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2008年7月14日 (月)

一か八かの廃藩置県~県名の由来は戊辰戦争の復讐?

 

明治四年(1871年)7月14日、明治政府により、藩を廃止して県を設置する詔書・・・いわゆる廃藩置県が発布されました。

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江戸時代には、藩という独立国家の集合体であった日本・・・戊辰戦争(6月18日参照>>)に勝利した明治新政府は、旧徳川の領地を直轄地としたものの、未だ、それ以外の場所は未だ江戸時代の統治の状況のままでした。

欧米列強が徐々にアジアに進出してくる中、日本が植民地とならないためにも、一刻も早く全国が一つの国家=中央集権国家になる事が必要です。

そこで、行われたのが明治二年(1869年)の藩籍奉還(はんせきほうかん)(6月17日参照>>)という藩の領地と領民の戸籍を天皇・新政府に返すという物でしたが、それは結局、藩主が知藩事という名前に変わっただけで、政治的なシステムとしてはほとんど変わらない状態・・・何とか、中央に力を集めようと、各藩の兵力の縮小を行えば、かえって反感を買うばかり、といった状況でした。

「これではいかん!何とか中央集権を推し進めなければ・・・」
・・・と、新政府メンバーは考えるのですが、実はこの時、バラバラだったのは日本の国だけではなく、新政府のメンバーもまったくバラバラの状態だったのです。

改革をしなければいけないという思いだけは同じですが、なら、具体的にどうする?となると意見はまとまらない・・・それぞれの出身藩の思惑もからむし、それぞれが個性的なメンバーばかりですし・・・。

制度改革の会議を開けば、あの大久保利通は初日から欠席。

「そんなんされたら、まともに会議でけへんやんけ!」
と、大久保の欠席を知った西郷隆盛が途中から欠席し始めると、今度は、それを見た木戸孝允も欠席・・・。

こりゃ、アカン!と、政府内の人事を大改造・・・全参議が辞任し、西郷と木戸が新参議となり、三条実美(さねとみ)岩倉具視以外の公卿は、全員排除される事に・・・。

そして、このゴチャゴチャ状態を一気に打開するため、長州(山口県)出身の鳥尾小弥太野村靖井上馨(かおる)らによって行われたのが廃藩置県です。

全国の知藩事を東京に集め、密かに長州・薩摩・土佐から約1万人の兵=御親兵(ごしんぺい)を用意し、武力にで断行・・・つまり、彼ら知藩事を人質に取った状態で、有無を言わさず彼ら全員をクビにし、藩は305府県・・・さらに併合されて75府県という地方行政区とし、中央政府からの地方官として知事と県令を派遣したのです。

知藩事という人たちは、ほぼ、江戸時代の藩主たちですから、諸藩からの抵抗が爆発しかねない一か八かのクーデターとも言えるほど、半強制的に行われた廃藩置県でしたが、これが、意外にも、あまり抵抗なく(…っても、事実上の人質に取られてるからなぁ)進み、一気に中央集権がなされて、日本は一つにまとまる事となったのです。

ところで、この廃藩置県の時の県名の命名に関するウワサがあるのをご存知でしょうか?

現在の全国47都道府県の中で、県名とその県庁所在地の名前が同じでない県が18県あるのですが、これは、その県名を命名した明治新政府による戊辰戦争の復讐・処罰であるというのです。

これは、明治から昭和にかけて活躍したジャーナリスト・宮武外骨(みやたけがいこつ)が、そのミョーな法則に気づき、指摘した物なのですが・・・

最初に廃藩置県が成った305府県(北海道開拓使をのぞく)の時は、すべての県名が以前の藩名と一致していたものの、それが75府県に統合されていく中で、戊辰戦争で新政府軍についた藩の藩名はそのまま県名と県庁所在地名にし、幕府軍についた藩には、藩名より格下の郡や村などの名前を県名という冠にして、その下に来る県庁所在地名に藩名を持ってくるというイケズをやったのではないか?と言うのです。

たとえば、鹿児島・山口・高知・秋田・広島・岡山・鳥取・佐賀・福岡などは、藩の名前が県名となり、しかも県庁所在地も同じ名前です。

逆に、宮城(仙台藩)島根(松江藩)石川(金沢藩)などは、確かに県名の下に来る県庁所在地の名前が旧藩の名前となってます。

しかし、もちろん、これには異論もあります。

幕末期に歴史での重要な役割を果たし、新政府側であった宇和島藩の名前は県名にはなっていません。

また、仙台県が宮城県に変更されたのには、「藩の名前のままだと、県民がいつまでたっても、藩の時代の習慣から抜けきれない」との訴えがあったからで、強制的に名前を変えたのではないという事も伝わっているとの事・・・。

それに、当時の一般的な考えとして、戦いに敗れた場所ほど、「その名前を一新して、新たなステップを踏み出したい」と願ったとも考えられます。

なんせ、この時代は、新たな気持ちで出発点に立った時には、人も自分自身で、名前を変えていた時代ですから、一つの名前を、ずっと貫くという事にさほどこだわりがなかったかも知れません。

果たして、この論争・・・決着がつく日が来るのやら・・・。

ただ、本当に戊辰戦争の復讐だとしたら、誰かが、後にそのパターンに気づく前に、県名が決まった時点で、すでにウワサになっていなきゃオカシイ気がしないではありませんが・・・。
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コメント

県名と県庁所在地の違いは時々、クイズ等で出題されますので知ってはいましたが、宇和島藩と愛媛県は知りませんでした。ここで、知る人ぞ知る宮武外骨(とぼね)が登場するとは、思ってもいませんでした。日本の地名の殆どは豪族、藩主の名が付いていますので、県名が何らかの意図を持って命名されたとすれば、当時の新聞、世相風俗研究家・ジャーナリストとして、外骨の目から見れば、そう見えたとしても不思議ではありませんね。諸藩には様々な事情があって決まったものだとは思いまするが、なかなかに興味深いものがありますね。

投稿: 鳳山 | 2008年7月14日 (月) 17時36分

鳳山さま、コメントありがとうございます。

県名の命名に、そんな重要な意味があるなら、もっと早くに表面化していそうですから、おそらく、藩名と県名が違うのは、それぞれの藩の個々の事情による物だとは思いますが、小学校の時に、「皆、県名と県庁所在地が同じなら覚え易いのに・・・」と不満に思った事は確かです。

投稿: 茶々 | 2008年7月14日 (月) 18時19分

21世紀の今日、何らかの理由で都道府県名を変える事は不可能でしょうか?たぶん、法律上は難しいでしょうね。
新聞の投稿で「福島県を改称してはどうか」、と言う意見がありました。原発の風評被害がまだあるので。

投稿: えびすこ | 2011年7月 6日 (水) 17時37分

えびすこさん、こんばんは~

どちらかというと、由緒ある地名は残してほしいと思う派なので、あまり変えてほしくないですね~個人的には

投稿: 茶々 | 2011年7月 7日 (木) 01時34分

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