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2008年9月 4日 (木)

大村益次郎・暗殺犯と海江田信義

 

明治二年(1869年)9月4日、明治新政府で兵部大輔に就任した大村益次郎が、京都で襲撃されました。

結局、この時の傷がもとで、益次郎は2ヶ月後に亡くなってしまうのですが、彼が一介の医者から新政府の中心人物となる経緯については、すでに、そのご命日の日に書かせていただきました(11月5日参照>>)ので、本日は、その暗殺と暗殺犯について書かせていただきます。

・・・・・・・・

緒方洪庵(おがたこうあん)適塾で医学を学ぶかたわら、独学で兵学を学び、長州藩の討幕運動に参加し、戊辰戦争を、その戦略で勝利に導いた大村益次郎・・・維新後は、その功績で、新政府・軍部の最高位に立ちます。

そんな益次郎が、新たに取り組んだのは、軍隊の改革でした。

それは、「もはや、武士の兵法は古く、徴兵制を設けて国民皆兵とし、西洋式の軍隊に育てあげるという物でした。

しかし、それは未だ武士のプライドを捨てきれない多くの士族(元武士)たちの反感を買う事になります。

なんせ、もともと、武士はプロの戦闘集団・・・それ故、江戸時代を通じて、特権もあり身分も高かったわけですが、それが国民皆が兵士になれるとなると、当然、その特権も亡くなり、身分制度も四民平等となるわけですから・・・。

しかも、かの戊辰戦争を命がけで戦ったのは、その武士たちです。
戦いに勝って、新しい世の中となった途端、「もう、古いからいらないよ」と言われても、納得できるはずもありません。

しかし、益次郎の言う通り、これまでの武士の戦い方で、迫り来る外国を相手に、この日本国を守り抜く事は、ほぼ不可能なのは確かですから、少し強引ながらも、彼は、その理想に向かって突き進む事になります。

・・・というのも、考えてみれば、長州藩として討幕運動に参加したとは言え、彼の基本は学者です。

その学問が兵学であったり、軍艦を造る造船術であっただけで、もともと身体を貼って討幕運動に参加していた武士とは、一線を画す存在なわけで、最前線で命を賭けた者から見れば、何の苦労もせずに、とんとん拍子に出世したように思えるのもしかたのないところです。

そんな益次郎が、さらに武士の存在を否定するかのような、新たな軍隊を目指そうとするのですから、反対分子の者たちの不満は、ますます膨れ上がります。

かくして運命の明治二年(1869年)9月4日、この日、益次郎は、新しい火薬庫と兵学寮の建設予定地の下見のため、京都へと向かいました。

下見を終え、二人の部下といっしょに、京都三条木屋町の旅館に戻っていたところを、その不満分子に襲撃されるのです。

とっさに、そばにいた一人が、行灯(あんどん)を消して、「俺は大村だ!」と叫んで、身代わりになってくれたおかげで、その場では一命を取り留めた益次郎でしたが、そのあと、犯人が立ち去るまで、1階の風呂場の湯船に身をひそめていたため、最初に一太刀あびた右足の傷が化膿してしまい、すぐに運ばれた大阪の病院では、足を切断するしかないという診断を受けてしまいます。

しかし、彼は政府の首脳陣の一人・・・このような大手術を、勝手な判断で進めるわけにはいかなかったのです。

他の首脳陣のいる東京と、「どうする?」「こうする?」とやりとりをしている間にも、容態は悪くなる一方・・・。

やっとの事で、東京の首脳陣からの許しがでて、大阪の病院にて手術が行われましたが、その処置の遅れが災いしたのか、2ヶ月後の11月5日に、容態が急変し、益次郎は帰らぬ人となってしまいました。

一方で、彼を襲った犯人は、すぐに発見&逮捕されます。

それは、維新前の長州征伐の頃から、すでに幹部として軍隊を率いていた尊皇攘夷派の生き残り・神代直人(こうじろなおと)を中心とするメンバーでした。

一人は、すでに襲撃時に亡くなっており、主犯である直人は、長州に潜伏のところを発見され殺害(追い詰められての自刃とも)・・・残り11名が逮捕され、そのうちの主要メンバーである6名が、弾正台(警察機構)によって年内の処刑と決定するのです。

ところが、その処刑の当日、突然、京都弾正台長官海江田信義(かいえだのぶよし)が処刑に反対し、処刑停止命令を出したために、処刑が中止・・・大騒ぎになります。

実は、この海江田信義・・・薩摩藩出身で、幕末の頃には、その名前を有村俊斎と名乗っていたバリバリの尊皇攘夷派で、あの生麦事件(8月21日参照>>)でも、亡くなったイギリス人にとどめを刺したと言われる人物・・・今年の大河ドラマ・篤姫で、薩摩藩士としてただ一人、井伊直弼・暗殺の桜田門外の変(3月3日参照>>)に参加し、直弼の首をあげた事で、逆に切腹を言渡された弟・有村兼清を擁護していたお兄さんと言えば、「あぁ、あの人・・・」と、おわかりになる方も多いかと思います。
(実際にはドラマと違って、切腹を言渡されたのではなく、重傷を負ったために逃げ切れないと自らの意志で自刃したとされますが・・・)

そんな過激派だった彼は、戊辰戦争で参謀として活躍しますが、その当時から益次郎とは意見の食い違いがあり(4月4日参照>>)、維新後も、西洋風を重視する益次郎とは、ことごとく対立していて、元武士の士族に対する態度も正反対だったのです。

そんな信義が、上記の通り京都の弾正台長官・・・つまり、おそらくは益次郎との対立によって、中央である東京から追われた形となっていたため、益次郎に反感を抱く者たちからは、同情的に見られ、彼ら反対分子との親交も深かったようなのです。

もちろん、表向きには、維新の混乱で、未だ司法制度が確立しておらず、単純な書類ミスが生じた事による処刑停止命令という事なのですが・・・。

誰が考えても、怪しい気が・・・。

結局、この騒動直後から、「海江田は、大村への反発から処刑を延ばした」と噂され、果ては、実行犯を陰で操っていたのは信義であるという話まで、まことしやかに囁かれる事になったのです。

果たして、真相はいかに・・・
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コメント

この海江田さんのご子孫が以前なんでも鑑定団にでてましたね。
そのころの主立った人たちから届いた手紙を出してました。
お墓にも行きましたが珍しい家紋でした。
とかく過激な人ですからね。
怪しいですが、おもしろいですww

投稿: 味のり | 2008年9月 4日 (木) 23時25分

味のりさん、こちらにもコメントありがとうございます。

>鑑定団にでてましたね

そうなんですか?
きっと、いっぱいお宝があるでしょうね。

確かに、手紙は貴重だわ・・・

投稿: 茶々 | 2008年9月 5日 (金) 01時39分

大村益次郎に対する印象は、とにかく、長州藩における、先見の明がある兵学者であることだけです。ただし、吉田松陰とは違ったタイプの人物かもしれません。あと、益次郎が非業の死を遂げてしまったのは、益次郎が、冷徹な人物と思われたからではないでしょうか。利通を暗殺した、島田一郎・長連豪・脇田巧一・杉本乙菊・杉村文一・浅井寿篤の計6名のように、益次郎を暗殺した加害者としては、どうしても我慢できなかったのだと思います。もちろん、暗殺すること自体は、暴力行為ですから、絶対且つ決して許されない行為ですね。益次郎のように、先見の明を持つ人ほど恨まれやすいのは、ある意味、運命かもしれませんが、不幸な気がします。

投稿: トト | 2015年9月28日 (月) 22時47分

トトさん、こんばんは~

明治維新の時の世の中の変化は、ものすごい物ですからね。
どこかに不満や歪み起こるのは当然…いやむしろ、そんな不満や歪みを押し殺して成したのが維新だと思います。

投稿: 茶々 | 2015年9月29日 (火) 01時06分

新たに気がついたのですが、海江田信義が、大村益次郎と対立していたことを考えると、信義は、心の中では、益次郎が誰かに殺されてしまえばいいと、願っていたかもしれないのではないでしょうか。人間なら、快く思わない相手に対しては、その相手が、不幸になることを望んでしまうのではないかと思います。信義にしてみれば、益次郎が暗殺されたことは、はからずも、願ったり叶ったりと、喜んだかもしれませんね。

投稿: トト | 2015年9月29日 (火) 09時00分

トトさん、こんにちは~

大村益次郎と海江田信義の関係は、維新における薩摩と長州の関係にも関連してますから…
個人的では計り知れない大きな「ウラ」があるかも知れませんね。

投稿: 茶々 | 2015年9月29日 (火) 15時13分

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