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2008年11月 6日 (木)

安祥城の戦い~信長&家康に今川と絡む運命の糸

 

天文十八年(1549年)11月6日、駿河今川義元配下の太原雪斎が三河安祥城を攻め、城主の織田信広を拉致した安祥城の戦いがありました。

・・・・・・・・・・

天文九年(1540年)、尾張(愛知県西部)織田信秀(おだのぶひで)が、駿河(静岡県東部)今川氏に属していた三河(愛知県東部)岡崎城主・松平広忠(まつだいらひろただ)三河安祥城(愛知県安城市)を奪ってからというもの、天文十一年・天文十七年・・・と、尾張×三河の隣国同士の争いは絶え間がありませんでした。

・・・と言うより、隣国の安祥城を奪う・・・という時点で、それ以前から境界線を巡っての争いがあったという事なのですが、この頃の信秀は、もう一つの隣国・美濃(岐阜県南部)斉藤道三(さいとうどうさんともドンパチやちゃってますので(9月22日参照>>)、とにかく、お互いが自分の領地を、少しでも広げようと画策し合う群雄割拠の時代だったわけです。

そんなこんなの天文十八年(1549年)3月・・・その松平広忠が、家臣に斬殺されるという事件が起こります。

この事件は、三河の松平を配下に取り込んでいる今川義元(いまがわよしもと)を大いに慌てさせます。

実は、上記のように、以前から織田からたびたび国境線を脅かされていた広忠は、名門・今川氏に支援してもらおうと、その配下となる事を約束し、2年前に嫡男・竹千代(たけちよ)を人質として今川氏へと差し出したのですが、途中で織田方に奪われてしまい、その竹千代は、この時、織田の人質となっていたのです(8月2日参照>>)

つまり、当主のいなくなった松平家が、その後継ぎである竹千代を求めた場合、現在、その竹千代のいる織田の傘下となってしまう可能性が・・・そうなると、三河一国がそっくりそのまま織田の領地となってしまうのです。

「これは、イカン!」と、義元・・・松平を今川の傘下につなぎとめておくためにも、織田に揺さぶりをかけなければいけません。

早速、義元は、家臣の朝比奈泰能(あさひなやすよし)(9月19日参照>>)らを岡崎城(愛知県岡崎市)へと送り込んで守りを固める一方で、軍師の太原雪斎(たいげんせっさい・崇孚)(10月10日参照>>)を総大将に、信秀の息子・織田信広(のぶひろ・信弘)が城主を務めていた安祥城に攻め寄せます。

天文十八年(1549年)3月19日・・・僧侶であった雪斎は、黒染めの法衣のうえに鎧を着け、自らが最前線に立って指揮しますが、この日は、織田方の激しい抵抗に遭い、松平勢の柱の一人・本多忠高(ほんだただたか=本多忠勝の父)を失ったうえ、一旦、兵を退きます。

その後、9月18日にも双方の激突があったとされますが、やはり、安祥城は未だ落ちず・・・。

そして、いよいよ天文十八年(1549年)11月6日、体制を立て直し、3度目の正直とばかりに、大軍を率いて、三度やってきた雪斎は、安祥城を包囲して、総攻撃を仕掛けます。

今回は、またたく間に三ノ丸を落し、本丸を孤立させる事に成功します。

実は、雪斎の狙いは、城主・信広を生け捕りにする事・・・それは、織田に人質となっている竹千代を手に入れるためです。

信広は、織田の当主・信秀の息子。
竹千代は、亡くなったとは言え松平の当主・広忠の息子。

1対1の人質交換です。

その読みはズバリ当たりました。

本丸に取り残された形となった信広は、戦いを断念・・・降伏を余儀なくされ、今川の人質となります。

こうして、その4日後の11月10日・・・尾張笠寺(かさでら・名古屋市南区)にて、両者の人質交換が行われ、この時8歳の竹千代は、亡き父の後を継いで岡崎城主という身分にはなったものの、実際には、岡崎城には今川の家臣が城代として入り、竹千代は、そのまま駿府へ送られる事に・・・(11月27日参照>>)

つまりは、織田の人質から今川の人質へと変わっただ・・・しかも、これで完全に、三河は今川の支配下となってしまいました。

当然、松平の家臣も、今川に従うしかありません。

わずが8歳で、あっちからこっちへの人質移動・・・父親の死に目にも会えなかった少年は、この時から19歳の運命の日まで、さらに人質生活を続ける事になります。

その運命の日とは、永禄三年(1560年)5月19日・・・ご存知、桶狭間の戦い(07年5月19日参照>>)です。

桶狭間の戦いで、当主・今川義元を失ったドサクサで、長年の人質生活から開放されるこの少年は、ご存知・・・後の徳川家康その日の家康については08年5月19日参照>>)

そして、奇しくも、この家康を長年の今川の呪縛から救ったその人は、あの日、人質交換された相手・信広の弟・・・織田信長でした。

信長&家康・・・今川を挟んで、何やら、運命の糸がからみあったような、ドラマチックな関係が浮かび上がってくるような気がします。

おぉ・・・今日は、雪斎さんを主役に、話を進めていくつもりで書き始めたのに、いつの間にやら、信長と家康が主役のようになってしまったsweat01

雪斎ファン様・・・お許しを・・・(。>0<。)
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