見後はどうなるんでしょうね~

いつか、武田信玄の隠し金山の話も書いてみたいと思ってます。

投稿: 茶々 | 2008年6月25日 (水) 23時17分

味のりさん、こんばんは~

>川口探検隊・・・

私も見てました~
小学校の時は、完全に信じてましたが・・・(笑)さすがに、今は・・・と、言いながらも、FBI超能力捜査官に釘付けの今日この頃です(#^o^#)

投稿: 茶々 | 2008年6月25日 (水) 23時22分

もしも本当に徳川埋蔵金が発見されたらトップニュースになるくらいの事ですね。昔、ビートたけしさんが「あの企画はおかしいよ」と言っていました。シリーズ放送しているのに発見のニュースを聞かないから。最近日本国内で埋蔵金発見のニュースを聞きませんね。工事現場から数十億円のも大判小判発見、なんて言うニュースです。

ところで松平忠輝についてまだ触れていないですね。ま行の「松平」の項目を見たんですが、忠輝について詳しく触れているページがないですね。今年中に「記念日」があれば掲載できますか?他の人との兼ね合いもありますが。来年のNHK大河ドラマで、出る可能性のある人なので興味あります。私の田舎と少し縁がある人なんです。

投稿: えびすこ | 2010年6月 6日 (日) 12時04分

えびすこさん、こんにちは~

その日あった出来事を探してみて、その日の気分で書いているので、重要人物でも、まだ登場していない方はたくさんおられると思います。

また、機会がありましたら…よろしくお願いします。

投稿: 茶々 | 2010年6月 6日 (日) 16時35分

結論から言います

埋蔵金探しはそれが出てこなくてもビジネスとして成立することがある。

十年ぐらい前ですか、この赤城山を明治時代から掘ってる家の人が25メートル下から数枚の小判を発見したと報告。新聞はさらに「しかし、江戸時代に25メートルも掘る技術があったのかと疑う専門家もいる」と付け加えていた。私は「え?でも出てきたんでしょ」と思ってはたと膝をうったのです。それは以前によんだフィリピンの埋蔵金探しの話で、それは現地とアメリカ人埋蔵金ハンターが(いいですか?いきますよ)第二次大戦中に山下大将が莫大な金を盗んで埋めたと信じている。戦争そっちのけで。金持ちだけど常識はないアメリカのおっさんはもち自分で汗をかくつもりはないので現地人を雇って掘らせる。で、現地人は何年かして何も見つからず雇い主があきらめかけると「極秘情報がある。あそこだ」「あと一息」「新情報だ」などど炊きつけて
アメリカ人の興味を引きとめ、雇用継続、たまには「ああー!コインは見つかったあー!有望だといったでしょ?」などど少量をプラントすることも。

私が何をいいたいか、お分かりですね?まあ、この水野という一家が誰かを騙しているとは思いませんが。

投稿: 知られざる埋蔵金ビジネスの実態 | 2011年1月25日 (火) 17時08分

黄金は地鎮目的で埋納したりしますよね。以前、自分のブログで考古学的観点からの埋蔵金話を書いたのですが、アクセスが異様に多くて(笑)、みなさんこういう話お好きなのですねぇと思いました。

投稿: 黒駒 | 2011年1月25日 (火) 19時40分

知られざる埋蔵金ビジネスの実態さん、こんばんは~

楽しいお話をありがとうございます。

投稿: 茶々 | 2011年1月26日 (水) 01時40分

黒駒さん、こんばんは~

もう、糸井さんは掘ってくれないんでしょうかね?
なんだかんだで、けっこう見てしまうんでしょうけどねぇ

投稿: 茶々 | 2011年1月26日 (水) 01時44分

はじめまして。
もし小栗が小判360万両(千両箱3600個?)を引越し荷物と一緒に運ぼうとするとすごいことになると思いますが、それを追求するのは野暮ってもんでしょうか。
引越し荷物と別に運んだとしても運搬のためにかなりの人数が必要でしょう。人目につかぬように運ぶのは無理な気がします。
案外マー君様が言われるような連中が金を持ち逃げしていて、江戸城の金庫が空なのを小栗のせいにしたのかもしれません。

投稿: りくにす | 2012年6月25日 (月) 18時31分

りくにすさん、こんばんは~

夢として語るぶんには楽しいですが、たぶん、出ては来ないでしょうね~

投稿: 茶々 | 2012年6月25日 (月) 23時26分

本当は私も埋蔵金はないものと思っております。ただ、当時の人がそれだけの大金を運搬可能だと考えていたのか野暮な考察をしてみたものです。
江戸の街は運河で利根川とつながっているので伊勢崎あたりまで船で行けそうです。それでも大荷物なのには変わりがないし、隠し場所までは陸路のみですよ~。
小栗が一度に金を持ち出したのではなく、前もって少しずつ運んでおいていざというときに掘り出すパターンも考えられますが、出すとき不便なのでありえないと思ってます。
江戸の水路の名残は「ブラタモリ」などで紹介されていましたが今朝まで忘れておりました。コピーライターさんの番組は…見た記憶がありません。

投稿: りくにす | 2012年6月26日 (火) 21時46分

りくにすさん、こんばんは~

コピーライターさんの番組は、様々な噂や文献や羅を検証して場所を特定し、重機を使ってそこらへんを掘る物で、2時間のスペシャルでシリーズ化されていて、かなり有名でした。

きっと、りくにすさんはお若いのでしょうね。
ずいぶん前の番組ですから…

投稿: 茶々 | 2012年6月27日 (水) 01時02分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/47570/21874251

この記事へのトラックバック一覧です: でるか?徳川埋蔵金伝説:

« 笹の才蔵こと可児才蔵~愛宕にまつわる死の予言 | トップページ | 秀吉・もう一つの一夜城~石垣山城の謎 »