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2008年9月12日 (金)

魔王の殺戮か?天下人の完全主義か?価値観の相違

 

元亀元年(1571年)9月12日は、織田信長による、あの比叡山の焼き討ちがあったとされる日ですし、昨日は昨日で、ちょうど第二次天正伊賀の乱を書かせていただいたので、それに関連して感じたお話なのですが・・・

昨日、チョコっと触れさせていただいたように、老若男女・武士・僧侶・一般人の区別なく、ヤル時は徹底的にヤッちゃう信長さんのこれらの行為を、魔王の殺戮ととらえるか、天下人の完璧主義ととらえるかは難しいところだという事・・・。

その事に関して、私なりに、少し思うところがありますので、今日は、その事を書かせていただきたいと思います。

・・・・・・・・・・・

今日の比叡山焼き討ち(9月12日参照>>)をはじめ、昨日の伊賀攻め(昨日のページを見る>>)長島一向一揆(9月29日参照>>)上京焼き討ち(4月4日参照>>)と、まさに魔王のごとき行動がクローズアップされる信長さん・・・

それゆえか、最近の若い方々の中には、
「信長は、あんなに大量に殺人してるのに、なんでエライの?なんで皆、尊敬するの?」という疑問を持つ人を多くみかけます。

学校で、「戦争=大量殺人」「殺人=悪いこと」と教えられ、その価値観を、そのまま戦国にあてはめてしまうと、そういう疑問になってしまうのも無理はありません。

しかし、少し、考えてみて下さい。

まずは、上記の比叡山と長島一向一揆・・・これはどちらも宗教がらみの団体で、伊賀は宗教ではありませんが、惣国という独立国家を主張する団体・・・しかも、彼らはともに武装しています。

これらが、ゲリラ戦を駆使して、国を平定しようとする信長に対抗するわけで、ゲリラ戦は、言い換えればテロ行為・・・

彼らから見ればレジスタンスの独立運動でも、信長から見れば、彼らの行為はテロ行為以外の何物でもないわけで、そのテロ行為は、武士・農民に関わらず、その団体に属するすべての老若男女が行う可能性があるわけです。

現代においてでも、世界には自爆テロを女性が行った例もありますから、テロ行為をされる側からみれば、「根絶やしにしなければ、どこに火種が残っているかわからない」という状況もありうるわけです。

・・かと言って、もちろん信長さんの報復が100%正しいかどうかは別問題で、どちらが先にケンカを売ったのか?というのも含めて、賛否両論渦巻くところですが、少なくともそういう状況を踏まえて議論なり、考えるなりしないといけないという事です。

また、このように信長さんばかりが強調されていますが、戦国の世において、戦いに一般市民を巻き込む事は、多々あったわけで、たとえば、徳川家康・・・

有名な関ヶ原の合戦は、近所の農民たちが、弁当を持って合戦見物をしていたくらい一般市民が巻き込まれなかった合戦ですが、むしろこちらの方がまれです。

これは、徹底的に石田三成派を潰したいがために、天皇をはじめとする公家に介入されて、合戦が中途半端に和睦させられてしまう事を恐れた家康の作戦で、わざわざ、ひと気のない関ヶ原に、敵をおびき寄せて合戦をしたのです(9月14日参照>>)

しかし、そんな家康も、ひとたび市街戦となれば、やはり、一般市民への殺戮と無縁ではありません。

あの大坂夏の陣(5月7日参照>>)がそれです。

少し前の話になりますが、NHKの「その時歴史が動いた」の6月25日の放送で、「戦国のゲルニカ~大坂夏の陣 惨劇はなぜ起きたのか」と題して、黒田家に残された大坂夏の陣屏風を題材に、そこに描かれた様々なおぞましい光景について語られていました。

*番組の内容については、NHKの番組サイトで・・・リンクフリーではないそうので、URL表示させていただいときます↓
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2008_06.html#04

Oosakanatunozinzubyouburouba2 その夏の陣屏風には、大坂城に突入する兵士などの姿とともに、逃げ惑う大坂市民と、そんな一般市民から金品を奪おうとする兵士、一般市民の首を取って武将の首と偽り褒美にあやかろうとする兵士、逃げる女性を取り囲み陵辱しようとする兵士・・・
(橋の下で呆然とする老婆→)
と、確かに目を覆うような光景が描かれています。

このような殺戮が大坂夏の陣で展開された事を、その放送で初めて知ってショックを受けた人も多いようです。

ただ、確かに、あのような地獄絵図が展開された事は確かですが、同時に、その時代背景や、経緯、価値観なども含めて考えなくては、冒頭に書いた信長さんと同じで、「こんなヒドイ行為をした家康はなんでエライの?」という事になってしまいます。

たとえば、「非戦闘員の大量殺戮」・・・
この非戦闘員と戦闘員の区別が非常につき難いのも、戦時下の特徴です。

山崎の合戦(6月13日参照>>)に敗れた明智光秀が、自国へ帰る途中に農民に殺された話は有名です。

それまで、合戦を見物していただけの農民(非戦闘員)が、合戦の勝敗が決した途端、その恩賞目当てに、自らすすんで落ち武者狩りに参加する戦闘員に変身するわけで、 合戦終焉のドタバタで、戦闘員か非戦闘員かを見極めるのは大変難しいです。

Oosakanatunozinzubyoubuzyoseitati
襲われる女性たち

しかも、この夏の陣の時の商人や一般人の中には、それぞれのつながり、それぞれの損得によって、豊臣方・徳川方に分かれ、密かに加担していた人も少なくないのです。

もう、誰が無関係かなんて判断できない状況だったでしょう。

「罪のない女子供にまで・・・」というニュアンスの事も、その番組内で言ってたような気がしますが、「女子供に罪がない」というのは、それこそ、戦争を実感できない現代の日本人の感覚・・・

昨今の世界情勢を見れば、戦時下では女子供も戦闘員になる可能性がある事は、充分に予想できます。

今もって戦時下にある国境線では、10歳に満たない男の子がマシンガンを持って戦闘に加わっているのが現状です。

実際、この夏の陣の時には、群集にまぎれて、豊臣秀頼の息子も、京都方面へ逃亡しています(10月17日参照>>)

子供とは言え、男の子は、討つべき対象となります・・・なんせ、こういう状況の場合、やがてはその子を担いで反旗をひるがえす事も多々あり、未だ多くの元・豊臣家臣を配下にしている家康にとっては、豊臣を旗印に反旗をひるがえされる事は、かなりの痛手となりますから・・・。

Oosakanatunozinzubyoubuyatou
野盗に襲われる市民たち

確かに、一般市民を巻き込む殺戮の嵐ではありましたが、ここで完全にその根を絶ち、この大坂夏の陣を最後に、長きに渡る戦乱の世に終止符を打ったからこそ、家康は偉人となるわけです。

このように考えていくと、すべてではありませんが、少しずつ、理解できるような気がします。

もちろん、「戦争=大量殺人」「殺人=悪いこと」の考えは重要です。

信長も家康も、決して最善ではなく、血を流さず、殺戮をせずに平和をもたらすのがベストである事は言うまでもありません。

これからも、日本が戦争にならない事を願ってやみませんが、歴史を考える時は、時代による価値観の相違を踏まえて、現代と同じ尺度では測れない時もあるのでは?と思う次第です。
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コメント

はじめましてm(__)m
ロム専ですが、いつも興味深く拝読させていただいております。

源平争乱期、源義経の「鵯越の逆落とし」以来、「奇襲戦法」は戦況の大転換点となりつつも、一方で「決して日の目を見ない戦い方」でもあったように思います。
「それまでの”戦場での常識”を破る戦い方」という点で、義経と信長は似ているところが多いように思いますが、「非戦闘員への感覚」もまた似たものがあったのかなと、読んでいてふと感じました。
壇ノ浦の合戦で、船戦の掟破りである「水夫を射殺す」という方法をとった義経。(本当に義経が指示をしたのかどうか詳しくは知りませんが…)
「平家を討ち滅ぼすための最後の戦い」として挑んだ合戦場では、常識や道義を超えて、まずなによりも「勝つこと」が最大の目的になるのは仕方なかったのかなとも思います。

>もちろん、「戦争=大量殺人」「殺人=悪いこと」の考えは重要です。が、
>歴史を考える時は、時代による価値観の相違を踏まえて、現代と同じ尺度では測れない時もあるのでは?と思う次第です。

の部分に激しく同意しましたm(__)m

投稿: いとろー | 2008年9月12日 (金) 22時00分

いとろーさん、はじめまして。

確かに、義経も、(今、伝えられてのが事実だとすれば)以前からの合戦のルールを守ろうとする梶原景時と激しく対立しながら、掟やぶりの戦い方を・・・

信長も、それまで誰も手を出せなかった比叡山へ掟やぶりの攻撃を・・・

おっしゃる通り、似てますね。

色々な時代を色々な尺度で・・・それでも、なお色々な意見が登場して、一つの答えにはならない・・・そこが歴史のオモシロイところでもあるんですよね。

あたたかいコメント、ありがとうございました。

投稿: 茶々 | 2008年9月12日 (金) 23時21分

はじめまして。
伊賀の乱 2件だけ拝見しました。
信長への見解を読ませて頂いたのですが、
伊賀はおいとかれて・・・
話が完結していますね。
伊賀を潰した理由を書いて頂けませんか?
私 伊賀をあそこまでやったのは
ずっとうっとおしかったのが、
伊賀へ喧嘩ふっかけた息子のお陰で
体よく名目ができたんですから
別に息子かわいいわけじゃないでしょ。
単に 伊賀をつぶしたかっただけだと思います。
家康の関ヶ原、清盛の件は
天下分け目で、死ぬか殺すか ですが、
伊賀は小さい国なんで
奈良の僧兵みたいに権力もないし
尾張に喧嘩売ってる訳でもなく
放っておいても良かったのに
自分から喧嘩ふっかけておいて
潰すなんて、
ちょっと理解に苦しみますね~。
あの戦国の時代であっても
信長しかやってませんよ。
現代とは正義の定義が違いますが、
あの男が最低なやつだというのは分かります。
お市、長政、淀殿、秀忠の妻、光秀など
信長に関わった人間(秀吉も含め)
家康以外 ろくな死に方してませんし
それが物語ってるんじゃないかと思います。

投稿: | 2008年11月15日 (土) 16時52分

ご意見楽しく読ませていただきました。

本文の中にも書いております通り、信長の行為が善か悪かという判断は、時代の価値観、己の立場などによって違い、永遠に答えが出ない物だと思います。

・・・ですので、あなたの見解が間違っているという意味ではなく、自分の見解と違うところという意味で答えさせていただきますね。


>伊賀をつぶしたかっただけだと・・・
>放っておいても良かったのに

放っておいてはよくないと思います。
天下統一を成し遂げようとする人物から見て、独立国家はあってはならないものです。
権力のあるなしに関係なく、一つの独立国家を認めれば、全国各地に独立国家が生まれ、自分の支配の及ばない場所が増える事になり、天下統一にはなりませんから、おっしゃる通り、伊賀は潰したい相手だったのです。
伊勢まで進攻した信長の前に立ちはだかっているのですから、信雄の件があってもなくても、伊賀攻めはあったでしょう。


>あの戦国の時代であっても信長しかやってません

信長がほぼ天下統一をやってくれていたおかげで、次の人がやらなくてすんだだけでは?
♪織田がこね 羽柴がつきし天下餅 座って喰らうは徳川家康♪
という川柳がありますが、ほとんど天下統一が成された後に天下を取った家康にとって、潰さねばならない強敵は、豊臣だけだったのではないでしょうか?
現に、家康も、大坂の陣の戦後処理には、日に50人~100人という人数をひっ立てて六条河原で処刑するという行為を何日間か続けてますよね?


>家康以外 ろくな死に方してません

畳の上で、息子の将来を心配しながら老衰するまで生きた秀吉は、マシなほうだと思いますよ。
戦国時代の人は、ほとんど、ろくな死に方してないと思います。
そういう点で戦国を終らせた家康は評価できるでしょうね。

大量の武力で全国支配を成そうとする者と、テロ行為のゲリラ戦で独立を守ろうとする者の、どちらが善でどちらが悪かは、100人いれば100通りの考えがあると思います。

 

最後に、このブログは、その日の出来事を中心に書かせていただいているので、ほぼすべて一話完結です。

同じ根本から枝分かれした個々の合戦などの場合は続きとも言えるかも知れませんが、その場合は、大抵、「この続きは○○で・・・」と書かせていただいているつもりですが・・・

とりあえず、このページは昨日の続きではありませんので、独立したページとしてお読みくだされば幸いです。

ちなみに、私は、歴史上の人物は、すべて好きな人なので、「誰々が悪い」と書かれると、ついつい反論してしまいますが、単に好きなので味方をしてしまうだけなのでお許しを…

ではでは、楽しい意見交換のひとときを、ありがとうございました。
これだから、歴史好きはやめられませんね。

投稿: 茶々 | 2008年11月15日 (土) 18時45分

この話でテロを引き合いに出すの不用意ではありませんか。
女子どもが戦闘員となりえるということに異論はありませんが、チェチェンにしろクルドにしろ、いわゆるマイノリティーグループが起こすテロとは動機が違います。
彼らは何も宗教の違いが理由でテロを起こしているわけではありません。大国に住み、マジョリティーグループと同じ国にいながら、彼ら被差別者は満足な教育を受けれられず、職業選択に自由はなく、本当に貧しい生活を強いられているのです。現代でさえ字を読み書きできない人が沢山いるのですよ。

そうした背景を無視して、テロは根絶やしにすること、女子どもでも必要があれば殲滅する事を肯定するようなこの記事の姿勢は、あまりに現代社会にそぐいません。歴史を通したテロ批判になっています。

アフガニスタンやイラクもまたそれぞれ違った情勢があります。ごく一部の過激派のイメージを中東とひとくくりに、テロとひとくくりにできる話ではありません。もちろんテロを肯定しようとは思いませんが、こうした歴史の説明に、現代的なテロ行為を持ち出すことはないのではと思います。

(また世界地図を欧州を中心に見てください。世界的に見てイスラム世界がどれだけ広く強大か分かるかと思います。それを必死に排斥しようとしているのが米国です。石油のために)

時代背景にともなう生死観の違いは面白い主題だと思いますので、もっと違った視点から書いてほしかったです。

投稿: | 2013年7月14日 (日) 13時31分

不快に思われたのでしたら、申しわけありませんでした。

ただ、私は、この記事の中でテロも、そしてそれを根絶やしにする側も、どちらも肯定も否定もしていません。
どちらに正義があるかは、その原因(原因が宗教がらみに限られるとも書いて無いと思いますが…)も様々ですし、それぞれの立場によって違います。

とは言え、現在の平和な日本では、戦時下では女子供も戦争に参加する事、戦闘員と非戦闘員の区別がつき難い事などを実感できない方も多く、信長や家康をはじめとする戦国武将の行った行為を、無抵抗な非戦闘員に対するただの残虐な行為と受け止める場合が多々あるわけで、
そうではなく、それにも理由がある事を知っていただきたかっただけです。

もちろん、おっしゃる通り、戦国のソレと現代のテロは違いますが、もはや現在の日本では、日本とアメリカが戦った事すら知らない若者も多い中、戦時下の状況をを想像する事が難しいわけで、そのような場合に想像しやすいようにと、例として行為そのものをあげたまでで、そこに至る状況や背景、ましてや、どちらが正しいなどという事にまでは言及していないつもりでおります。
ご理解いただければ幸いです。

投稿: 茶々 | 2013年7月14日 (日) 14時20分

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