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2009年5月12日 (火)

和歌で領地を取り戻す~カリスマ歌人・東常緑

 

文明元年(1469年)5月12日、東常緑斎藤妙椿京都にて会見・・・奪われた篠脇城の返還が決定されました。

・・・・・・・・・・・・

なんとも風流なお話です。

文明元年(1469年)と言えば・・・戦国の幕開けとも言える応仁の大乱が勃発(1月17日参照>>)してから2年後の事・・・

もちろん、応仁の乱は10年に渡って繰り広げられますので、まさに、その真っ只中であったわけですが、そんな中で、武力で奪われた城を和歌で取り返す・・・そんな出来事があったんですねぇ。

先日ご紹介した『古今和歌集』(4月18日参照>>)の序文で、編者の1人である紀貫之(きのつらゆき)が書いた文章を思い出しますね~。

歌は「力を用いず天地を動かし・・・鬼をも感動させ、勇猛な武士をも泣かす」

いつの世も、すばらしい歌は、人の心を動かすもの・・・という事なのでしょう。

・・・で、本日の主役・東常緑(とうつねより)は、下総(千葉県)千葉氏の分家という由緒正しき家柄・・・鎌倉時代に、美濃(岐阜県)郡上(ぐじょう)に領地を得た事で、こちらに移住したのが東氏の始まりでした。

中世の武将というのは、勇猛果敢であるのはもちろんですが、文芸をもたしなむ風流をもかねそなえていなければ一流とは言えませんが、常緑の場合は、その芸事がハンパじゃなかった・・・。

若い頃は京都にいて、二条派尭孝(ぎょうこう)から、先の『古今和歌集』秘事口伝を学んでいます。

この「古今和歌集の秘事口伝」・・・いわゆる『古今伝授』ってヤツなんですが、以前、戦国武将の細川幽斎(藤孝)が、この『古今伝授』されていた事から、関ヶ原の合戦での危機一髪の時、「このまま幽斎が死んだら、古今伝授が耐えてしまう~」と心配した後陽成(ごようぜい)天皇が、思わず戦いを止めに入ったと書かせていただきましたが(8月20日参照>>)それくらい重要、かつ貴重な、和歌の専門家なわけです。

なんせ『古今和歌集』を正統に伝えていく役なのですから・・・

一方、もう一人の主役・斎藤妙椿(みょうちん)・・・彼は、当時、美濃の守護・土岐(とき)守護代として勢力を誇っていた武将でした。

ご存知のように、応仁の乱は、室町幕府8代将軍の足利義政の後継者争いで、義政と嫁の日野富子の間に生まれた次期将軍候補・義尚(よしひさ)に味方した山名宗全(やまなそうぜん)(3月18日参照>>)と、もう一人の次期将軍候補である義政の弟・義視(よしみ)についた細川勝元の両巨頭とともに、それぞれに味方した管領家の畠山家斯波(しば)の家督争いもからみつつ、日本全国を東西・真っ二つに分けた戦いだったわけです(1月7日参照>>)

当然、美濃の国も、その乱の影響を受ける事になるのですが、この時、美濃の守護であった土岐成頼は、細川派・・・一方、常緑が将軍・義政の側近であった事から、東氏は山名派とみなされ、応仁二年(1468年)9月、守護・頼成の命により、妙椿が、東氏の居城である篠脇城を攻撃したのです。

この時、当主の常緑は、本家の所領でのモメ事の加勢として下総に出かけていて、その留守を守っていたのは、常緑の兄で、すでに隠居していた氏数でしたが、なんせ、兵の数が少ない・・・。

多勢に無勢ではどうしようもなく、篠脇城は敵の手に落ちてしまいました。

この一報を、遠く下総の地で聞いた常緑・・・ちょうど、亡き父の命日が近かった事から、その命日に合わせて、一首の歌を詠みます。

あるが内に 斯(か)かる世をも 見たりけり
  人の昔の 猶
(なお)も恋しき 
「僕が生きてるうちに、こんな事になってしまうなんて・・・お父ちゃんの生きてた頃が懐かしいわ」

たまたま、この歌を京都の歌会で、他の人から聞いた妙椿・・・実は、彼も相当な歌ファンで、歌仲間ではカリスマ的存在の常緑の歌に感動を覚えたのです。

早速、妙椿は常緑に手紙を書きます(ファンレターかい!)

「遠く関東にいて、地元を奪われて、さぞかし不本意に思てはる事でしょう。実は、僕も歌の道を志してますねん。常緑さんは歌仲間やと思てます。どうか、僕のために歌を作ってもらえませんか?ほんなら、あの所領、返しますさかいに・・・」

「歌を作ってくれたら領地返す」て・・・そんなアホな!
って思いますが、

よくよく考えてみたら、平成の今だって、大好きなミュージシャンが、自分のために歌を作って歌ってくれるんなら、いくらお金を出したっていい!・・・て、思う人がいても、おかしく無いかも・・・

大好きな漫画家が、自分を主人公に漫画を書いてくれたりなんぞしたら、天にも昇る気持ちになるかも知れませんね。

・・・で、この手紙を受け取った常緑・・・

吾世(わがよ)(へ)む しるべと今も 頼む哉(かな)
  みののお山の 松の千歳(ちとせ) ♪
「僕の領地は、ほんのわずかやけど、千年の寿命を持つ松のように、長きに渡って大切にして来た物ですねん」
をはじめとする10首の歌を妙椿に送ります

これを受け取った妙椿・・・もちろん、今をときめくカリスマミュージシャンの新曲、しかも10曲もの大サービスに感動しないわきゃありません。

早速、妙椿も・・・

(こと)の葉に 君が心は みづくきの
  行末とをらば 跡はたがはじ
 ♪

「あなたの誠意は、今回の歌でよくわかりました。そのお気持ちが今後も変わらへんのやったら、領地はお返ししますよってに」
と、返します。

かくして文明元年(1469年)5月12日京都にて会見した二人・・・妙椿は、その場で、正式に篠脇城を、常緑に返還したのです。

故郷の 荒るるを見ても 先すと思う
  しる辺
(べ)あらすは いかかわけこむ ♪ 常緑
「戦場となって荒れてしもた故郷やけど、相手が雅なええ人やなかったら戻ってもけぇへんかったやろな」

此頃の しるべなくとも 故郷に
  道ある人そ やすく帰らむ
 ♪ 
妙椿
「何をおっしゃいますやら・・・僕のせいやなくて、お宅がすばらしいからええ結果になったんですやん」

こうして、常緑は、無事、領地を取り戻したのです。

まさに、「芸は身を助く」・・・戦国武将は、政治や軍事だけでなく、芸術の才能も身につけておかなければ一流ではないのです。

かの司馬遼太郎氏は、「東常緑は、歴史上、最も高い原稿料を取った」と・・・

確かに、わずか10首で、城と領地(郡上市大和町)とは、ぼったくり・・・いや、これも風流のなせるワザといったところでしょうか。
 

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コメント

同じ千葉一族でありながら対立関係になってしまった東常縁と千葉氏ですが、常縁の時代の少し後に千葉氏宗家となった人物に千葉勝胤という人物がいます。


勝胤と交流のあった僧侶の衲叟馴窓(のうそう・じゅんそう、と読むそうですが、私の生涯で一番の難読名前です!)が編纂した雲玉和歌集には常縁の歌も載っています。同じく千葉氏と戦った太田道灌の歌も載っているので、政治的立場や過去のいきさつはともかく、芸術や文学が持つ力が感じられます。


都から遠く離れた関東は、まったくの田舎ではあっても、勝胤の時代は佐倉歌壇とよばれるほど和歌の文化が花開いていたのだそうです。


私は風流心がまったくないので和歌のすばらしさがよくわかりません… 残念!!

投稿: とらぬ狸 | 2015年5月15日 (金) 20時39分

とらぬ狸さん、こんばんは~

私も、風流のカケラも無い者なのでお恥ずかしい限りですが、あの平安の昔から、東国にも雅な文化が花開いていた事は、うれしい事ですね。

投稿: 茶々 | 2015年5月16日 (土) 01時44分

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