« 棚ぼた?計略?宗麟の「大友二階崩れ」 | トップページ | テーマ別~目次~ »

2009年2月11日 (水)

信長と似てる?暴君ではない平清盛のもう一つ顔

 

仁安二年(1167年)2月11日、平清盛が太政大臣に就任しました
 

・・・って事で、昨年は、その異常な出世の要因ではないかと思われる平清盛の出生の秘密について書かせていただきましたが(2008年のページを見る>>)、今回は、彼の人物像に迫ってみたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・

以前、どこかで、「平清盛と織田信長の人物像が大変似ている」という話を小耳に挟んだ事がありますが、私自身も、確かに似ている気がしてます。

まずは、何と言っても経済発展への関心度・・・

清盛が(中国との貿易を重視したのに対し、信長は南蛮貿易を行い、清盛が瀬戸内の海運で物流を発展させれば、信長は楽市楽座で・・・。

次に、政教分離に関しても・・・

確かに、清盛の時代は完全に分離とはいきませんが、その姿勢は垣間見えます。

その最たるものが南都・焼き討ち(12月28日参照>>)・・・そのページには「失火かもしれない」とは書きましたが、少なくとも、興福寺や東大寺の僧兵相手に武力を行使した事は確かです。

信長は、言うまでもなく延暦寺と本願寺(11月7日参照>>)ですね。

さらに、天下目前で、まさかの終わりを告げるところも・・・。

清盛自身は病死(2月4日参照>>)ですが、彼の一門を滅亡に追い込むのは、昔、情けをかけてその命を助けた、かの源頼朝(2月9日参照>>)

信長も、可愛がっていた家臣・明智光秀に、本能寺へ攻め込まれます(6月2日参照>>)

ともに、仏を敵に回した事で、その人物像は魔王のごとき暴君のように伝えられ、その死が、あたかも自業自得の天罰のように描かれるところまでそっくりです。

しかし、ご存知のように、信長が光秀にしたとされるパワーハラスメント的な仕打ちは、ほぼ、後世の創作とされていますし、比叡山焼き討ちや一向一揆への殺戮に関しても、かなりの偏った脚色がされていて、信長を魔王に仕立てあげたい仏教側の意図が見え隠れします。

今、思い描く清盛の人物像も、かの『平家物語』作者の意図で、聞き手に暴君のイメージを描かせているのにすぎないのではないでしょうか。

「祇園精舎の鐘の声・・・」
で始まる有名な冒頭部分・・・教科書に載っている「・・・ひとえに風の前の塵に同じ」の後には、「遠く異朝をとむらえば・・・」と続きます。

この異朝というのは中国の事ですが、平家物語では、この冒頭の部分で、その中国の趙高(ちょうこう)や、安禄山(11月9日参照>>)やらを引き合いに出し、日本からは平将門藤原純友やらと比較して、「それらに勝るとも劣らない、その暴君ぶりを今から披露しますよ」といった雰囲気で話を進めていくわけです。

その1巻に書かれている平家の横暴ぶりを象徴する有名なエピソード・・・。

清盛の孫・資盛(すけもり)が、時の摂政・藤原基房(もとふさ)ご一行と道端でバッタリ出会った時の事・・・相手は、摂政なのですから、当時の常識としては、資盛は、馬から下りてご挨拶しなければならないのですが、それをしなかったために、怒った基房の従者が、資盛をムリヤリ馬から引きずり下ろしたという事件。

これに激怒した清盛が、今度は基房の行列を待ち伏せして襲撃し、ボコボコにした上、従者らのチュンマゲを切っちゃったというものです。

この野蛮な行為を恥じた清盛の長男・重盛は、非は資盛にあるとして、後日、資盛を謹慎処分にした・・・と平家物語は言いますが、、実は、この頃の清盛には、福原(神戸)に滞在中というアリバイがあり、この報復をやったのは、その長男の重盛なのです。

平家物語は、とにかく清盛を悪人に描きたいために、それに対比するように、父より先に死に行く重盛を、清廉潔白な人物として描いているようです。

逆に、その清盛が滞在していた福原には、「経ヶ島(きょうがしま)の伝説」という言い伝えが残ってします。

それは、この経ヶ島は、先に触れた海運の発展を見越して作られた船を停泊させるための人工島なのですが、この島を造成する時に、清盛は、それまで習慣として行われていた人柱(いけにえ)を廃止し、そのかわりに経文を刻んだ石を埋めて造ったのだとか・・・それで、この島の名前が経ヶ島となったというのです。

また、ほぼ清盛の生存中と同時代に書かれたと言われる『愚管抄(ぐかんしょう)では、彼の印象を「慎み深く、何とか良い方向へ持っていこうと、あっちにもこっちにも気をつかう人だ」と書いています。

もう一つ、『十訓抄(じっきんしょう)という説話集では、さらに具体的に、「彼の気をひこうと、つまらんギャグを言う人にも、さも面白そうに笑ってあげるし、仕事をトチッた人がいても、ヒドイ言い方で叱責するような事はなく、寒い季節には、宿直の部下を暖かい場所で寝かせてやり、自分が先に目覚めると、彼らを起さないようにそ~っと、ぬき足さし足で、部屋の前を通っていく」と・・・

何て、イイ人なんだ~・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

考えてみれば、清盛のやった史実とされる事で、100%悪行と言えるのは、後白河法皇と対立して法皇を幽閉した(11月17日参照>>)ぐらいですが、それこそ、後白河法皇は、あの頼朝に「日本一の大天狗」と言われた人なのですから、そんな策略好きには、それなりの対処は必要なわけで、清盛側が一方的に悪いとは言い切れないような気がしてきました。

そう言えば、冒頭にお話した頼朝の助命もそうです。

イイ人でない限り、どんなに周りから頼まれたって、あんなアブナイやつを生かしておくはずがありません。

何となく、清盛さんの印象が変わりましたね。

あ・・・かと言って、清盛を悪人に仕立てあげた平家物語がダメだというのではないですよ。

なんせ、平家物語は軍記物・・・言わば歴史小説ですから、あの『忠臣蔵』(12月14日参照>>)と同じで、善と悪をはっきりさせて、よりドラマチックに演出していただいたほうが、読み手としても楽しいわけですから・・・

時代劇や大河ドラマも、「あそこが違う」「ここがヘン」とほじくり返しながら見るよりも、そのストーリーの展開を楽しんだほうが・・・史実は史実として知る事は大事ですが、ドラマはあくまでドラマなんですから・・・

・・・て事は、本日の清盛さんには、もう少しの間、悪人を演じていただくのも、アリなのかも知れませんね。
 .

内容が「よかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】を・・・
ブログ内の人気ページとしてランキングされます(゚ー゚)あなたの応援で元気100倍!

人気ブログランキングへ    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ



 

 


|

« 棚ぼた?計略?宗麟の「大友二階崩れ」 | トップページ | テーマ別~目次~ »

源平争乱の時代」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。
また来させていただきました♪
ちなみにブックマークもさせていただきました゜.+:。(*´v`*)゜.+:。
そして半兵衛の記事について、リンクだけでなく、部分的に抜粋して私のブログでも紹介させて頂いたことを、ここにて御断り&御礼申し上げます。すみません、勝手に(/□≦、)

それにしてもすごい情報量と、的確で面白みのある文章力に感心させられます!!
なんか、(その時代の)人間が見えてくる感じですね~。

投稿: ざぶとんうさぎ | 2009年2月12日 (木) 01時24分

なるほど、清盛と信長…確かににてますね。後白河法皇幽閉と足利義昭追放も似てるっちゃあ似てる気もしますしね。

投稿: マー君 | 2009年2月12日 (木) 01時41分

ざぶとんうさぎさん、再度のご訪問、ありがとうございます~

いえいえ、こちらこそ、このブログを取り上げていただいてありがとうございます。

>その時代の人間が見えてくる感じ・・・

うれしい事を言ってくださるヽ(´▽`)/
きっと、それは、私が妄想好きだからかも知れません。

いつも、その場の情景を思い描きながら書いてますww

投稿: 茶々 | 2009年2月12日 (木) 02時52分

マー君さん、こんばんは~

>後白河法皇幽閉と足利義昭追放も似てる・・・

確かにそうですね。
信長は正親町天皇にも、牽制かけてますから・・・やっぱ、似てますね。

投稿: 茶々 | 2009年2月12日 (木) 02時55分

僕は、歴史好きと言っても専ら戦国時代と、記紀神話の一部ぐらいしか知らないんで、清盛と信長が似ているなんて視点は発想になかったです。僕は信長に似た人を後生の人から見出すとしたら同じ戦国武将の伊達政宗がよく似てる気がします。以下に信長と政宗に関して巷間伝わっている事跡から対比してみたいと思います。1、信長…幼少時にはウツケと呼ばれ家臣から目を背けられた。政宗…隻眼ゆえのコンプレックスから内気で覇気に乏しく家臣から失望されたと言われる。…と、どちらも家臣から人望を得てなかった。2、二人とも母親が弟を偏愛し弟に家督相続させようとした。3、信長…父から家督を受け継ぐや、尾張国内に割拠していた織田一族をまとめ桶狭間で今川義元を討ち、数年で海道一の大名に成長。政宗…家督を継いでより僅か五年ほどで奥羽六十余郡の半分…三十余郡を掌握する。など二人とも家督を受け継いでより比較的短期間に飛躍的に領土拡大した。4、信長…鉄砲の威力を認識しいち早く鉄砲隊を創設した。政宗…東北と言う偏狭の地に在りながら、これまた鉄砲の威力を知るや、騎馬隊に鉄砲の練習をさせ鉄砲騎馬隊を作った。5、信長…新しい秩序の構築の為には比叡山を焼き討ちにしたり、一向宗門徒を容赦なく切り捨てた。政宗…東北にあっては、戦国大名家の婚姻が進んでいたため戦になっても決定的打撃を与えず、なぁなぁで済ますことが常だったのを小手森城の撫で斬りで東北にも新しい秩序をもたらそうとした。と、まぁこんなとこですが、歴史通のindoor-mama.さんの見解は如何ですか。

投稿: マー君 | 2009年2月13日 (金) 00時56分

また、ちょっとお邪魔しますcoldsweats01
平家物語ファンの私が、読むたび不思議に思っていたのが、清盛の描き方。
平家物語の作者は明らかに平家贔屓ですから、平家一門を良く見せるため、あれもこれも問題の事項は全部清盛のせいにしたのかも知れませんねgawk

投稿: ななみみず | 2009年2月13日 (金) 01時59分

マー君さん、こんばんは~

そうですね・・・確かに、信長と政宗、似てる気がします。

ただ、私の個人的意見を許していただけるなら、後世の人の受ける印象がまったく違うような気がします。

本文にも書かせていただきましたが、「魔王のごとき暴君でその死さえも自業自得の天罰のように言われる」という部分です。

このブログでも、時々コメントをいただきますが、信長の事を大キライだという人がかなり多い・・・ファンも多いけど敵も多いんですよね。

その点、伊達政宗が大キライだという人は少ないような気がします。
人生はかなり似てると思いますが・・・

投稿: 茶々 | 2009年2月13日 (金) 02時02分

ななみみずさん、こんばんは~

>あれもこれも問題の事項は全部清盛のせいにしたのかも・・・

たぶん、そうですね・・・

おごる平家と滅び行く平家をはっきり区別するためには、おごる平家の部分を全部、滅び行く前に亡くなる清盛さんに押し付けないと、滅び行く美しさを強調できなかったのかも・・・ですね。

投稿: 茶々 | 2009年2月13日 (金) 02時17分

天下こそ取れなかったものの、徳川政権下で東北の巨人とか奥州の将軍と畏れられるほどの地位を築き天寿を全うした政宗と、志半ばで逝った、しかも一番可愛がっていた家臣に討たれるといった非業の死を遂げた信長。後生の人の視点は様々なんで一概に比較し切れませんが、評価が分かれるのも…二人の死に方にも影響されてる気がします。歴史にIfはタブーですが、信長が本能寺で死なずにいたら、その後の歴史は随分違ったでしょうし、信長の評価も全然違ったモンになってたでしょうね。

投稿: マー君 | 2009年2月13日 (金) 11時18分

マー君さん、こんにちは~

そうですね・・・
その後の、秀吉&家康は、信長なしではありえませんからね~

投稿: 茶々 | 2009年2月13日 (金) 14時40分

23日のハルさんの投稿にもありましたが、12年大河の主人公は平清盛になるかもしれません。日刊スポーツに書いてあります。「正式発表」前なのでタイトルは未定です。
(源氏から見て)悪役のイメージのある平清盛。清盛は60代まで生きたので、配役は今40歳あたりの人になるのかな?
躍進した壮年期。栄華を極めた中年期。一門の憂いを思う老齢期。私個人では後の時代の信長より秀吉に似ている感じがします。どう描かれるでしょうね。既刊小説を採用するか、オリジナルかも未定です。
2012年が平安時代末期(05年の「義経」より少し前)とは、ずいぶん古いですね。
そうなると「大河ドラマ50周年記念作」となる2013年は、時代に関係なく「有名な人物」を主人公に当てるのでしょうか?

投稿: えびすこ | 2010年7月23日 (金) 17時41分

えびすこさん、こんばんは~

そうですか…平清盛ですか。
あまりにも、戦国と幕末を交互に…ってなっちゃいましたからね。

でも、結局、幕末と戦国以外だと源平の時代しかないんですかね~
この時代なら、木曽義仲が良かった気がしないでもない(*^m^)

投稿: 茶々 | 2010年7月23日 (金) 19時39分

さていったい誰が脚本を手がけるんでしょう?タイトルがまだ未定のようで、来週中には決まるでしょうね。
少し前に「歴史秘話ヒストリア」で、平家一門の奮闘を取り上げていました。再来年は「貴族政治から武家政権へ、移行期を担った平家一門」と言う位置づけでしょうか?神戸を開発した事にも触れるでしょうかね?
来年・再来年と衣装が華麗になっていいですね。それにしても今年の着物の小汚さときたら…。

12年が幕末作品なら抗議しようかと、本気で考えましたが杞憂で済みました。NHK関係者も「戦国・幕末ローテ」は、もう止めようと思っていたみたいです。

投稿: えびすこ | 2010年7月23日 (金) 23時35分

えびすこさん、こんばんは~

毎週、ワクワクするようなのを期待しますヽ(´▽`)/
まぁ、天地人も、ある意味ワクワクしましたが…

投稿: 茶々 | 2010年7月23日 (金) 23時49分

こんばんは!

2012年は、きよもっさん主人公ですか!?
いいですね~!私、実は一番鎌倉時代が好きなのでwでも、頼朝と政子がめっちゃ好きなんですよね~!悪者に描かれて欲しくないな~
NHKの歴史ヒストリア、初回がその夫婦で、まぢテンション上がりました!
ま、一番好きな人物は豊臣秀吉なんですがw
来週は石田三成ですよ…見逃せない!
きよもっさんは、確かに信長に似てると思います!
頼朝は、足利直義と似てると思います!
そして、、、秀吉は伊藤博文に似てないですか?両者とも農民出身、女好きw、初の天下人・総理に、朝鮮攻める・・・どうですか?

長々とすみません!

投稿: 暗離音渡 | 2010年7月25日 (日) 23時15分

暗離音渡さん、こんばんは~

>悪者に描かれて欲しくないな~

同感です。
是非とも「経ヶ島の伝説」を…と願うばかりです。

私はよく、石田三成と明智光秀がカブリます。
まっ、これはキャラクターじゃなくて「みつ」がかぶってるからなんですが…c(>ω<)ゞ

投稿: 茶々 | 2010年7月26日 (月) 01時11分

今晩は!ここ最近、度々お邪魔させて頂いております!

結局のところ、清盛も信長もその時代においての寵児、国の進化のために生きたということだと思います。思考回路が似通っていたからこそ、歴史において行動もリンクしてしまったと。ただ、信長のルーツが平氏の血筋だという話を聞いたことがあるので、事実にしろ捏造にしろ、信長が清盛の真意を心のどこかで意識していたのではないでしょうか。

でも、こういう改革的な意味で国に力を尽くそうとする人間は、大抵保守的な既存勢力によって歴史上悪者扱いされたり、ろくな結末を迎えなかったり、その時代には受け入れられなかったり…歴史に『もしも』は禁句だと判ってはいますが、この二人がもう少し長生きしていたらと思うと何とも言えない気持ちになりますね。

投稿: うちゃ | 2012年2月 9日 (木) 21時46分

うちゃさん、こんばんは~

今年の大河での清盛無頼ぶりは、信長の若い頃っぽい描き方ですね~

原作者も、信長と似ている事を意識しておられるのかも…

投稿: 茶々 | 2012年2月10日 (金) 02時44分

出世して、から、思いやりをな無くしたという説も...

投稿: ゆうと | 2012年4月 4日 (水) 18時31分

ゆうとさん、こんばんは~

>出世して、から、思いやりをな無くしたと…

清盛が?
信長が?

個人的には、二人とも、亡くなる時まで、すごくイイ人だったと、私は思ってます。

清盛最大のミスは、頼朝や義経など義朝の息子たちを生かしておいた事…
信長最大のミスは、考えられないような少ない警備の人数で城とも言えない場所に滞在した事…

コレ、どちらもイイ人でないとやらないような気がします。

投稿: 茶々 | 2012年4月 5日 (木) 01時33分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/47570/27976127

この記事へのトラックバック一覧です: 信長と似てる?暴君ではない平清盛のもう一つ顔:

« 棚ぼた?計略?宗麟の「大友二階崩れ」 | トップページ | テーマ別~目次~ »