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2008年8月26日 (火)

天下泰平のために・・・皇女・和宮の決意

 

万延元年(1860年)8月26日、孝明天皇の妹・和宮と有栖川宮熾仁親王との婚約が解消されました。

・・・・・・・・・

ペリーの来航(6月3日参照>>)以来、開国か攘夷(外国排除)の意見が飛び交う中、大老・井伊直弼(なおすけ)が、天皇の許可なく日米修好通称条約を結び、反対派を弾圧する安政の大獄(10月7日参照>>)を決行した事で、ますます高まる尊皇攘夷運動・・・。

それは、徳川全盛の頃には、あまり政治に関わる事がなかった朝廷をも、大いに揺るがす事になりました。

時の天皇・第121代孝明天皇の当時の手紙にも「進退きわまった思いである」とか「伊勢神宮や歴代天皇の御霊に対して、愚かな自分が申し訳ない」などの文面があり、天皇も、かなり心を痛めておられたご様子です。

そんな中、かの井伊大老が桜田門外の変(3月3日参照>>)で亡くなるのですが、大老の存命中から、すでに発案されていたのが公武合体論・・・。

幕府(武)と朝廷(公)が融合し、その関係を修復するとともに、国内の意見を一つにまとめ、地に落ちた幕府の威信も回復しようというものです。

その要として考えられたのが、第14代将軍・徳川家茂(いえもち)と、孝明天皇の妹・和宮(かずのみや)結婚です。

今年の大河ドラマ・篤姫でも、先週・先々週と、掘北真希ちゃん演じる和宮さんが登場し、ちょうどこのあたりのお話が展開されています。

ドラマでもそのように描かれていましたが、最初に、この縁談の話が持ち上がった時には、孝明天皇自身は、あまり乗り気ではなかったようです。

それは、話が出た当時は、和宮がまだ13歳であった事と、すでに、10年以上前に、有栖川宮熾仁親王(ありすがわたるひとしんのう)という婚約者も決まっていたからです。

当の和宮も、もはや、気持ちが熾仁親王にイッちゃってますから、断固として拒否します。

しかし、幕府は有力公卿を金品で丸め込んだり、和宮の母の実家の橋本家に脅しをかけたりして猛烈アピール。

結局、万延元年(1860年)8月26日、婚礼の予定日を目前にして、天皇の気持ちは公武合体へと動き、有栖川宮と和宮の婚約は解消されるのです。

この、天皇の気持ちの変化は、ドラマでもあったように、岩倉具視(いわくらともみ)の説得・・・というのが、大いに関わっているようです。

「結婚を許す代わりに、今後の幕政は、すべて朝廷に伺いを立ててから・・・という条件をつけるんです。ほんで、まずは、日米条約の破棄を命ずる・・・てな具合ですわ。」

幕府の考えた公武合体は、朝廷を利用して幕府の権威を回復するという目的でしたが、岩倉にとっては、逆にそれを利用して、幕府の上に朝廷が立つ絶好のチャンスと見たようです。

とにかく、外国を排除したい孝明天皇は、この意見に心を動かされたようです。

そして、もう一人、ドラマには登場してなかったと思いますが、孝明天皇の相談相手だった中川宮朝彦親王(なかがわのみやあさひこしんのう・青蓮院宮)(2009年8月18日参照>>)という人の意見にも影響されたようです。

外界がら遮断されたような世界に生きる天皇ですから、どうしても世情にうとくなりがちな中、この中川宮が、世の中の事を話して聞かせていた親友とも言える間柄なわけですから、この人の意見に左右されるのは、当然と言えば当然・・・。

この中川宮さんは、あの八月十八日に政変(8月18日参照>>)中心人物の一人ですから、ガチガチの公武合体派ですので・・・。

ただ、この時、意見を同じくしていた天皇・岩倉・中川宮でしたが、後に、岩倉は袂を分かつ事になります。

孝明天皇の不可解な死(12月25日参照>>)にあたって、真相はともかく、岩倉の黒い噂が立つのも、その意見の食い違いによるところかも知れません。

とにもかくにも、彼ら公武合体派の影響で、将軍・家茂と妹との結婚を決めた孝明天皇の説得に、和宮も「天下泰平のため、いやいやながらお受けします」と、イヤミ丸出しの返事で承諾することになります。

しかし、天璋院(篤姫)との渡鬼バリの嫁姑バトルはあるものの、嫌々ながら嫁に行ったワリには、家茂さんとは、仲睦まじかった(このお話は9月2日参照>>)とも言われる和宮さんですが、わずか三年半・・・家茂の死という形で、その結婚生活が終ります。

そして、彼女には、新たな運命のイタズラが用意されていました。

彼女の居る江戸城に向かって進攻する新政府軍の総督は、かつての婚約者有栖川宮だったのです。

そして、和宮は、朝廷に・・・(1月17日参照>>)
天璋院は、薩摩に・・・(4月11日参照>>)

この頃には、すっかりうち解けた嫁と姑がタッグを組んで、ふたりは、徳川家の存続のために奔走する事になります。

かつて、涙ながらにイヤイヤ・・・と泣き崩れたお姫様は、やさしい夫と、きびしい姑に支えられ、もう、揺らぐ事のない徳川の女となっていたのです。

「こうと決めたら、女の道は一本道!」ですね。
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