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2009年2月23日 (月)

江戸を死守する最後の砦~彰義隊・結成!

 

慶応四年(1868年)2月23日、浅草本願寺にて開かれた尊王恭順有志会の4度めの会合で、会の名称を『彰義隊』とする事が決定されました。

・・・・・・・・・・・・

この年の1月3日に勃発した鳥羽伏見の戦い(1月3日参照>>)・・・戦いに負けたうえ、賊軍(天皇に反抗する側)となってしまった第15代江戸幕府将軍・徳川慶喜(よしのぶ)は、わずかの側近だけを連れて大坂城を脱出し、江戸城へと入りました(1月6日参照>>)

その後、慶喜は、この先、戦う意志がない事を表明し、第14代将軍・徳川家茂(いえもち)の奥さんで故・孝明天皇の妹の和宮(かずのみや)を通じて、徳川家の存続と自らの処分に寛大な処置をしてくれるよう、朝廷に働きかけるとともに、2月12日には上野寛永寺にて謹慎生活に入りました(1月17日参照>>)

慌てたのは、その慶喜を主君と仰ぐ一橋(ひとつばし)家の家臣たちです。

鳥羽伏見で負けたとは言え、まだ、幕府というものは存在し、将軍の下には多くの者がいるわけですから、トップだけに「戦争や~めた!」と、恭順な態度をとられても、俺らはどうしたら・・・てな感じでしょうね。

そんな一橋家の家臣で、旧陸軍調役(しらべやく)だった本多敏三郎伴門五郎(ばんもんごろう)らが、一橋家の同志・17名に声をかけ、雑司ヶ谷茗荷屋(ぞうしがやみょうがや)にて会合を開いたのは、慶喜が謹慎に入ったのと同じ2月12日でした。

第1回目の会合で『尊王恭順有志会(そんのうきょうじゅんゆうしかい)と名付けられたこの集団は、その名の通り、慶喜の恭順な態度を指示し、その名誉回復に努めるべく結成された集団で、新政府軍に対して戦いを挑む集団ではなかったのです。

ところが、5日後の2月17日に開かれた第2回目の会合で、すでに、その方向性が変わってしまいます。

・・・というのも、上記の通り、第1回目の出席者がわずか17名・・・「これだけでは心もとない」と、一橋家以外の直参の武士たちにも声をかけたところ、おかげで出席者が30名になったものの、そうなると、慶喜の名誉回復だけでは、話が済まされなくなってしまったのです。

慶喜は一橋家出身ではありますが、なんせ、将軍ですから・・・先ほどの通り、将軍の下には多くの武士がいるわけで、慶喜のこれからは、彼らのこれからでもあるわけですし、慶喜の名誉回復というより幕府の名誉回復、さらに、これまでの幕府への恩義に報いるにはどうすべきか?てな事が話し合われるようになってくるのです。

その4日後に開かれた第3回目の会合では、さらに参加者も67名に増え、その新参者の中には、渋沢成一郎(せいいちろう)天野八郎もいました。

大きな集団となり、さらにヒートアップする彼らは、慶応四年(1868年)2月23日、浅草本願寺で開かれた第4回目の会合で、この集団の名称を『彰義隊(しょうぎたい)とする事とし、一橋家に仕えて慶喜の奥祐筆(おくゆうひつ・秘書)をしていた渋沢を頭取に、農民出身ながら幕臣だった天野を副頭取に任命し、この本願寺を駐屯とする彰義隊が正式に誕生したのです。

しかし、そんな彼らは、幕府にとってもヒヤヒヤもんです。

なんせ、トップはただひたすら恭順な態度をとっているわけですから・・・なのに、慶喜の名誉回復&護衛と言っても、血気盛んな男どもが集団になれば、いつ暴発するとも限りません。

そこで、幕府は、現在、戦いの混乱から無政府状態のようになってしまっている江戸の町の治安維持という役目を彼らに与えて、その矛先を別の方向へ向けさせようと考えました。

ところが、これで、彰義隊はますます、その勢力を拡大する事になります。

なんせ、幕府公認って事は・・・要するに給料が出ます。

もはや、貧困にあえいでいた食いぶちのない旗本の次男坊や三男坊が、どんどこ集まり、あっという間に彰義隊の隊員は1000名にも膨れ上がり、さらに、3月中旬頃には、慶喜の警固と称して、上野寛永寺に駐屯するようになります。

寛永寺は、歴代の徳川将軍が眠る寺院でありながら、軍事的な要塞としての使用も可能な城郭にも似た設計・・・ますます、来たるべき政府軍との抗戦の雰囲気が色濃くなってくるのですが、ここで、頭取であった渋沢が脱退します。

渋沢は、あくまで慶喜の名誉回復と身辺警護を主張する穏健派・・・最初の段階の尊王恭順有志会の方針のままでいきたかったのです。

しかし、上記の通り、彰義隊が別の方向へとさらに過激になっていく現状を見て、武闘派の副頭取・天野との間に生じた溝が大きくなる一方である事を感じていたのでした。

こうして、彰義隊のトップに立った天野は、もはや身分もクソも関係なく、来る者は拒まず状態・・・積極的に入隊希望者を次々と採用して、隊員は2000~3000名ほどの大きなものになっていきました。

こうなると、ただひたすら恭順な態度で謹慎している慶喜にとっても、逆に迷惑な話ですから、慶喜も何度も天野に、上野から撤退するようにすすめるのですが、天野は決して応じなかったのです。

やがて、新政府軍大総督・有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)駿府城に入り、3月6日には、その参謀会議で、3月15日に江戸城総攻撃が決定されます。

東海道を進んだ新政府軍は一戦も交える事なく3月12日に品川に到着、東山道を進んだ別働隊も甲府勝沼甲陽鎮撫隊(こうようちんぶたい)を破って(3月6日参照>>)3月13日に江戸に入りました。

もはや、江戸での決戦は避けられない状況となりますが、ここで登場するのが、かの勝海舟(かつかいしゅう)・・・。

さすがに、彰義隊の主導権を握っているのは天野でも、幕府の主導権を握っているのは陸軍総督の勝・・・ご存知のように、勝の命を受けた山岡鉄舟(てっしゅう)によってダンドリされた勝と西郷隆盛の会談(3月14日参照>>)

江戸城総攻撃・直前の3月13日と14日、2日間に渡って行われたこの会談によって、江戸城無血開城が決定するのです(4月11日参照>>)

なんだかんだとありながらも、とりあえず一大名として存続する事になった徳川家・・・慶喜は、その会談での決定通り、寛永寺を出て、水戸へと移りますが、彰義隊は、それでも寛永寺を動こうとしませんでした。

寛永寺住持・輪王寺宮公現法親王(りんのうじのみやこうげんほうしんのう・北白川宮能久親王)を奉じて、徳川家霊廟守護(れいびょうしゅご)・・・つまり、徳川家のお墓を守るという名目で、そのまま寛永寺に居座り続けるのです。

彼らは、それまでと同様、無政府状態の江戸の町を横行する盗賊などを捕まえ、町の治安維持に貢献していましたので、江戸の一般市民にはたいへんありがたい存在。

しかも、朱色の文字で大きく「彰」とか「義」とか書かれた目立つ提灯を掲げて、見回りを続けるもんだから、カッコイイったりゃありゃしない。

逆に、江戸城に入った新政府軍は、兵力も軍資金も底をついていて、江戸の町の治安維持まで手が回らないのが現状・・・

こうなると、彰義隊の人気はますます上がるのですが・・・そうは問屋が卸さないのは、皆様ご存知の通り・・・。

この状況を打開すべく新政府軍が白羽の矢を立てたのが、天才軍略家・大村益次郎なのですが・・・と、今日はこのあたりまでにさせていただいて、このお話の続きは、その益次郎が、新政府軍・大総督補佐として江戸にやって来る4月4日のページでどうぞ>>

注:この年は閏月で4月が2回あります・・・江戸城無血開城は4月11日で、益次郎が江戸に入るのはその翌月の閏4月4日です
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コメント

幕末には、勤皇派・佐幕派・皇武合体派…様々な派閥があり、それぞれの主義主張を共にする者同士が○○隊だの○○組だの○○党だのの名で徒党を組んで活動をしてますが、これまでドラマ化されてるのは主に新撰組か白虎隊ぐらいで、他の組織が取り上げられる事は有りませんでしたね。今後は、ほかの組織が主役扱いのドラマもやってほしいです。

投稿: マー君 | 2009年2月23日 (月) 19時43分

マー君さん、こんばんは~

そうですね、ドラマでやってほしいです。

彰義隊とか天狗党とか・・・活動期間が短いので、大河はムリかも知れませんが、番組改編時期のSPドラマででもやっていただきたいですね。

投稿: 茶々 | 2009年2月23日 (月) 22時55分

政治的団体とか武闘派集団とかって言うんじゃないですが、海援隊も取り上げてほしいですね。海援隊も何かというと坂本竜馬ばかりが目立って、隊そのものの活動とか時代に与えた影響などが取り上げられることは殆ど無かったように思いますからね。日本初の総合商社…海援隊の実像に迫るドキュメンタリータッチのスペシャルドラマをやってもらいたいです。

投稿: マー君 | 2009年2月23日 (月) 23時25分

マー君さん、再びこんばんはです。

次の大河でどのあたりまでをやってくれるのか楽しみですね。

投稿: 茶々 | 2009年2月24日 (火) 00時18分

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