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2009年2月13日 (金)

氏・素姓と苗字の話

 

明治八年(1875年)2月13日、平民に苗字をつける事が強制され、すべての国民が姓を名乗る事が義務づけられました。

・・・・・・・・・・・・・

それ以前の明治三年(1870年)9月19日の太政官布告で、「庶民ノ氏ヲ称スルヲ許ス」と、すでに許されていたのですが、この明治八年(1875年)2月13日、新たに、「平民ニ令シテ氏ヲ称シ、其詳ナラサル者ハ、新ニ之ヲ設ケシム」という太政官布告が出されたのです。

つまり、最初のは「許可」で、今度のは「命令」・・・なので、冒頭の文章のように「平民に苗字をつける事が強制・・・」という言い回しになるわけです。

果たして、当時の人々が、「俺もサムライみたいに苗字を名乗りたい」と思っていたか、「別に、えぇやん、面倒くさい」と思っていたかは、人それぞれってトコでしょうが、とにかく「命令」なので、自分で考えつかない一般庶民は、村の庄屋さんのところへ相談しに行ったり、エライお坊さんにつけてもらうためにお寺へ走ったり・・・と、なかなか大変だったようです。

ところで、現在では苗字と姓は、ほぼ同じ物という認識で、いわゆるフルネームの事を、「姓名」と言ったり、「氏名」と言ったりしますが、これも、その国民全員が苗字を名乗るようになったからで、もともとは苗字と姓は別物・・・。

以前、羽柴秀吉が、朝廷から豊臣の姓を賜ったところの【豊臣という姓に秘められた秀吉のコンプレックス】(12月19日参照>>)のページでも書かせていただいたので、以下、少し内容がかぶる部分がありますがお許しを・・・。

・‥…━━━☆

そもそもは、記紀神話の時代・・・神倭伊波礼毘古命(カムイヤマトイハテビコノミコト・神武天皇)日向から東へと進む、いわゆる神武東征の中で登場する、天皇を助けてともに戦ったり、敵対するも負けて臣下になったりする人たち・・・。

たとえば、宇陀(奈良県)兄宇迦斯(エウカシ)を倒す手助けをする道臣命(ミチノオミノミコト)・・・このかたは大伴(おおとも)の祖先であると、また、宝物を献上して天皇の臣下となる河内(大阪府)一帯を治めていた邇芸速日命(ニギハヤヒのミコト)物部(もののべ)の祖先・・・と、こんな感じで、神話の中に登場するのが、いわゆる一族の氏素姓を意味する「本姓・姓(かばね)という物で、代表としては、大伴・物部の他に中臣(なかとみ)蘇我(そが)などの姓があります。

さらに、これに加えて、あの中臣鎌足(なかとみのかまたり)が、天智天皇から藤原の姓を賜ったように、多大な功績のあった人が天皇から賜る・・・というのもあり、橘諸兄(たちばなのもろえ)という姓もコレです。

やがて、平安時代になって、桓武天皇嵯峨天皇清和天皇みたく、たくさんのお妃との間にたくさんの子供をもうけるようになると、そんなに天皇家がたくさんいても困るので、天皇家を継がない次男や三男などの息子に(7月6日参照>>)といった姓を与えて、天皇家を守る臣下としたのです。

これが、源氏平氏・・・なので、源氏には、清和源氏嵯峨源氏宇多源氏など、それぞれの天皇から枝分かれした源氏があるわけですが、以上のように、これら姓というものは、天皇から賜わる物だったのです。

ところが、平安末期から鎌倉時代あたりになると、中央の貴族も地方の武士も、ほとんど源・平・藤・橘の四姓で占められるようになり、あの人もこの人も源で藤原で・・・ってややこしくてしかたがない!・・・という事で、一族を表す姓の他に、苗字という物を名乗り始めます。

つまり、朝廷から賜る姓に対して、苗字は勝手に名乗っていい物・・・中央貴族の場合は、本第(ほんてい)の屋号や一族の祭祀所の名前を名乗りました。

たとえば、藤原氏北家なら、近衛九条鷹司(たかつかさ)一条三条五条・・・てな具合です。

一方、地方の武士は、本宅のある土地の名前・・・つまり領地の地名を苗字として名乗りました。

たとえば、現在の足利市のあたりを領地としていたので足利・・・です。

よく、疑問に思う事・・・「源頼朝=みなもとよりとも」は、姓と名の間に「の」が入るのに、なぜ足利尊氏「あしかがたかうじ」と言わないのか?というのは、この姓と苗字の違いです。

尊氏の足利家も、源氏の子孫ですから、尊氏の本名は源尊氏(みなもとたかうじ)です。

朝廷に赴く時は、正式な、この源尊氏を名乗りますが、それ以外は足利尊氏・・・つまりは、氏という一族足利という一家尊氏という事になるわけですが・・・

そんなこんなで、どんどん勝手に名乗っては増えていった苗字ですが、この明治八年(1875年)2月13日の命令が出るまで、武士以外は、皆、苗字が無かったのか?と言えば、そうではありません。

以前書かせていただいた【意外!?中世の名も無き人の名前とは?】(8月21日参照>>)一揆の起請文に見るように、農民の中でもある程度の地位のある人は、苗字を名乗っていたようです。

まぁ、上記の通り、基本、勝手に名乗ってるのが、苗字ですから・・・周囲が認めればOKという事なのでしょう。

・・・で、この日の命令により国民全員が名乗った事で、飛躍的に数が増えた苗字の種類・・・現在、日本の苗字は約12万種類もあるそうです。

世界一の人口を誇る同じ漢字の国の中国でも約500種類、ヨーロッパでは全体でも約6万種類くらいなのだそうで、いかに日本の苗字が多種なのかがわかりますね。

そんな中でも、最も多いと言われるのが「佐藤さん」「鈴木さん」・・・

佐藤さんは、あの平将門を討ち取った藤原秀郷(ひでさと)の子孫の藤原公清左衛門尉を務めたので、佐藤と称し、以後その子孫が佐藤というのを継いでいったのだとか・・・

さらに、(すけ)という官職についた藤原氏が、皆、佐藤と名乗った事で格段に増えた・・・なんて話もあります。

鈴木さんのほうは、熊野(和歌山県)地方に住んでいた物部氏の子孫の穂積(ほづみ)の人たちが、その地方では穂を積んだ物を「すずき」と呼んだ事から鈴木と名乗るようになり、さらに熊野信仰の布教活動によって全国に散らばったらしい・・・との事・・・。

まぁ、なんせ、勝手に名乗っても良いのが苗字なので、なかなか、そのルーツをたどる事は難しそうですね。
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明治・大正・昭和」カテゴリの記事

コメント

おはようございます。
苗字は1箇所に固まっていたり、離れた地域なのに同じルーツが伝わっていたりして面白いですよね。
小学校では、全国では珍しいといわれる苗字がクラスに5人位ずついました(゚ー゚;
また、母親は苗字を聞くだけでおよその出身地を当ててました。
成人しても狭い地域の中での移動がほとんどだった時代の賜物です。
結婚してからかなり少数派の苗字になりましたが、珍しい苗字なのにルーツが辿れません(;ω;)
苗字は、私が「日本史も勉強しなくては…」と思ったきっかけの一つです。

投稿: おきよ | 2009年2月13日 (金) 08時50分

おきよさん、こんにちは~

>苗字は、私が「日本史も勉強しなくては…」と思ったきっかけの一つです・・・

ホント、そのルーツには興味が湧きますね・・・

やはり、同じ苗字の人だと、どこかでつながっているのかな?と親しみを感じたりして・・・

投稿: 茶々 | 2009年2月13日 (金) 14時34分

現在…藤原姓を名乗ってる人の多くは、本姓じゃなく苗字なんでしょうね。しかし、本姓が藤原氏で明治期に名字(苗字)を名乗れる様になった時に本姓を名字(苗字)にした家も少なからず有ったんじゃないでしょうか。ただ今じゃ…本姓と名字が混同されてますし昔みたいに姓と名前の間にノの字を入れるなんて事もないので、その人の名字が本姓なのか苗字なのか分かりませんね。

投稿: マー君 | 2009年2月13日 (金) 17時57分

マー君さん、こんばんは~

本文でも書いた太良荘の起請文・・・すでに室町時代の初期に農民でも「平」を名乗ってかまわなかったわけですから、信頼のおける家系図が残っていない限りは、その家庭の言い伝えを信じるしかないでしょうね。

ルーツがうやむやになるのは、ちょっと寂しい気もしますが、ある意味、これが四民平等になるという事かも知れません。

投稿: 茶々 | 2009年2月13日 (金) 19時45分

こんにちは、はじめまして。

とってもおもしろかったです。

投稿: イレブン | 2015年8月16日 (日) 10時31分

イレブンさん、始めまして、

コメントありがとうございます。
また、遊びに来てくださいませm(_ _)m

投稿: 茶々 | 2015年8月17日 (月) 02時49分

茶々さん、こんばんは。
2つ、疑問に思うんですよ。

先ずは、
四貴種の中で何故「藤原」だけが二文字なのか?
違った言い方をするなら、何故「橘」は一文字なのか?
穿ち過ぎでしょうかね (汗
次に、
「安倍晴明」や「吉備真備」の「の」は、語呂的なもの?
「吉備真備」の方は「真備of吉備」って事な気がしますが‥

投稿: とーぱぱ | 2016年11月 6日 (日) 00時31分

とーぱぱさん、こんばんは~

>何故「藤原」だけが二文字なのか?

これは、名付けたご本人しかわからないのでは?
藤原は天智天皇?
源なら清和天皇?
平なら桓武天皇?
秀吉が豊臣を賜ったのは後陽成天皇の時代ですが、これも語源は不明とされてますね。
ただ、橘だけは元明天皇が「橘の浮かんだ杯」とともに賜与しているので、それが由来なのかも…です。

>「安倍晴明」や「吉備真備」の「の」は、語呂的なもの?

安倍晴明の「安倍」も吉備真備「吉備」も氏なので語呂に関係なく、「○○に属する」という意味で「の」は入ると思いますよ。
氏には、大きくわけて「出雲氏」や「葛城氏」や「蘇我氏」のように地名に由来する物と「物部氏」や「大伴氏」のように朝廷内の役割に由来する物がありますね。
ただ、吉備真備「吉備」は前者だとハッキリわかりますが、安倍晴明の「安倍」はどちらなのか?はよくわかっていないみたいです。

投稿: 茶々 | 2016年11月 6日 (日) 02時07分

茶々さん、詳しい説明、有難うございます。

四貴種の文字数には特に意味(何がしかの差を表す)は無い、というとこでしょうか。

氏の地名や役職名と同じカテゴリーで「姓」は語れないという理解をしました。
「姓」も特別な家柄を表すという意味では広義の(?)氏に入るのかもしれませんが、「姓」にはそこには入りきらない要素もあると。

投稿: とーぱぱ | 2016年11月 6日 (日) 05時53分

とーぱぱさん、こんばんは~

天武天皇時代に制定された「八色の姓」も、100年後、久々に皇位が回って来た天智系天皇の桓武天皇によって有名無実となってしまって、その成り立ちや分類などが、ややこしくなってしまったような気がしますね。
難しいです。

投稿: 茶々 | 2016年11月 7日 (月) 03時24分

茶々さん、いつも丁寧なコメント返し、有難うございます。
お陰さまで、歴史が大変楽しくなっちゃってます。
もう何年も前の記事に対するコメントでスミマセンが、「の」に関しましてあと二点お許し下さい。

足利尊氏に付かなくて、吉備真備に付くのは何故でしょう?。両方共に地名由来の苗字だと思うのですが。
もう一点、
「の」が付く人達に「の」が付いていたと分かるのは、その人が生きていた時代のかな文字系(?)史料に「乃」や「之」みたいに「の」が記載してあるからなのでしょうか?

私、中学の時に社会の先生が「伊藤博文」を「いとうはくぶん」と言った時から人名の読み方に興味を持ち始め、出生届けの「ふりがな欄」にも関心を持っていました。
昨今のキラキラネームとか、現在でも難読なのに未来の人は何と読むのでしょうね。
でも、もう30年近く前になりますが、子供の出生届けを出した時に思ったんですよ、「読まれ方」なんてどうでもいい、この漢字に意味(意義)があるのだからと。
あっ、ウチのはキラキラじゃないですよ。
それと、これは私的感情であって、歴史上の人名に対するものではありませんので。為念。

長々と失礼しました。茶々さんの「の」に関する一連の記事を大変興味深くまた新鮮な知る喜びとともに拝読しました。
重ねてお礼申し上げます。

投稿: とーぱぱ | 2016年11月 8日 (火) 02時00分

とーぱぱさん、こんばんは~

>足利尊氏に付かなくて、吉備真備に付くのは何故でしょう?

名付けの由来が地名であっても、吉備真備の「吉備」は氏(本姓)で足利尊氏の「足利」は苗字です。
苗字は一家を表していて、苗字と名前の間には「の」は入りませんが(現在の苗字とほぼ同じ)、一族を表している氏には「の」が入ります。

昔の人がそう呼んでいたかどうかではなく、種類が違う?とでも言いましょうか…

たとえば、自己紹介する場合、
「○○会社の羽柴です」とか、
「大阪の(あるいは大阪に住んでいる)茶々です」
みたいな言い方しますよね?
氏というのは、その時の会社名や「大阪」みたいな感じの、いわゆる「属するグループ」みたいな?扱い方をする物で、個人の名前では無いのです。
なので、間に「の」を入れないと日本語としてオカシイのです。

吉備真備の場合は「吉備という一族」の真備という人物。
足利尊氏の場合は「源という一族(源氏の源義家の子孫である尊氏の本姓は源です)」の足利という一家の尊氏という人物です。

武士が苗字を名乗りはじめるのは、平安後期くらいからでしょうか?
「の」が間に入る人物として有名な平清盛や源頼朝と、同時期に生きた西行の出家前の名は、佐藤義清(さとうのりきよ)ですが、この「佐藤」は苗字で、彼の本姓は「藤原(藤原秀郷から9代目)なので、佐藤義清と言う場合は「の」は入りませんが、藤原義清と言う場合は「の」を入れます。

>中学の時に社会の先生が「伊藤博文」を「いとうはくぶん」と…

これは「有職読み」というらしく、相手に敬意を表す意味合いがある慣習だそうですが、今では、ひと昔前(戦前とか)の方々に多いですよね?
お年寄りは今でも、徳川慶喜を「けいき」と言ったり、森喜朗元首相を「もりきろう」とおっしゃったりする方もいますね。

これは「昔は名前を直接呼ぶのが失礼だった名残りなんじゃないか?」という事らしいです。
時代劇では、(見る側がややこしいので)武将はお互いに名前を呼び合ってますが、実際には官職名で呼んでましたし、女性は、長い間、結婚相手にしか本名を知られてはいけませんでしたから…
『万葉集』にある雄略天皇の歌>>では、「君の名前を教えてよ」が「プロポーズの言葉」となっています。

ヘタクソな説明で申し訳ないです。

投稿: 茶々 | 2016年11月 8日 (火) 03時02分

茶々さん、おはようございます。
またまたご丁寧に有難うございます。

なるほど!氏(うじ)には「の」が付くのですか!
ホント、良く分かりました。(笑
しかも、「有職読み」!またまたまた新知識です。
古代より名前は神聖なもの、究極の個人情報だったのでしょうね。

時代劇では役職名で呼んでくれた方がしっくりきますよね。その上で私怨を吐露する場面では名前で呼んだりされると、知識が無くても伝わってくるものがありますね。

投稿: とーぱぱ | 2016年11月 8日 (火) 11時29分

とーぱぱさん、こんばんは~

>時代劇では役職名で呼んでくれた方が…

聞くところによると、以前、そんな感じの映画だったか時代劇だったかがあって、トンデモない事になってたみたいですよ。

「名前の呼び方を再現する」という事は、当然、それだけではなく、できるだけ「劇中の様々な事を再現する」わけですから、色んな官職の人がいっぱい出て来て誰の事を言ってるのかわからないし、画面はろうそくの火っぽくて暗いし、所作もいちいち意味がわからないしで、見た人からは「ストーリーが入って来ない」と酷評だったようですよ。

実際に、当時のしゃべり方を再現すると、おそらく字幕スーパー出さないと何を言ってるかわからないと思います。
色々工夫された歌舞伎でさえ、聞き取れない部分ありますからね。
私個人的には、ドラマはドラマで良いと思ってます。

投稿: 茶々 | 2016年11月 9日 (水) 02時54分

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