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2008年10月14日 (火)

吹き荒れる開国の嵐に不幸続きのプチャーチン

 

嘉永六年(1853年)10月14日、ロシア使節・プチャーチンが率いる艦隊が下田に入港しました。

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いやぁ、残念!一歩遅かったですね。

あのペリーの黒船が、あれだけ大々的に教科書で扱われ、ドラマなどでも、ほとんどペリーの黒船しか、この時代の日本に来ていないような描かれ方をしますが、今回のプチャーチンさん率いるロシア艦隊・・・わずか1ヶ月半の差で、ペリーの黒船に先を越されてしまっってたんです。

しかも、母国を出航したのは、完全にコチラのほうが先ですから、もし、プチャーチンさんが先に日本に到着していたら、教科書にもババ~ンと載り、今年の大河でも、あの将軍・徳川家定公と面会するのは、彼だったかも・・・ですね。

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ペリー提督率いるアメリカ合衆国艦隊=黒船(6月3日参照>>)から、遅れる事、一と月半の嘉永六年(1853年)7月18日・・・プチャーチン率いる旗船・ディアナ号を中心に、4隻のロシア艦隊が長崎に入港しました

冒頭にも書かせていただいたように、この1ヶ月半の遅れと、長崎に入港したという事が、プチャーチンさんにとっては不運でしたね。

結局、長崎では、外国との交渉を、どうする事もこうする事もできず、嘉永六年(1853年)10月14日に、こうしてふたたび下田に入港する事となり、結果的には、ペリーより、さらに4ヶ月半の遅れをとってしまった形となります。

しかも、アメリカ同様、一度目の交渉は成されず、さらに、クリミア戦争真っ最中の本国の情勢がすこぶる悪い状態になり、この時ロシア艦隊は、一旦上海へと戻ります。

そして、翌年の安政元年(1854年)、再び来日したプチャーチンは、アメリカより9ヶ月送れではありますが、見事、日露和親条約を締結させました。

「大役を果たせた」と一安心・・・
これで、「堂々とロシアへ帰れるゾ」と、胸をなでおろした11月4日・・・姉さん!事件です。

駿河湾から伊豆相模(神奈川県)一帯が、推定・マグニチュード8.4、死者1万人の大地震に襲われ、下田に停泊中だった最新鋭のディアナ号は座礁し、船底に穴が開いてしまいました。

しばらくして、ようやく落ち着き、ならば修理をしようと、設備の整った戸田(へだ)へ曳航中、今度は、暴風雨に見舞われ、なんと、ディアナ号は沈没してしまうのです。

大砲60問、全長69m、排水量2000トン・・・ロシアの技術のすいを集めて造られた巨大戦艦は、海のもくずと消えてしまいました。

どこまで、運が無いんだ!プチャーチン・・・。

しかし、落ち込んではいられません。

大事な条約締結書を、本国に持って帰らねば、プチャーチンの男がすたる!

最初の地震で5人の死者を出してはいますが、幸いな事に、それ以外の40人ほどの乗組員は無事です。

プチャーチンは、幕府に造船の許可を申し出、戸田の船大工や漁師など2000人の手を借りて、船を造る事になりました。

日本で初めての西洋式帆船の製造です。

下田よりは、マシとは言え、戸田も、なんだかんだで伊豆の小さな漁港・・・いえ、小さな漁港でなくとも、西洋式の船なんて、どこの船大工だって初めてなワケですから、うまくいきようもありません。

一つ一つ、西洋の技術を教わりながら、それでも何とか2隻の帆船が出来上がったのは、翌年の3月でした。

ディアナ号には、とても追いつかない、わずか100トンの帆船でしたが、ロシア人と日本人、皆、心を一つにして、一所懸命・・・おかげで、たった3ヶ月で見事、造りあげました。

彼らの働きに感激して、自らが乗る船をヘダ号と名付けたプチャーチンは、大切な条約締結書を握りしめ、安政二年(1855年)3月20日乗組員たちとともに、日本を去っていきました。

ロシアに帰国したプチャーチンは、日本との条約を成功させた業績によって、伯爵に叙されて、出世もして・・・どうやら、ロシアには貧乏神は連れていかなかったようですね。

よかった、よかった。
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コメント

プチャーチンさん、大河ドラマの主人公になれますねhappy01
次々と運命の打撃を克服し、苦闘の末見事帰国する・・・とっても正統派大河チックだと思いますが、知名度と名前に問題があるのでしょうかdespair

HPの藤原さんと天智さんの対談も大笑いでしたよ。こらからも続きが楽しみですが、のんびりボチボチお願いします。wink

投稿: ななみみず | 2008年10月14日 (火) 06時15分

ななみみずさん、コメントありがとうございます。

やっぱり、ペリーに比べて知名度が低いでしょうね・・・一番と二番の差は大きいです。

HPのほうは、いずれ不比等さんにも登場していただかねば・・・と思っています。

投稿: 茶々 | 2008年10月14日 (火) 15時22分

先月末に下田に行った時に黒船がありました、と言っても遊覧船・サスケハナ号です。
台風通過後で午後はいい天気でした。
「龍馬伝」も昨日で収録が終わりました。
特急踊り子号始め、首都圏の特急が年末のダイヤ改正で数が減るので、気候的にもいい時に行けました。

投稿: えびすこ | 2010年10月13日 (水) 08時33分

えびすこさん、こんにちは~

天気がよくてなによりでしたね。
古都の散策なら、雨の日でも、それなりの風情があるものですが、海はやっぱり晴れてたほうが良いですもんね~

投稿: 茶々 | 2010年10月13日 (水) 09時14分

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