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2009年2月 7日 (土)

一の谷の合戦~平忠度の最期

 

寿永三年(1184年)2月7日は、源平の戦いの中でも、屈指の名場面・一の谷の合戦があった日です。

このブログでは・・
生田の森の激戦い(2013年2月7日参照>>)
源義経の鵯越
(ひよどりごえ)の逆落し(2008年参照>>)
青葉の笛(2007年参照>>)
を、すでにご紹介させていただいておりますが、本日は、平家物語をベースに、『忠度の最期』をご紹介させていただきます。

・・・・・・・・・・・・・

寿永二年(1183年)7月25日、木曽義仲の怒涛の進軍により、わずか6歳の安徳天皇とともに都落ちをした平家一門平忠度(たいらのただのり)・・・(忠度の都落ち参照>>)

年が明けて早々、義仲と源頼朝が源氏トップの座を争ってる間に(1月16日参照>>)、少しは態勢を立て直す平家・・・(10月1日参照>>)

亡き平清盛が、以前、一時の都とした福原(現在の神戸)(11月26日参照>>)に落ち着き、西側の一の谷に城郭を築いて西の入り口とし、生田(いくた)の森(現在の生田神社)を大手正面として、大将・平知盛と副将・平重衡(しげひら)が守りを固めます。

やがて、義仲を倒して(1月20日参照>>)、名実ともに源氏棟梁となった頼朝の命を受けた源氏軍が一の谷に迫ります

正面・大手を攻めるは頼朝の弟・源範頼(のりより)が率いる本軍・5万余騎。

搦手(からめて)の一の谷を攻めるのは、同じく頼朝の弟・源義経の率いる1万騎。

ここで、義経は自軍を二手に分け7千騎を一の谷の西口へ・・・自らは3千騎を率いて、一の谷の背後を突くべく山中に入ります。

寿永三年(1184年)2月7日の早朝・・・源氏軍の西口への攻撃から一の谷の合戦の幕があがります(2013年参照>>)

当然、大手・生田の森への攻撃も、それと連携するように開始され、やがて、背後に回った義経軍が・・・例の鵯越の逆落し(2008年参照>>)です。

この急襲によって、一の谷の平家軍は大混乱となったのです。

この時、一の谷の搦手口の大将を努めていたのが清盛の弟・平忠度です。

すでに、敵軍に囲まれながらも、忠度は慌てず騒がず・・・その中を100騎もの味方の軍勢に守られながら、悠々と落ち延びようとするのですが、その姿を見つけたのが源氏方の岡辺六野太忠純(おかべのろくやたただずみ)

もちろん、忠純は、忠度の顔を知りませんから、その武将が誰であるのかはわかりませんが、周囲の軍勢の様子から、名のある大将クラスである事は想像できます。

「こりゃ、ええ相手を見つけたゾ!」
と、ばかりに、忠度の近くへとやってきて・・・
「ちょっと、君・・・見たところ大将軍っぽい雰囲気かもし出してるけど、なんか、逃げよ~ってしてないか?敵に背中見せるような事せんと、戻りぃや!」

すると、忠度は、忠純の方を振り返り・・・
「え・・?僕、君の味方やねんけど・・・」
と、言いながら、さらに平然と戦場を離れようとします。

「ちょっと、待ったぁ~!」
振り返ったその顔の薄化粧を、忠純は見逃しませんでした。

「アホか!源氏軍にお歯黒なんかやってる雅びなヤツがおるわけないやろが!」
と、馬を押し寄せ、飛びかからんばかりに組みついたのです。

忠度の周囲の兵は、この戦いのために急遽雇われたアルバイトだったため、こうなると、蜘蛛の子を散らすように去っていってしまいました。

「んもぉ~!、味方やっちゅーてんねんから、そっとしとしてくれたらえぇのに・・・」
と忠度・・・しかし、彼も、雅な風貌の公達ではあるものの育ちは熊野の山中、腕には覚えがあります。

言うがはやいか、目にも止まらぬ速さで馬上から二太刀斬りつけ、馬から転げ落ちたところにさらに一太刀・・・計3度、立て続けに忠純に浴びせかけました。

ただ、先の二太刀は鎧の上からで突き通らず、最後の一太刀は甲の内側に入ったものの深い傷には至っておらず・・・

忠度は、すかさず馬から下りて忠純の上へと覆いかぶさり、組しいて、今、まさに、首を取ろうとした時・・・

忠純の郎党が走り寄り、忠度の右腕を斬り落としたのです。

刀を持つ手を斬られては・・・「もはや、これまで」と、観念する忠度・・・。

そばに寄ろうとする忠純を・・・
「念仏を唱えるから、どかんかい!」
と、投げ飛ばし、西方浄土へと向かって念仏を唱えます。
「光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨
(こうみょうへんじょうじゅっぽせかい、ねんぶつしゅじょうせっしゅふしゃ)

・・・と言い終るか終らないか・・・後ろから近づいた忠純によって、その首は討ち取られました。

忠純は、立派な大将を討ち取ったとは思うものの、その名前がわかりませんから、何か手がかりがないものかと、(えびら・矢を入れて背負う道具)に結びつけてあった一枚の紙を手に取ります。

そこには・・・
「旅宿(りょしゅく)の花」
と題した歌が・・・

♪行き暮れて 木(こ)の下かげを宿とせば
  花やこよひ
(い)の あるじならまし♪・・・忠度

「日が暮れて、桜の木の下を今宵の宿としたなら、その木の花が一夜のホストとして、自分をもてなしてくれるだろう」

この歌を見て、忠純は、討ち取ったその武将が忠度であった事を知ったのです。

源氏側の人間である自分にでも、彼のうわさは耳に届いていました。

武芸にも歌道にも優れた立派な武将であると・・・

敵味方の区別なく、その死を惜しむ中、己の気持ちを吹っ切らんがばかりに忠純は、太刀の先にその首を刺し、高く高く差し上げ、力の限りの大声で・・・

「近頃、平家の中でも剛勇の誉れ高き薩摩守(さつまのかみ・忠度の事)殿を、武蔵の住人は猪熊党・岡部六野太忠純が討ち取ったぞぉ~」

皆、鎧の袖をぞぬらしける・・・
 .

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源平争乱の時代」カテゴリの記事

コメント

普段あまり気にとめなかったのですが
近所に「忠度塚」や「忠度公園」などがあります。
普通に住宅に挟まれる感じで存在しているので改めて手を合わせることもなかったのですが・・
今度通りがかったら手を合わせてみようと思いますconfident

投稿: あとり | 2009年2月 9日 (月) 00時04分

平家物語の中でも名場面のひとつ。
都落ちとここで、忠度ファンのワタクシです。
重盛さんとか忠度さんが主人公のドラマできませんかね?
ちょっと地味かな( ´・ω・`)

とってもステキな歌ですけど、夜遊びして締め出された遊び人が桜の下で野宿してると想像すると、まるで違った雰囲気・・・(*^m^)

投稿: ななみみず | 2009年2月 9日 (月) 00時20分

あとりさん、こんにちは~

>近所に「忠度塚」や「忠度公園」などがあります・・・

おぉ・・・そうなのですか?

ずいぶん前に聞いた話では、忠度塚の近くに右手塚というのもあるそうですが・・・

今は、どうなっているのでしょう。
そのままがいいような、一つところに納めてあげたいような・・・

投稿: 茶々 | 2009年2月 9日 (月) 11時01分

ななみみずさん、こんにちは~

>重盛さんとか忠度さんが主人公のドラマ・・・

私もそう思います~
大河とは言わないので、番組改編時期に単発で・・・

いいのになぁ・・・( ´,_ゝ`)

投稿: 茶々 | 2009年2月 9日 (月) 11時04分

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