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2009年4月29日 (水)

函館戦争・終盤戦~矢不来の戦い

 

明治二年(1869年)4月29日、幕末の函館戦争で、新政府軍が矢不来を制圧・・・旧幕府軍は、函館・五稜郭へと撤退しました。

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慶応四年(1868年)4月・・・新政府から、江戸城明け渡しとともに要求された軍艦の引渡しに納得できなかった旧幕府海軍・副総裁の榎本武揚(えのもとたけあき)は、開城のその日、最新鋭の軍艦・開陽丸以下8隻の軍艦とともに、江戸を脱出しました。

途中、会津など、東北の残兵を加えながら一路、北へと向かい、破竹の勢いで上陸した蝦夷地(北海道)で、またたく間に幕府の要地を占領(10月20日参照>>)・・・その年の12月には、新政府に対抗すべく、蝦夷共和国を誕生させました(12月15日参照>>)

ただ、当然の事ながら、新政府が蝦夷共和国を認めるわけもなく、春になれば、間違いなく攻撃を仕掛けてくるはずですが、最新鋭の軍艦を保有している現時点では、海軍としては新政府軍よりもはるかに勝っている旧幕府軍ですから、海を隔てた蝦夷地なら、何とかその海軍で防げる・・・はずでした。

ところが、春を待たずに、旗艦である開陽丸が座礁・・・逆に、新政府軍は旧幕府がアメリカに注文していた最新鋭の軍艦・甲鉄(ストーンウォール号)を入手します。

「これはヤバイ!」とばかりに、榎本らは、岩手県の宮古湾に停泊中の甲鉄を奪う計画=【宮古湾海戦】を決行しますが、見事、敗退してしまいます(3月25日参照>>)

こうなったら、旧幕府軍は、五稜郭(ごりょうかく)を中心に、函館死守の防御体制を固めしかありません。

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(このイラストは位置関係をわかりやすくするために趣味の範囲で製作した物で、必ずしも正確さを保証する物ではありません)

まず、函館とは反対側の日本海に面した江差(えさし)に、もう一つの拠点を置き、350人の兵を常駐させ、戦略基点としました。

その頃には、新政府軍も動きを見せはじめ、すでに、対岸の青森には、薩長を中心に7000名の兵が集結・・・総督には清水谷公考(しみずだにきんなる)が、参謀には山田顕義(あきよし)が任命され、準備万端、整いました。

かくして、かの宮古湾の海戦から、わずか半月後の明治二年(1869年)4月9日、新政府の第一軍は、江差の北にある乙部(おとべ)に上陸・・・二股口、木古内(きこない)口、松前口の3方向から、一斉に函館を目指します

さらに、12日には第二軍、15日には第三軍も上陸して、4つ目の安野呂(あのろ)口から函館へ・・・。

上陸早々、江差を制圧した第一軍が、そのまま松前に向かう中、一方の二股口では、土方歳三率いる衝鉾隊(しょうほうたい)伝習歩兵隊が待ちうけます。

土方が、台場山に本陣を置き、土塁・胸壁を構築し、さらに天狗岳に見張りを置いて、万全の準備を整えた4月13日・・・最初の決戦が勃発します。

夜・・・しかも雨の中・・・銃撃戦は、一晩中続き、とてつもない数の弾薬が、またたく間に消費されていきますが、決着はつかず・・・。

その間に、松前口では、陸を行く第一軍に加えて、海からの軍艦による砲撃で、松前城は17日に陥落・・・もう一方の木古内口では、大鳥圭介率いる旧幕府精鋭部隊が踏ん張るも、ここでは、海上での戦闘も激しさを増します。

新政府軍の軍艦・春日による回天への猛攻撃・・・「このままでは、回天も時間の問題・・・」と判断した大鳥は、21日、一旦、木古内から撤退し、矢不来(やふらい)にて、再起をはかる事にします。

矢不来は、海の上に切り立つ崖が迫る天然の要害・・・大鳥は、守りに堅いこの場所で、土塁・胸壁を築き、迎え撃つ兵も配置して、函館死守の最後の防戦を決意するのでした。

やがて、そんなこんなの23日、再び、土方の守る二股口での決戦が再開されます。

次から次へと増強される新政府の兵力に対して、圧倒的に不利な数でありながら、新政府軍を圧倒し、何とか持ちこたえる土方隊・・・

しかし・・・

明治二年(1869年)4月29日・・・夜明けとともに大鳥隊の守っていた矢不来への総攻撃が開始されます。

守る大鳥隊・500に、攻める新政府軍は1500・・・しかし、その兵の数よりも大きな差がここにはありました。

そう、海からの攻撃です。

軍艦からの砲撃と、陸での銃撃を巧みに操り、新政府軍は旧幕府軍を圧倒し、その日のうちに矢不来を突破されてしまったのです。

未だ奮戦する土方隊に、「新政府軍・矢不来突破」のニュースが舞いこんできたのは、その日の夜の事・・・

軍艦からの砲撃を受けない山側であった事で、未だ無傷の台場山の陣でしたが、このままでは、退路が絶たれ、土方らは、函館に戻れなくなってしまいます。

しかたなく、砦を捨てて、こちらも五稜郭へと退却する事になりました。

やがて、迎えた5月・・・いよいよ、函館は総攻撃を受ける事になるのですが、そのお話は、やはり、総攻撃が開始される5月11日のページでどうぞ>>
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幕末・維新」カテゴリの記事

コメント

茶々さん、こんばんは^^
ご無沙汰していました。

最近いつも使っているPCと茶々さんのブログが相性悪くって
なかなかアクセスできません^^;
(寂しいです)
でも今日は別のPCなので、今度からできるだけこちらを使って
アクセスしたいと思います。

さて、今日はそんな日だったんですね。
1年前の同じ日には、土方さんは会津にいましたが…
そして、次回は5月11日のことなんですね。
寂しいですが、茶々さんがどのように書いてくださるのか
楽しみにしています。
では、また遊びに来ますね^^

投稿: ルンちゃん | 2009年4月29日 (水) 23時13分

ルンちゃんさん、こんばんは~

>相性悪くってなかなかアクセスできません

そうなんですか?
何かが重いのでしょうか?
ブログパーツかな?
また、イロイロ思案してみます。

>次回は5月11日・・・

幕末にくわしいルンちゃんにそのように言われると、プレッシャーです(;´▽`A``
どうしましょう・・・
なるべく、いい記事になるよう頑張ります

投稿: 茶々 | 2009年4月30日 (木) 00時56分

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