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2009年5月19日 (火)

ガトリング砲も空しく~長岡城・陥落

 

慶応四年(明治元年・1868年)5月19日、北越戊辰戦争において長岡城が陥落しました。

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鳥羽伏見の戦い(1月9日参照>>)に始まった戊辰戦争は、江戸無血開城の後、さらに北へと向かう新政府軍に対し、会津藩庄内藩を中心に奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)を結成し、抵抗する東北の諸藩・・・

小千谷(おぢや)会談にて、新政府との話し合いが決裂した長岡藩の家老・河井継之助(かわいつぎのすけ)は、5月13日、新政府が本営を置く、その小千谷を攻撃する拠点とすべく、すでに新政府軍のものとなっていた軍事的要所・(えのき)峠と朝日山を奪いました(5月13日参照>>)

その後、しばらくの間、信濃川を挟んでこう着状態となった両者・・・鳥羽伏見の開戦以来、ほとんど負け知らずで進んできた新政府軍では、この朝日山争奪戦での手痛い敗北に動揺が走り、この方面からの撤退の声も出始めます。

しかし、断固として撤退を受け入れなかったのは、長州藩の奇兵隊を率いていた総督府下参謀・山県有朋(やまがたありとも)・・・

Nagaokazyoukoubouzucc ↑クリックしていただくと大きいサイズで開きます
(このイラストは位置関係をわかりやすくするために趣味の範囲で製作した物で、必ずしも正確さを保証する物ではありません)

有朋は、現在の状況を打開すべく、小千谷より北にある関原から軍を進めて信濃川を渡り、同盟軍の背後から長岡城を急襲しようという作戦を提案しますが、薩摩藩の総督府下参謀・黒田清隆(8月23日参照>>)には一蹴されてしまいます。

しかたなく、有朋は、奇兵隊出身の三好重臣(みよししげおみ・軍太郎)らとともに、慶応四年(明治元年・1868年)5月19日、この作戦を決行する事にします。

一方、列藩同盟軍の継之助も、このまま朝日山へ新政府軍を引きつけておいて、密かに主力部隊を、北にある前島に集結させ、そこから信濃川を渡り、小千谷の本営を襲撃する作戦を立てます。

実は、この作戦の決行も、同じ5月19日でした。

ただし、有朋の作戦決行は5月19日未明・・・
対する、継之助の作戦決行は5月19日夜・・・

この時間の差が、両者の勝敗を分けました。

薩長の精鋭部隊に、加賀藩高田藩の兵を加えた約1500の新政府軍は、まだ夜が明け切らぬ信濃川を渡ります。

先日来からの雨によって増水した信濃川は激流と化していましたが、そこは精製部隊・・・何とか、切り抜けて渡りきり、一斉に長岡城に攻めかかります。

長岡城は、信濃川を天然の要害とした湿地に構築された平城でしたが、すでに砲撃が主流となっていた幕末の戦いには、その天然の要害は、ほぼ無力・・・しかも、同盟軍は、未だ朝日山や榎峠に多くの兵を配置していましたし、継之助が考えていた前島にも、わずかの兵しか集結してはいません。

急襲を知った継之助は、すぐに長岡城へと駆けつけ、大手門にて、自ら、岡藩の秘密兵器・ガトリング砲を手に奮戦します。

このガトリング砲というのは、アメリカの南北戦争の時に発明された手動式の機関銃・・・ハンドルを回すと、数本の銃身が束ねられた中心が回転して銃弾を発射するもので、1分間に150発~200発が発射されるズグレモノ。

日本には3門輸入され、そのうち2問を、この長岡藩が持っていたのです。

しかし、準備整わぬまま攻撃された状態の長岡城・・・もはや、勝敗は明らかでした。

やがて、継之助自身が敵の銃撃を肩に受けて負傷したため、城内へと戻り、藩主の牧野忠訓(ただくに)らを城外へと逃がし、一旦、長岡城を捨てる決意を固めました。

長岡城を出て、東へ・・・悠久(ゆうきゅう)、さらに森立(もりたて)峠へと撤退を余技なくされる列藩同盟軍・・・

振り返ると、遠く燃え盛る長岡城・・・しかし、もちろん、このままでは終われません。

心の奥底で、長岡城の奪回を決意する継之助・・・まずは、新政府軍が前線の補給基地と位置づけていた今町(いままち)へ狙いを定めます。

今度は、最善の準備を整え、充分な現状調査を行い作戦を決行する継之助・・・ですが、そのお話は、やはり、今町攻略への戦いが行われる6月1日でどうぞ>>
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