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2008年12月 1日 (月)

大阪城に生きた虎が?~大阪の昔話・大坂城の虎

 

まずは、大阪に伝わる昔話『大坂城の虎』をご紹介しましょう。

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豊臣秀吉朝鮮出兵(3月26日参照>>)・・・これがたいした負け戦で、このまま日本に帰ったらカッコわるいと思った加藤清正は、せめてもの手土産にと、虎を生け捕りにして日本につれて帰ってきました。

そして大坂城の門のところに大きな檻を作って飼うことになりましたが、これがまたたいへんな大飯食らい・・・。

困った秀吉は「毎日、1匹ずつ、町の者たちから犬を差し出さして虎の餌にする」というおふれを出し、命令を受けた役人たちは、大坂中の犬を次々と引っ立てていきました。

犬を飼ってる人達にとっては大変なことですが、とりあえず太閤さんの命令にさからうわけには行きませんので、皆、しかたなく差し出したのです。

こうして、毎日々々、虎を見ただけでふるえあがり、身動きできない犬たちを、虎はペロリと1口で食べてしまうのでした。

そんなある日、天満で金物屋を営んでいた徳八という男のところにも、役人がやってきて飼い犬のリキを差し出すよう命令しました。

リキをたいへんかわいがっていた徳八は、「かんべんしてやってくれ」と頼みましたが、逆に「犬を差し出さないならお前が虎の餌になれ」と役人に言われ、泣く泣く・・・最後にたっぷりと餌を食べさせて、やさしく毛並みをなでてやって、お城へ連れていきました。

役人は荷物を受け取るようにリキを受け取ると、ポ~ン!っと虎の檻に投げ込みました。

とたん、リキは身構えます。
他の犬みたいに震えあがりませんでした。

虎のほうも、コイツはいつもと様子が違う・・・というのに気づいてすぐには手を出さず、じ~っと様子を見ます。

長い沈黙のあと・・・リキは、虎の首根っこめがけて飛びかかり、みごと虎の首にガブリと噛み付きました。

虎は「ウォーッ!」と叫び声をあげて暴れ、リキの体を前足の爪で引っかきますが、リキは「放すものか」と噛み付いたまま・・・。

しかし、虎の爪はたいへん鋭く、やがて、リキはぱったりと倒れて息耐えてしまいましたが、虎は虎で、首からどくどくと血が流れてぐったりとなり、ほどなく死んでしまいました。

驚いた役人は、「犬の罪は、飼い主の罪や!」と、徳八をしばりあげてつれていってしまいました。

しかし、犬を飼っていた大阪の人々は大喜びして、天満の町の片隅に名犬リキの墓をたててやったということです。

・・・・・・・・・・

以上が、大阪に伝わる昔話ですが、かくいう私が生まれ育ったのは大阪城のすぐ近く・・・子供の頃には、「豊臣秀吉は、虎の脳みそを食べて死んだ」というのがもっぱらの噂で、ずっと信じておりました。

ところで、上記の昔話の、細かなところはともかくとして、「生きた虎」というのが、本当に大坂城にいた可能性というものはどうなんでしょうか?

そんな中、虎退治として有名なのは、やはり昔話にも出てきた、かの加藤清正で、昔から端午の節句の武者人形の題材になったり、錦絵になったり・・・『常山紀談(じょうざんきだん)『名将言語禄』など文書としても多く語られます。

ただ、さすがの清正も、あの勇猛果敢な虎を、錦絵のように単独で捕獲したという事は考え難いですが、文禄二年(1593年)頃の話として、虎は長寿の薬と伝え聞いた秀吉が虎狩りを指示し、朝鮮半島の渡った大名たちが、太閤殿下のご機嫌を取ろうと、こぞって虎退治を行ったという話もあり、虎狩り自体は、どうやら事実のようです。

しかも、虎狩りのために何人もの死傷者が出たために、最後には「虎狩り中止」の命令も出たようですから、やはり、諸大名こぞって・・・というのは本当のようですね。

朝鮮半島の人々が、日本軍の侵攻を恐れて山に逃げた時、「夜になると、虎防止のための火が焚かれるため、日本軍の兵士たちから見れば、彼らがどこに隠れているのかが丸わかりだった」なんていう話もあり、半島では、そこらへんに虎が出没していたのも事実のようですしね。

内臓は塩漬けにされて秀吉のもとに送られ、皮はしとめた大名の物になった・・・というような記録は残っているものの、上記の昔話のように「生きたまま・・・」というのは、どうなんでしょう?

京都の二条城には、狩野派の手による『竹林虎群図(ちくりんこぐんず)という襖絵が残っていますが、虎群図と言いながら、書かれているのは虎と豹・・・実は、江戸時代でも、縦縞の大きな虎が虎のオスで、それより小ぶりなまだら模様の豹が虎のメスだと思われていたようで、やはり、それだけ珍しい、見た事もない動物という認識が高かったように思います。

犬や猫のように飼う・・・というよりは、どちらかというと、鳳凰や龍のように、神様にも似た崇める対象だったようにも思いますね。

昔話の内容は、ちょっと権力を掴んだせいで調子に乗って、大阪弁で言うところの「イキリ過ぎ」の太閤さんに、「難波の庶民のド根性見せたろか!」てな雰囲気が込められているような気がします。
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コメント

タイトルを見て最初に思ったのは…巷に伝わっている柱に縛り付けられた雪舟が足元に落ちた涙を足の指で書いた鼠が走りだして仏前の供え物を食べた。だの、左甚五郎の彫った龍が夜な夜な空を飛んで町の人を驚かした。だの、名工が奉納した狛犬が田を荒らした。だのの類のお話かと思ったのですが、記事を読んだら全然違う話しだったので驚きました。ところで、この飼い主はやっぱり処刑されちゃったんでしょうか?

投稿: マー君 | 2008年12月 1日 (月) 12時38分

マー君さん、こんにちは~

「関西芸術座」の皆さんが、この昔話を題材にした「大阪城の虎」という作品を、毎年定期的に公演させているようなので、それを見にいけば、ちゃんとしたラストシーンがわかるのかも知れませんが、私の知ってるお話は、残念ながらここまでなんです。

さすがに子供の私も、「・・・で、どうなったん?」と、母親に聞きましたが「知らん!」と言われて、それ以来、徳さんの行方はわかりません。

中途半端な終り方ですが、勝手に物語を付け足してはいけないと思い、そのまま書かせていただきました・・・

投稿: 茶々 | 2008年12月 1日 (月) 15時02分

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