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2009年1月31日 (土)

最後の斬首刑で役目を終えた山田浅右衛門

 

明治十二年(1879年)1月31日、強盗殺人で逮捕されていた高橋お伝への死刑が執行されました・・・これが、日本で最後の斬首刑となります。

・・・・・・・・・

高橋お伝の事件のあらましは、一昨年の1月31日に書かせていただいた【高橋お伝】のページへ>>)のですが・・・上記の通り、このお伝は、日本の歴史上、最後の斬首刑となった人です。

以降、明治十三年(1880年)には刑法で「死刑ハ絞首ス」・・・と、絞首刑と定められ、さらに明治十五年(1882年)の1月1日に新刑法で斬首刑が全面廃止となります。

歴史好き&時代劇好きのかたなら、小耳に挟んだ事もおありかと思いますが、この斬首というのは、非常に難しい・・・

そもそも罪人の処刑というのは、本来は役人の仕事なのですが、この斬首に関しては、よほど剣の腕が立つ人がやらないと、かえって罪人の苦しみを長引かせる事にもなり、本人のためにもならないですし、また、残酷な話ですが、この時代はさらし首という場合もあり、その時は、台に乗せやすいという事も考慮して斬らねばならないという使命も帯びていて、かなりの技術が必要なのです。

実は、江戸時代は1600年代の終わりから、この明治の最後まで、江戸時代の約200年を通じて、この役目を代々に渡り、一手に引き受けていた一家があったのです。

つまり、その方々も、この高橋お伝の処刑を最後に、その役目を終えた事になります。

それは、山田浅右衛門(あさえもん)・・・ただし、この山田浅右衛門という名は、一人の人の名前ではなく、家業を代々受け継いだ人が名乗る名前で、江戸を通じて8代・・・つまり、8人の山田浅右衛門さんがいます。

もともとは、剣術の腕に秀でていた初代・山田浅右衛門貞武(さだたけが、「将軍家御試御用(しょうぐんけおためしごよう)という、将軍家の新品の日本刀の切れ味を試す、いわゆる「試し斬り」の役目を仰せつかっていたのですが、この試し斬りも、本当に正確な切れ味を判断するためには、実際に人体を斬ってみなければ判断できないのだそうで、当時の貞武さんは、すでに処刑された罪人の遺体を貰いうけて斬っていたという事らしいです。

しかし、いくら罪人の遺体とは言え、やはり人を斬る仕事ですから、その役目は、幕府の正式の役目とは認められず、身分は浪人扱いでたいへん低いものでした。

やがて、2代目の吉時(よしとき)の頃から、試し斬りだけではなく、罪人の斬首も担当するようにと奉行所から依頼されるようになるのですが、それは、上記のように、斬首という仕事が大変難しい専門職である事から、同じように剣の腕が確かでないとできない試し斬りという仕事をこなしている山田家に・・・という事のようです。

ただ、それでも身分は浪人のままではありましたが、やはり、誰もが敬遠する仕事という事で、報酬はかなり良かったみたいですね。

しかも、試し斬りのほうの仕事もありますから・・・こちらは、将軍家だけでなく、大名や旗本からも頼まれ、高価な日本刀を鑑定するわけですので、その謝礼というのが、かなりの金額になるのは想像できます。

おかげで、山田家は、代々裕福な生活ができたわけですが、そのぶん、常に剣の腕を磨いておかなかればならず、さらに、辞世の歌を詠む者がいれば、その心情を理解し、配慮するために、俳句や和歌などの極意も習得しておく必要もあり、しかも、この役目は日本中で山田家ただ一つの独占営業・・・という、極めて特殊な家柄だったのです。

中でも、第7代・吉利(よしとし)という人は、その鑑定眼も鋭く、剣の腕もバツグンで、この吉利さんの代の時に山田家は最も隆盛を極めているのですが、このかたは、あの安政の大獄(10月7日参照>>)での橋本左内(10月7日参照>>)吉田松陰(10月27日参照>>)の処刑を執行した人でもあります。

・・・で、今回の高橋お伝の斬首を担当したのは、吉利の三男・吉亮(よしふさ)という人。

彼は、父の吉利に連れられ、12歳で初めて刑場に入って以来、兄弟の中では最も多く刑の執行を担当し、8代目に代わる働きをした人なのですが、山田浅右衛門の名は、兄である長男の吉豊が継いでいるので、研究者によっては、彼を9代目としたり、閏8代目、あるいは裏8代目と呼ぶ人もおられるようで、その解釈はまちまちです。

明治七年(1874年)に8代目・吉豊の職が解かれた後も、しばらくは、役目を引き継いでいた吉亮が、斬首刑が廃止となった後に、昔語りとして山田家の事を語った事で、それまでは、あまり知られていなかった闇の部分も明らかになりました。

そんな山田家では、毎晩のように宴会が開かれいたそうで、それも、ハンパない騒ぎっぷりの大宴会だったようですが、近所では、やはり、仕事が仕事なだけに、「山田家では夜な夜な宴会が開かれてるけど、あれは、怨霊にとりつかれへんように夜通し大騒ぎしてんねんで~」などとウワサされていたのだとか・・・。

吉亮さんの証言では、毎夜ではないにしろ、しょっちゅう宴会が開かれていたのは確か・・・。

それは、やはり役目とは言え、彼らも人の子・・・その日の夜は、興奮して眠れないのだそうで、どうせ眠れないなら、気を鎮めるためにも、思いっきり飲もうという事だったようです。

泉岳寺への月に一度のお参りも欠かさなかったようですし、何ヶ所ものお寺に寄付をしたり、慰霊のための供養塔を建てたり、あるいは、浮浪者を自宅に連れ帰ってお風呂に入れて食事をさせて、古着や現金をプレゼントしたり・・・というような事も、いかに山田家が、その精神を保ち続けるのが大変だったかを物語っているでしょう。

そんな山田家の家業継承の最後の人となった吉亮さん・・・とにかく、最後の仕事を終えられて、やっとこさ、ホッと、肩の荷を下ろす事ができたのかも知れません。

ただし、吉亮さんの証言によれば、新刑法で斬首刑が廃止される半年前の7月24日に、彼は最後の仕事をしたという事なので、ひょっとしたら、高橋お伝の後にも、まだ、あったという事なのかも知れませんが、一応、通説では、明治十二年(1879年)1月31日最後の斬首刑となっていますので、この話題を、本日書かせていただきました。
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明治・大正・昭和」カテゴリの記事

コメント

斬首刑がなくなった後の山田家の生活は貧困を窮めたようですよ。それと言うのも、茶々さんが記事に書いてるように、派手な宴会を続けたって事と、自分たちが処刑した罪人の供養として、その罪人の葬られた寺へ多額の寄進をしたり、遺族への生活保護の費用として多額の手当金を与えた為…幕府や大名家から得てた刀の鑑定料や斬首刑執行手当金などは手元に残っていなかったからと聞いています。

投稿: マー君 | 2009年1月31日 (土) 10時02分

マー君さん、こんばんは~

現役当時は、3万石の大名に匹敵するほどの収入があったようですが、大名と違って領国を管理する費用がいるわけでもなく、言わば丸儲けですから、かなり羽振りが良かったのでしょう。

しかし、やっぱ、お酒を浴びるほど飲まないとやってられないのも確かでしょうね。

近所からみて、毎晩宴会しているように感じるくらい、その仕事量が多かったわけですから・・・

投稿: 茶々 | 2009年1月31日 (土) 17時12分

暴れん坊将軍にも山田浅衛門て出てきます。ただ…あちらは貧乏浪人で弟子なんて一人もいない設定ですけどね。

投稿: マー君 | 2009年1月31日 (土) 19時07分

マー君さん、再びこんばんは~です。

そう言えば、必殺シリーズのどれかにも出てましたねww

今、思えば、裏稼業などせずとも、表で堂々と稼ぎまくれたって事ですね。

投稿: 茶々 | 2009年1月31日 (土) 23時05分

あの高橋お伝ですね、そうそう、昨年記事ありましたよね。思い出しました。

投稿: sisi | 2009年2月 1日 (日) 00時00分

sisiさんこんばんは~

1月31日は旧暦がないので、近代史が苦手な私としては、今から、来年は何を書こうかと思案中です・・・

投稿: 茶々 | 2009年2月 1日 (日) 02時55分

初めまして。
私も剣士であり、首切り朝右衛門は剣道家として敬っています。
現在も同じですが、剣の腕だけで生活するのは大変みたいですね。

投稿: 上杉道満丸 | 2011年5月 7日 (土) 23時05分

上杉道満丸さん、こんばんは~

>剣の腕だけで生活するのは大変みたいですね。


そうでしょうね~
江戸時代は、なんだかんだでけっこう平和でしたし、後継者の育成大変だったかも知れません。

投稿: 茶々 | 2011年5月 8日 (日) 02時46分

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