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2008年11月27日 (木)

高杉晋作が作った奇兵隊~維新後の悲しい結末

 

明治二年(1869年)11月27日、奇兵隊をはじめとする長州藩の諸隊に、解散命令が出されました。

・・・・・・・・・・

文久三年(1863年)5月の関門海峡に停泊中のアメリカ商船への砲撃(5月10日参照>>)を皮切りに、攘夷に踏み切った長州(山口県)・・・。

そんな長州藩の藩主・毛利敬親(たかちか)から、下関の防備の強化を任された高杉晋作新たな軍隊を結成したのは、翌月の6月7日でした。

幕藩体制下の武士で組織される正規軍とは違い、武士に限らず、農民や町民などから広く参加を募り、実力主義で運営されるこの軍隊『奇兵隊』と名付けられました。

・・・と言っても、戦国時代にあった半士半農のような有事にのみ戦闘員となるものではなく、正式に藩の統制下に置かれた常備軍で、その給料も充分なくらい藩から支給されるプロの軍隊だったのですが、上記のように、初めて武器を手にする者も多く含まれていますから、その訓練も、その統制をとるための規律も大変厳しいものでした。

剣術や銃・大砲などの軍事的な訓練の他にも、読み書きや秩序正しい行いなど、未だ、ちゃんとした教育を受けた事がない者にとっては、学校の役目をも果たすようなものだったそうです。

最初の総督となった高杉は、正規軍とのモメ事で、わずか3ヶ月で、総督を辞任しますが、その後も奇兵隊は、冒頭に書いた攘夷決行の結果として起こった下関戦争(8月8日参照>>)でも重要な役割を果たしました。

さらに、分裂していた長州藩を一つにまとめるべく起した、高杉の功山寺での挙兵(12月16日参照>>)にも、一部の兵士が参戦し、その名を大いに高めました。

その頃には、すでに奇兵隊に続いて、有志による様々な軍隊が次々と結成されていて、ごく短いものも含めると、その数は160にも及んだと言います。

有名なところでは遊撃隊というのも、この時期に結成された軍隊です。

やがて、戊辰戦争(1月2日参照>>)の時には、いくつかの部隊に再編制され、幕府の大軍相手に大活躍し、官軍を勝利へと導きました。

ところが、いざ、維新が成ってしまうと、突然、彼らは不要な存在となってしまうのです。

当然と言えば当然ですが、平和な時代には、そんなに沢山の兵はいりません。

かくして明治二年(1869年)11月27日、藩知事の毛利元徳(もとのり)は、元奇兵隊を含む諸隊を、第1大隊~第4大隊の常備軍として再編制する事を発表します。

しかし、蓋を開けてみると、これは完全なリストラ。

編制後の新部隊に残れるのは、5000人ほどの中の約2000人ほど・・・しかも、もともと、身分に関わらず結成され、実力主義でのし上がっていけるはずだった奇兵隊と諸隊に、いつの間にやら家柄での格差が・・・。

確かに、伊藤博文山県有朋(やまがたありとも)のように、武士階級でも底辺の低い身分から、新政府の要職についた人もいましたが、それこそ、ごく一握りです。

結局は、身分の格差がイコール幹部と一般兵士の格差となってしまっている現状・・・しかも、首を切られるのは階級の低い兵士ばかりで、その後の彼らには何の保障もありませんでした。

不満がつのるのは当然です。

怒った一部兵士は脱走し、近くの農民たちの一揆と結びつき、藩に対して反乱ののろしを上げ、山口県庁を包囲します。

この知らせを受けた木戸孝允は、早速、現地に向かい、鎮圧軍の総指揮官となって、乱の収拾にあたり、翌・明治三年(1870年)2月、反乱は終結を迎えます。

多くの兵士が死に、生き残って捕らえられた者のうち133名が処刑され、遺体はそのままうち捨てられて、遺族は墓を造る事さえ許されない状況だったそうです。

首謀者とみられた大楽(だいらく)源太郎も、翌年、久留米にて殺害され(3月16日参照>>)、運良く逃げのびた者も、その後、10年に渡って指名手配され、過酷な逃亡生活を送ったと言います。

新政府のため、現地に向かった木戸・・・潰す相手は、かつて、桂小五郎と名乗っていた不遇の時代に苦労をともにした高杉の作った奇兵隊の生き残り・・・

九死に一生を何度もくぐり抜けてきたであろう彼も、維新を見る事なく散っていった同志へ、このような未来を見せたくはなかったはずです。

悲しい結末を迎えた奇兵隊・・・心が痛みます。
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幕末・維新」カテゴリの記事

コメント

茶々さ~ん これ・・・・

自分の言い回しで言っていいッスか・・・・

<第1大隊~第4大隊の常備軍として再編制する事を発表します。

しかし、蓋を開けてみると、これは完全なリストラ。

編制後の新部隊に残れるのは、5000人ほどの中の約2000人ほど・・・しかも、もともと、身分に関わらず結成され、実力主義でのし上がっていけるはずだった奇兵隊と諸隊に、いつの間にやら家柄での格差が・・・。>
 これじゃあよお・・・正規社員とハケンや期間従業員といった非正規社員の格差。

そして同じ正規社員でも リストラされて残る人と去る人と 明暗わかれてる状況と同じやん・・・

製造業でも生産が減って 人員削減とまったく同じと考えてるボクは 世間の流れを読めない甘いヤツでしょうか・・・?

投稿: zebra | 2016年4月 3日 (日) 19時10分

zebraさん、こんばんは~

ホント…
何やら、現代の企業の事情とよく似てる気がしますね~

投稿: 茶々 | 2016年4月 4日 (月) 01時16分

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