坂本龍馬・暗殺~紀州藩・黒幕説
慶応三年(1867年)11月15日、京都河原町の醤油商・近江屋に潜伏していた坂本龍馬が数人の刺客に襲われ、龍馬は即死、一緒にいた中岡慎太郎も2日後に死亡しました。
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戦国の本能寺の変と並んで、日本の歴史上屈指の謎とされる坂本龍馬の暗殺・・・もはや、知らない人はいないんじゃないか?と思うくらい超有名な出来事です。
一昨年の今日もこの話題を取り上げさせていただきましたが、私のホームページのほうで、【坂本龍馬・暗殺犯を推理する】という推理形式で、龍馬暗殺の事を書かせていただいているので、一昨年は、【龍馬暗殺の謎の謎】と題して、「この龍馬暗殺がいつから謎になったのか?」という事を書かせていただきました(2006年11月15日を見る>>)。
そうなんですよね~。
そのページにも書かせていただきましたが、最初は、その遺留品から、新撰組の仕業と思われていて、多くの人が新撰組だと信じたまま維新を迎えた後、明治になって見廻組・隊士の今井信郎が「自分がやりました」と自供して刑に復し、そこで解決・・・となっていて、その当初は謎ではなかったんです。
ところが、後々になって、その今井に対する刑が異常に軽く、しかも、その減刑のために奔走したのが西郷隆盛・・・なんて話が出てきて、にわかに薩摩藩黒幕説が登場し、今では、土佐藩・後藤象二郎説、岩倉具視説・・・果ては、狙われていたのは、討幕を強く推し進めていた中岡慎太郎のほうで、穏健派の龍馬はその巻き添えを喰っただけ・・・なんて説もあります。
ホームページのほうでやっている「犯人は誰だと思いますか?」のアンケートでも、今日現在のところ・・・
- 見廻組 64票
- 薩摩藩 57票
- 幕府 16票
- 桐野利秋 9票
- 岩倉具視 8票
- 伊東甲子太郎 7票
- 土佐藩 4票
- 斉藤一 3票
- 新撰組 2票
- 長州 2票
・・・この後は、1票ずつなので、実際にホームページでご確認ください
と、様々に投票していただいています。
(ホームページへはコチラからどうぞ>>)
確かに、遺留品の刀の鞘を、新撰組の物だとチクッたのは高台寺党の伊東甲子太郎で、彼は、この3日後に新撰組によって暗殺されます(その日に書かせていただくつもりでいます)。
かと言って、今井の自白通りに、見廻組が犯人だとすると、その遺留品は捜査かく乱のために、置いた・・・つまり新撰組の仕業と見せかけた事になりますが、当時は、見廻組も新撰組も松平容保の配下のはず・・・って事は味方同士ですよね。
しかも、龍馬が被害者=善、犯人が加害者=悪という構図は、維新がなって後の価値観であって、暗殺当時は、大政奉還したとは言え、まだ幕府は存在し、見廻組も新撰組も、不逞浪士の排除という事を、正義だと思ってやってたはずですから、これは罪ではなく手柄なわけで、手柄をみすみすライバルの仕業に見せかけるという、不可解な行為になってしまうような気がします。
・・・と、その推理は尽きないわけですが、今日は、そのホームページのアンケートでも、未だ、1票しか投票されていない、別の疑惑をご紹介させていただきます。
それは、紀州藩説・・・
実は、この暗殺の少し前、龍馬は紀州藩から7万両もの大金をせしめているらしいのです。
時は、慶応三年(1867年)4月23日・・・龍馬は海援隊のメンバーを率いて、伊予(愛媛県)大洲藩から借り受けたいろは丸という船に乗って備中(岡山県)六島沖の瀬戸内海を航行中でした。
ところが、午後11時頃、近くを航行していた紀州藩の明光丸と衝突してしまったのです。
いろは丸は160t、明光丸は887t・・・これだけの差があれば、ひとたまりもありません。
自力で航行する事が困難となったいろは丸は、乗組員全員が明光丸に乗り移り、近くの港まで曳航される事になりますが、あわれ途中で海のもくずと消えてしまいました。
この事故の後処理がモメにモメてしまうのです。
なんせ、蒸気船同士の衝突というのが、日本初・・・どのように処理してよいのやら誰にも見当がつかずに右往左往・・・。
海路図や航海日誌片手に喧々囂々する中、話はだんだん大きくなり、土佐藩まで首を突っ込み始め、やがては、イギリス人の提督に、外国での事例で判決を下してもらおうなどと大騒ぎになってきて、結局、最後には、紀州藩が折れる形で、賠償金の支払いに合意して手打ちとなったのでした。
・・・で、この交渉中に、どうやら龍馬さん・・・あらゆる手を使って、自分たちに有利な方向へ持って行こうとしたらしいのです。
♪船を沈めたその償いは 金を取らずに国を取る♪
などという歌を巷で流行らせて世論をあおったり、「万国公正」という国際法を持ち出してみたり、使える人脈はすべて使い、駆け引きに次ぐ駆け引きで、半ば強引に、話し合いを進めていったのだとか・・・
しかも、衝突の原因は、いろは丸側の重大な運航ミスかも知れなかったといいますから、さらにたちが悪い・・・。
なんせ龍馬自身が「ちょっとやりすぎたかも・・・」という自覚を持っていたようで、交渉の最中から、すでに「俺、アブナイかも・・・」と、死を覚悟したような事もあったようです。
しかも、結局は、支払われた7万両が、誰にどのように分配されたかも不明というオマケつき・・・これは、これは、疑いたくもなるじゃぁ、あ~りませんか。
もちろん、紀州藩の誰かが直接・・・ではなく、龍馬の居場所を見廻組に教えたっつーのも考えられます。
倒れかけとは言え、やっぱ御三家ですから、紀州藩なら、偽名を使いまくって京都の町をウロウロしていた龍馬の居場所を探し当てる事も可能だったでしょうから・・・。
ただし、やっぱり、これも仮説の一つに過ぎません。
冒頭に書いたように、不可解な部分は他にもいっぱいありますからね。
ホームページのほうでも、あえて結論は出していません。
あーだこーだと議論するのが、一番楽しいと思っていますので・・・。
ひょっとして、これで、ホームページのアンケートに『紀州藩』と投票してくださるかたも増えるのでは?という、淡い期待を持ちつつ、本日のページを終らせていただきたいと思います。
龍馬亡き後の海援隊については、次のページ:11月16日でどうぞ>>
龍馬暗殺の報復:天満屋事件については12月7日でどうぞ>>
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コメント
indoor-mamaさん こんばんは^^
この事件ね~、まったく誰なのか迷惑な話です^^;
今日は私も新選組メインで同じテーマで書いてます。
紀州藩説は龍馬暗殺後、龍馬の仲間たちの間でも囁かれていましたよね。
おかげで紀州藩の重役の護衛に、新選組がかり出されました。
アンケートは面白いですね。大体想像通りかな?
では、またお邪魔しますね^^
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投稿: ルンちゃん | 2008年11月15日 (土) 23時11分
ルンちゃんさん、こんばんは~
もはや迷宮入り・・・まぁ、おかげで、いろんな議論に花を咲かせられるので、楽しいですが・・・
今では、司馬遼太郎さんのおかげて、すっかり有名になった龍馬さんですが、当時は、そんなに有名人でもなかったようなので、意外と本命は中岡慎太郎のほうだったのかも・・・という気もしないではないですが、それにしちゃ、なぜ?中岡にどどめを刺さなかったのか?って話になりますしね・・・
ほんと、不可解・・・ありがとうございました~
投稿: indoor-mama | 2008年11月16日 (日) 01時34分