箱根の関所は6ヵ所あった?~江戸時代の女性の旅
寛永十二年(1635年)6月30日、江戸幕府・第3代将軍・徳川家光によって、参勤交代の制度が定められました。
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参勤交代については、すでに2006年の6月30日に書かせていただいておりますが・・・
その一番の目的は、各大名に領国と江戸を一年交代で往復させて、その経済力を削減させる事・・・そして、彼らの妻子を常に江戸に住まわせる事で人質の役割を果たす事でした(2006年6月30日を見る>>)。
・・・で、大名の奥さんが国元へと逃げ帰ったりしないように、特に、女性の出入りは厳しく制限したわけですが、それが、よく耳にする「入鉄砲に出女(いりでっぽうにでおんな)」という言葉・・・
しかし、そうなると、自然と、一般女性の旅をも規制する事になります。
江戸・約300年で、伊勢参りブーム・・・いわゆる「おかげ参り」のブームが3度ほど起きているそうですが、その中の最初の宝永二年(1705年)のブームの時には、50日間ほどで365万人ほどの人出があったそうで、当時の総人口が約3千万人とすると、わずか2ヶ月足らずで、10人に1人が伊勢参りを経験した計算になり、そりゃ、もう、ものスゴイ事になってたでしょうね。
しかし、そんな大ブームの時でさえ、その女性の割合は、4~5%に過ぎなかったと言いますので、いかに女性が少なかったかがわかりますね。
・・・というのも、もともと、この頃の旅は、男の人でも基本的に半命がけ・・・なんせ、移動手段が徒歩ですから・・・
命の次ぎに大事な、その旅費を狙って、ゆすりたかり、追いはぎや山賊がウヨウヨ・・・もちろん、歩くうちには、足が動かないほどに疲れる事もあり、ゆったりしていて、次ぎの宿場町にたどりつく前に、日が暮れたりなんかしたら、泥棒に遭わなくとも、箱根の山で野垂れ死に・・・なんて記録も、かなりの数残っているそうです。
なので、江戸時代を通じて、女性の一人旅というのは、まずあり得ない事で、何かの用事があって旅をする時は、親兄弟同伴か、男性を含むグループ旅行、あるいは使用人=ボディガードつきでという事になります。
その上に、冒頭に書いた「入鉄砲出女」で、女性の移動に関しての規制が厳しいのですから、そりゃぁ、旅に出る人は少なかったでしょうね。
まずは、手形の発行の時点で、男性と女性には大きな差がありました。
もともと、旅に出るには、往来手形という身分証明書と、関所を通るための関所手形が必要なのですが、男性は、武士の場合は藩の係の人、町人の場合は、名主などから関所手形を発行してもらえて楽なのですが、女性の場合は、その名主などに証明書を発行してもらい、それを持って町奉行に許可をもらいに行き、さらに、それらの書類を幕府御留守居役に提出して御関所女手形なる物を発行してもらわないといけなかったのだとか・・・
さらに、旅に出た後の、関所での検問も、女性は特別でした。
全国に53ヶ所あった関所の中の、重要な関所が22ヵ所・・・その中の17ヵ所には、人見女(ひとみおんな)、改姥(あらためうば)と呼ばれる女性のチェック係がいたんです。
もちろん、男性がそのチェックをすれば、即セクハラになるくらい厳しいチェックをするために、わざわざ近所のバァサンを雇ってるわけですので、それはそれは大変・・・。
先ほどの手形には、男性の場合は、旅の目的やどこからどこまで行くなんて事くらいしか書かれていないのですが、女性の場合は髪質や髪の長さ、身体的特徴なども書かれてあり、そのバァサンたちは、それを、いちいち入念にチェックするわけです。
さらに、チェック係の女性は、二人一組で、どちらか1人でも、NOなら、もう関所は通れません。
中には、このチェックに引っかかり、しかたなく、もう一度、江戸へと戻り、御留守居役から、新たな証文を発行してもらって、15日かかって関所を通った・・・なんて話も記録として残っているようです。
しかも、このチェック係の女性は、常に関所に待機しているわけではなく、女の通行人があるたびに、足軽が関所のそばの住居に呼びに行った・・・って言うんですから、その時間のかかり具合に、話を聞いただけでも旅に出る気をなくしますわな・・・こりゃ。
そころで、そんな関所・・・一つそんなモンがあったって、抜けようと思えば、抜けれるんじゃないの?と思ってしまいますが、実は、よく時代劇などで見る関所・・・アレは、アレ一つでまかなってるわけではないんですよ。
たとえば、最も重要と言われた箱根の関所の場合は、いわゆる箱根の関所と呼ばれる本関所のほかに、裏関所というのが5ケ所・・・仙石原・根府川・矢倉沢・川村・谷ヶ村に設けられていて、本関所と合わせたこの6ヵ所は、きっちりと柵でつながれていたんです。
もし、抜けるとなれば、それらすべてを迂回しなければならないし、見つかれば死罪の重罪ですから、やはり、よほどの犯罪者でない限り、手続きが面倒で、順番待ちに時間がかかっても、ちゃんと関所を通らざるを得なかったんでしょうね。
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日本を開国させた彼の功績は、母国・アメリカでも大いに評価され、そのあと、

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