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2009年3月24日 (火)

壇ノ浦の合戦~平家の勇将・平教経の最期

 

寿永四年(文治元年・1185年)3月24日、源平の戦いにおける最後の合戦となった壇ノ浦の合戦がありました。

・・・と、3月24日の日に、このように書かせていただくのも、今回で3回目・・・という事で、本日は、この一連の戦いで、荒くれ源氏の坂東武者にも負けるとも劣らない奮戦をする能登殿こと平教経(のりつね)の最期をご紹介させていただきます。

・・・・・・・・・

時間の流れでいきますと、まずは・・・
【壇ノ浦の合戦~潮の流れと戦況の流れ】(2008年3月24日参照>>)

ここで、事実上の大将であった平知盛(清盛の四男)の形勢不利との報告を聞いた二位尼(にいのあま・清盛の妻の時子)が、「もはやこれまで」と孫の安徳天皇を胸に抱き、ともに海の底へと旅立つ・・・【先帝の身投げ】(2007年3月24日参照>>)
・・・となり、この教経の最期は、その後のお話となるのですが・・・

その前に、本日の主役である教経さんについて・・・

平教経は、平清盛の弟・平教盛(のりもり)の次男・・・つまり、この源平の合戦における総大将の平宗盛(清盛の三男)や事実上戦闘の指揮をとっていた知盛とはいとこ同士という事になります。

冒頭にも書かせていただいたように、荒くれた坂東武者のイメージの強い源氏に対して、どこか貴族的で雅なイメージのする平家一門にあって、この教経は、そのくくりをぶち破る勇猛果敢な戦士と言える武将です。

平家が都落ちをした直後も、その事を知った西国豪族たちが、ここぞとばかりに寝返り始めた時、淡路摂津(大阪府北部)などを転戦し、連戦連勝を重ねて、西国支配における平家の力を何とか維持させたのも彼でした。

一の谷屋島の戦いでも、全体でこそ、平家は敗北を喫していますが、この教経の率いる一団だけは、常に、源氏に一泡吹かせています。

そう、あの屋島で、源義経の忠臣・佐藤嗣信(継信・つぐのぶ)を仕留めるのも彼です(2月19日参照>>)

そんな教経ですから、この壇ノ浦の合戦で、形勢不利となり、もはや諦めムードの中、先の安徳天皇や二位尼の入水に続いて、周囲の者が次々と身投げ・・・あるいは、逃げの一途をたどる中、ただ1人、疲れを見せず戦い続けていたのです。

先ほどの嗣信の最期のページでも書かせていただいた通り、教経は弓の名手・・・「彼に狙われたら射抜かれない者はいない」と言われたほどの腕前です。

重藤の弓に斑生の矢をつがえ、次から次へと射まくり、近づく源氏の者どもは、またたく間に倒れていきます。

さらに、射掛ける矢がなくなると、右に太刀、左に長刀を持って敵中に踊りこんでなぎ倒し、彼の足元は死体の山に・・・。

その様子を見ていた知盛は、「もはや、勝敗は決してる・・・しかも、まわりはザコばかり・・・これ以上、罪作りな事はやめとけ」と、彼をいさめます。

さすがに勇猛な教経も、大将の命令とあらば、おとなしく・・・と、思いきや、
「なるほど、ザコを殺らんと、大将・義経をいてまえ!ってか、よっしゃ!わかった」
とばかりに、兜を脱ぎ捨て、胴着だけの姿になって、敵中をかいくぐり、自らの船を、敵の大将・義経の船へと近づけていきます。

たとえ、この戦に負けようとも、一矢報いなくてはおさまらないのが教経の教経らしいところ・・・。

ただ、もちろんの事ながら、彼は義経の顔を知りませんし、義経がどの船に乗っているのかさえ、あいまいです。

・・・と、そこに、なにやら豪華な甲冑を身に着けた武将を見つけた教経・・・早速、その船へと移り、相手に飛びかかってくんずほぐれつ・・・

しかし、残念ながら、これは別人・・・その間にも、義経は、教経が気づいていないのをいい事に、うまく、教経の船を避けて逃げまくっていましたが、やがて、ふたりの視線がぶつかり合う時が訪れ、教経は、「アレが義経に違いない!」と、船を近づけ、迫力満点の形相で、義経の船に飛び移りました。

「こんなんと、まともに戦ったら、ちっちゃいオッサンの俺は、絶対に殺られるやん」と、思ったかどうかは、知りませんが、とにかく義経は、教経との一戦を避け、逃げの一手です。

自分の船の、後方にいる、味方の船に飛び移り、また、その次の船に飛び移り・・・

そう、これが、有名な『義経の八艘飛び』・・・って、「なんや、八艘飛びって言うたらカッコエエけど、結局、逃げてんねやん!」と思ったのは、私だけではないはず・・・。

それでも執拗に食い下がる教経でしたが、彼は、どちらかと言えば豪傑・豪腕な武者・・・あのように、すばしっこく、こそこそと立ち回られては、やはり追いつけません。

もちろん、その間にも、彼の邪魔をする者をちぎっては投げ・・・いや、担いでは海に投げ込みしながら追いかけますが、さすがの猛将も、スタミナには限界があり、しかたなく、追うのを諦めますが、そうなると、当然のごとく、周囲は源氏だらけ・・・。

そこで、覚悟を決めた教経は、太刀や長刀、兜を海に投げ捨て、丸腰となった姿で大きく叫びます。

「おのれら、勇気あるモンは、この教経を生け捕りにせいや!俺も、鎌倉に行って、あの頼朝に、ひとこと言いたい事があるんや!ほら、はよ、出て来いや!」

・・・と、誰もが尻込みする中、それに答えたのは、安芸太郎時家(あきのたろうときいえ)という男・・・

時家は、30人力の怪力の持ち主とうたわれた男で、しかも、自分に勝るとも劣らない力持ちの従者を1人、さらに、同じくらいの強の者である弟を連れていて、「この3人で一斉に飛びかかれば、何とかなるだろう」と、相談のうえの登場でした。

そして、お互い目配せして、大きく太刀を抜いたかと思うと、3人同時に教経に飛びかかります。

しかし、教経、慌てる事なく、まずは、正面から飛びかかった時家を海に蹴り落とし、残りの二人を両脇に抱え込んだかと思うと・・・

「ほんなら、お前ら、死出の旅の供をせーや!」
と、叫び、敵将二人を道づれに、そのまま海中に身を躍らせたのでした。

その温厚な性格ゆえ、いつも後方で留守役をこなしていた父・教盛に代わって、常に最前線で戦い続けた息子・教経・・・。

一連の源平の合戦の中で、哀れで悲惨、涙涙で語られる事の多い平家一門の死の中で、この教経だけは異彩を放つ、武士の誇りに満ちた壮絶な最期でした。

確か、タッキー義経の大河ドラマの時は、この八艘飛びで逃げる義経を追いかけるシーンは、阿倍寛さん演じる知盛のエピソードとして登場していましたが、『平家物語』では、教経のエピソードとして語られています。
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コメント

平家物語のこの個所、読むたびに笑ってしまいます。本当は、手に汗を握り胸ドキドキで読むべきところなのでしょうが、その豪快な誇張が愉快で、つい・・・happy01
平家物語の筆者はユーモアのセンスがある人だったようで、笑える個所が色々ありますねwink

投稿: ななみみず | 2009年3月25日 (水) 07時18分

ななみみずさん、こちらにもコメントありがとうございます。

本文にも書きましたが・・・

おっしゃる通り、なんとなく涙をさそう場面の多い平家一門の入水シーンの中で、この部分だけは異色の展開になってるような気がしますね。

投稿: 茶々 | 2009年3月25日 (水) 09時37分

強いねえ。影清とてをくんだらまさか、最強。

投稿: ゆうと | 2012年3月16日 (金) 21時07分

ゆうとさん、こんばんは~

ホント強いですね~

投稿: 茶々 | 2012年3月17日 (土) 01時00分

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