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2009年5月 8日 (金)

大坂夏の陣で自害~淀殿の素顔と生存説

 

元和元年(慶長二十年・1615年)5月8日、昨日からの総攻撃により大坂城が炎上、豊臣秀頼とその母・淀殿らが自害し、大坂夏の陣が終結しました。

・・・・・・・・・・・

元和元年(慶長二十年・1615年)5月6日に、大坂城へと向かう徳川家康の軍を迎え撃った道明寺・誉田の合戦&若江・八尾の合戦から本格的な合戦が開始された大坂夏の陣

翌・5月7日、大坂城を囲んだ徳川軍によって、正午頃から開始された総攻撃により、大坂城は炎上します。

城外から戻った大野治長は、豊臣秀頼とその母・淀殿の助命を願って、秀頼の妻となっていた家康の孫・千姫脱出させ(2月6日参照>>)、秀頼・淀殿らは、天守閣の北に位置する山里曲輪の土蔵に身を隠しますが、その土蔵に銃弾が撃ち込まれた事で、助命が拒否された事を察します。

炎を逃れて、本丸下の蘆田曲輪(あしだくるわ)にある朱三櫓(しゅさんやぐら)食糧貯蔵庫に逃げ込んだ秀頼は、
「もはやこれまで」
覚悟を決め
「甲斐守(かいのかみ)は母君を、氏家は我を、毛利は女・幼子を介錯せよ」
と命じ、豊国大明神を拝んだ後、淀殿の前に進み出て
「あの世にて…」
と挨拶し、母を頼んだ甲斐守=速水守久(はやみもりひさ)に目配せする・・・

と、速水が淀殿に向けて刀を振り下ろしますが、それと同時に、秀頼が懐から出した脇差を腹に当て、かの氏家行広(うじいえゆきひろ=卜伝)が介錯をしたと・・・

その後、秀頼の言葉通りに、毛利勝永(もうりかつなが)(2015年5月7日参照>>)が女たちを介錯し、彼ら側近たちも、それに続きました。『豊内記』『明良洪範』など

ここに、大坂夏の陣が終結し、豊臣家はわずか2代で滅びる事となったのです。

冬と夏・・・二度に渡って繰り広げられる大坂の陣のそれぞれの出来事・経緯につきましては、すでにイロイロと書かせていただいていますので、【大坂の陣の年表】>>で、くわしく見ていただくとして、

本日は、そのヒロインとも言うべき淀殿について・・・

・‥…━━━☆・

天下人・豊臣秀吉が、側室となった彼女のために、現在の京都競馬場近くのの地にお城を建てます。

その時から、淀殿と呼ばれるようになった彼女は、北近江(滋賀県)・小谷城主の浅井長政織田信長の妹・お市の方との間に生まれた3人姉妹の長女・・・その頃は、茶々と呼ばれていました。

やがて、その浅井氏が信長によって滅ぼされる(8月27日参照>>)、母のお市の方とともに信長に引き取られ、その信長が本能寺で果てた後は、織田家の重臣であった柴田勝家と再婚した母について、越前(福井県)北ノ庄で過ごしました。

翌年、秀吉との間に勃発した賤ヶ岳の合戦に敗れた勝家とともに、お市の方は自害・・・3人の娘たちは城から助けられ、秀吉の庇護のもとに置かれます(4月24日参照>>)

やがて、茶々こと淀殿は秀吉の側室となり、すぐ下の妹・お初京極高次に嫁ぎ、この大坂の陣では、豊臣×徳川の講和交渉の使者としても活躍しました(12月19日参照>>)

一番下の妹・小督(おごう・お江与・江)佐治一成羽柴秀勝の妻を経て、家康の息子・徳川秀忠に嫁いでいます。

・・・と、散々「淀殿」「淀殿」と書いておりますが、淀殿が存命中の史料や文書には、「淀殿」と表記されたものは存在せず、本来は、単に「淀」あるいは「淀様」と呼ぶのが正しいのだそうですが、もう、慣れ親しんでしまっていますので、とりあえず、このブログでは淀殿(よどどの)と呼ばせていただきます

ちなみに、テレビなどでよく使われる「淀君(よどぎみ)という呼び方は、歴史の史料には一度も出てきません。

一度も出てこないと言えば、秀吉の側室というのも・・・これも、同時代の史料には登場せず・・・もちろん愛妾でもなく、あのお禰(ね・ねね)さんとともに、二人ともが正室とみなされていたようで、逆に、二人の事を「両御台様(みだいさま)と記された文書が存在しています。

まぁ、江戸時代の武家諸法度によって、武家の様々な事が決められる以前は、正室・側室というのも、もっと曖昧なものだったようですので、正室二人というのも、この時代ならアリなのかも知れません。

ところで、そんな淀殿の印象・・・ドラマなどで描かれるイメージとしては・・・
秀吉の唯一の子供である秀頼を産んだ事によって、その寵愛を一身に受け、秀吉亡き後は、正室のお禰を大坂城から追い出し、実質的に豊臣家をしきっていて、そのプライドの高さから徳川に屈する事を拒み、ついには豊臣家を滅亡へと導いていく・・・

大坂の陣では、諸将の進言を聞かず、あたかも女城主のように振る舞い、ヒステリー気味の采配を振るう・・・こんな感じでしょうか。

しかも、このうえに、「息子可愛さのあまり・・・」という付録もついて、何となく良いイメージで描かれる事が少ないように思いますね。

絶世の美女と噂されるお市の方の娘だけあって、淀殿自身も、母に似た美女として描かれる事が多く、ドラマでは美人でありながら憎まれるという難しい役どころをこなさなければならず、女優さんの演技力が試される見せ場でもあります。

ただし、実際の彼女は、少し違うようです。

確かに武装して自ら兵に檄を飛ばすような事もあったようですが、これは、息子可愛さというよりは、むしろ当たり前の事・・・

大坂の陣の段階では、彼女は秀頼を後見する立場にあり、彼女のような「おふくろ様」「おかか様」と呼ばれた先代の未亡人あるいは現当主の生母が大きな力を持つ事は、戦国のならわしであり当然の事なのです。

しかも、彼女がお禰を追い出したように映る出来事も、実はそうではなく、未だ幼なかった秀頼と豊臣家を守るための二人の御台所の連携プレーのなせるワザなのです。

秀頼の生母である淀殿は、大坂城を離れる事ができませんから、彼女はとにかく大坂城内の事を仕切り、代わりに、自由に動けるお禰が、朝廷や外部との交渉にあたったり、豊国神社の祭祀に関与したり・・・という役割分担が、二人の間にできていたのだろうといのが、現在の見方となっています。

Yodohi40 どうやら、最近では淀殿の印象が変わりつつあるようです。

ところで、そんな淀殿・・・実は、生存説があります。

もちろん、伝説の域を超えないものではありますが、その言い伝えによれば・・・

後に初代総社藩主となる秋元長朝(ながとも)が、まさに夏の陣で奮戦しているその時、いかにも位の高そうな女性が助けを求めてきます。

その気品と美しさから、彼女を淀殿だと確信する長朝・・・彼は、もともと浅井の家臣だった人ですから、世が世なら主君のお嬢様・・・丁重に保護し、自らの領地へと連れ帰ったのだそうです。

このお話だけなら、「あら、そうなの?」って感じですが、群馬県前橋市にある元景寺というお寺には、その時、淀殿が乗っていた駕篭(かご)の引き戸や、着ていた打ち掛けが残っているのだとか・・・

引き戸には、豊臣家の「桐」と浅井家の「菊」の家紋がほどこされており、打ち掛けも天下人の側室にふさわしい、金糸銀糸をふんだんに使った見事なものだそうです。

また、お寺には「心窓院殿華月芳永大姉」と刻印されたお墓があり、これが、淀殿のものだと伝わっているのだそうです。

・・・で、総社にやってきた淀殿は、その後どうしたのか?

それが、淀殿の美しさに負けた長朝が、妻にしようと言い寄るものの、プライドの高さから、それを拒み続ける中、とうとう、長朝が力づくで押し倒してやっちゃったために、傷ついた淀殿が利根川に身を投げて自殺した・・・という話と、

やはり、長朝が言い寄るものの、拒み続けた淀殿に、長朝が逆ギレして、生きたまま箱に詰めて利根川に沈めた・・・というものがあります。

普通、生存説として語られる場合、たとえ地位や名誉やお金がなくなったとしても、天寿を真っ当する・・・いわゆる長生きするものが大多数を占めています。

そんな中での不幸な結末の生存説・・・トンデモ説でさえ、特別扱いのような伝えかたをされる淀殿は、やはり、歴史上まれにみる女性と言えるかも知れません。

戦国の世に生まれた淀殿・・・

燃え盛る北ノ庄城から脱出し、母・お市の方と別れたあの日から、おそらく、自分自身のために生きる事はなかったように思います。

きっと、その日、彼女は決意したに違いありません。

この後は、妹たちを守る父となり母となろうと・・・

やがて、生きる術として、母の仇とも言える秀吉の保護を受け、今度は、家康からわが子を守る・・・娘時代にも増して、自分の素顔をひた隠しに隠しながら・・・。

伝説に伝説をかぶせたようなベールに包まれ、おそらく、未だ誰も知らない彼女の素顔を、いつか見せていただける日が来る事を願って・・・。
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家康・江戸開幕への時代」カテゴリの記事

コメント

来年の淀殿役は、今20代後半~30歳代初めの女優さんでしょうか?主役の上野樹里さんの姉の役ですから。昨年は深田恭子さん。
それにしてもスポーツ紙で「上野樹里が大河主役に内定」の報道から3週間も経つのに、NHKでは昨日現在まだ正式発表(HPでのスタップブログに掲載されない)されませんね。
過去にスポーツ紙が1回フライングした事(実際とは別の俳優を「主役内定」と報じた)があるせいでしょうか?

投稿: えびすこ | 2010年2月16日 (火) 11時20分

えびすこさん、こんにちは~

どなたが演じられるのか?
楽しみですね。

投稿: 茶々 | 2010年2月16日 (火) 12時09分

「江 姫たちの戦国」。NHKが昨日上野さん主演決定をようやく正式発表。
上野さん自身も「三姉妹の三女」です。
来年のストーリーの出だし(1・2月)が気になります。夫の秀忠役も気になります。
近年は1570~1600年の時期は、よく大河ドラマで取り上げられるので、登場人物の配役選考(特に信長・秀吉・家康)にスタッフが論議すると察します。

投稿: えびすこ | 2010年2月18日 (木) 09時04分

えびすこさん、こんばんは~

正式発表のおかげで、昨日今日と、「江」のキーワードで訪問してくださる方が多く、うれしい限りです。

投稿: 茶々 | 2010年2月18日 (木) 21時00分

こんにちは(*^。^*)
茶々役は宮沢理恵さんですよね、確か☆
早くドラマ見たいです☆
私この茶々さんのサイト大好きです。掲載されてる全ての内容が好き。これからもよろしくお願いします。

投稿: ゆう | 2010年9月16日 (木) 09時20分

ゆうさん、こんにちは~

励みになるコメントありがとうございます。
ドラマ、楽しみですねo(*^▽^*)o

投稿: 茶々 | 2010年9月16日 (木) 15時34分

阪神大震災の前後くらいだったと思う(すいません、正確な日時を覚えていなくて。)のですが、テレビで「自分は秀頼の子孫だ」と名乗る、鹿児島在住の男性を見たことがあります。その男性が言うには、秀頼達は抜け穴を通って大坂城を脱出後、島津を頼って薩摩へ逃れ、匿われながら一生を送り、豊臣の血を伝えていき、その末裔がこの私だ…という内容でした。その放送から歳月が随分と流れましたが、未だに忘れられず、頭の中に残っています。

投稿: クオ・ヴァディス | 2015年5月 8日 (金) 22時24分

クオ・ヴァディスさん、こんばんは~

「秀頼生存説」のページ>>にも書かせていただきましたが、落城直後から
♪花のようなる秀頼様を
鬼のようなる真田がつれて
退きものいたり加護島へ♪
という歌が流行りましたからね~

地元の私は、子供の頃、よく「抜け穴探索」してました。
最近はよくわからなくなってしまいましたが、以前は、三光神社以外にも、いくつかあったんです…抜け穴の出口と噂されていた場所が…

投稿: 茶々 | 2015年5月 9日 (土) 02時11分

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2011年度NHK大河ドラマは三代将軍・家光の生母生涯を描いた『江〜姫たちの戦国〜』 ニュース-ORICON STYLE- via kwout  今年の大河ドラマ「天地人」のように、本能寺が大爆発を起こしたり、福島正則が女性に数メートルも投げ飛ばされ、怪我もしないような馬鹿げた過度な演出をしないように願いたい。...... [続きを読む]

受信: 2009年6月18日 (木) 10時04分

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