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2009年6月 3日 (水)

黒船来航のペリーが予測した「ものづくり日本」

 

嘉永六年(1853年)6月3日、アメリカ海軍所属の東インド艦隊江戸湾・浦賀に姿を見せました・・・ご存知、ペリー黒船来航です。

昨年は、日本だけではなく、琉球もターゲットになっていた事を書かせていただきましたが(2008年6月3日参照>>)、今回は、アメリカの思惑とペリーのその後について・・・

・・・・・・・・・・・

昭和二十年(1945年)、日本の敗戦を伝える8月14日のニューヨーク・タイムズは、その紙上で、「我々は、初めてペリー以来の願望を果たした」と報じたと言います。

また、その半月後の9月2日、太平洋戦争の降伏文書の調印式が行われた軍艦ミズーリ号の船上には、このペリー当時の星条旗が掲げられました。

つまり、ペリー来航の目的は、捕鯨の拠点としての開国だけに留まらず、最終的には日本の占領にあったという事なのかも知れません。

ペリーの時代、産業革命によって昼夜を問わず大量生産を行うようになった工場・・・その動力やランプの灯りの燃料として必要だった鯨油の確保と、その生産した物品を売りさばく市場拡大は、イギリスフランスなどのヨーロッパ各国、そしてアメリカ合衆国の大きな目標でした。

そんな中、アメリカの実業家・アーロン・ヘイト・パルマーは、「巨大な中国マーケットを掌握するためには、まず、ハワイを併合して燃料補給基地とし、その後、日本に開国を求める以外にない」と考え、日本開国の戦略を練り上げて、大統領や国務長官に、意見書を提出します。

  • 艦隊を直接江戸へ向かわせ、将軍または部局の長に面会を求め、開国を要求せよ。
  • 拒否されたならば、武力で江戸湾を封鎖し、品川を制圧せよ。
  • 回答が得られない時は、「祖国が侮辱された」とみなし、どのような結果となっても、その責任は日本側にある。

・・・てな感じの意見書だったそうですが、まさに、ペリーの行動そのものです。

なんせ、交渉の時に、ペリーが大統領の手紙とともに渡した箱の中には・・・

「日本が通商を認めないのは道理に反している。もし、どうしても通商しないのであれば、武力も辞さない。戦争になれば、こちらが勝つに決まっているから、降伏する時は、この旗を立てろ・・・そうすれば、砲撃をやめ、和睦の交渉に応じよう」

という、文書と2本の白旗・・・日本人は、この時、初めて、白旗の意味を知ったのだとも・・・日本での白旗は源氏の旗ですもんね。

・・・で、結局、ご存知のように、スッタモンダの末、日本は、翌年、再来日したペリーと日米和親条約が締結させるわけですが、ペリー自身は、条約締結後は、健康上の理由として、すぐに帰国の途についています。

Perry 日本を開国させた彼の功績は、母国・アメリカでも大いに評価され、そのあと、「中国公使に・・・」という話がありましたが、ペリーは、これを断って、『遠征記』の編さんに専念しました。

遠い異国で、見た事、聞いた事・・・艦隊の活動はもちろん、文化や科学に至るまで、その体験談を後世に伝えたいと思ったようです。

そんなペリーが語る日本人とは・・・

「洗練された理性的な国民で、大陸の人たちよりも、心を開いて我々の説得に耳を傾けてくれる」
「職人の腕前は世界一!発明の能力をもっと自由に発揮する事ができたなら、世界有数の製造業国になるだろう」

おぉ・・・ペリーさん、見事、昭和の日本の高度成長期を予測しちゃってくれてますね~

日本にかなりの好印象を持ってくれたペリーさんですが、悲しいかな、彼には文才がなかったようで、書きたい事はたくさんあるのに、どうも、うまく書けない・・・

・・・で、結局、サナニエル・ホーソンという作家さんにお願いして、補助?直し?ゴーストライター?的な事をやってもらって、ようやく、安政四年(1857年)12月に、全三巻の完成をみました。

しかし、ペリーはその完成の、わずか2ヵ月後に風邪をひいて寝込んしまいます。

さらに、その風邪が治りきらないうちに、持病のリウマチが悪化・・・翌・安政五年(1858年)の3月4日63歳の生涯を閉じたという事です。

まだ、生きておられる間に全巻が完成した事が、せめてもの救い・・・たくさんの日本の思い出を持って、天国へと向かわれた事でしょう。
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コメント

ペリーさん、日本人に好印象を持ってくださってうれしいわ。この時代日本中が大騒ぎになってたくさんの血が流れたわけですが、明治になったら日本のいい面を(物心両面)うっちゃって欧米かぶれになってしまったようで、それはいまだに続いているような気がします。うっちゃったものの中に大量の浮世絵もあって最近里帰りしましたっけ。今も外人さんは日本人があまり自国の文化を知らなかったり、大事にしないのを不思議がるようですが、ペリーさんの頃からこんなに褒めていただいているんだからもう少し誇りに思っていいんじゃないかしら・・・ペリーさん、どんな方だったのかな。なかなかいい人だったんじゃないかな。

投稿: Hiromin | 2009年6月 3日 (水) 21時22分

Hirominさん、こんばんは~

やっぱり、好印象をもっていただけるとウレシイですよね。

>欧米かぶれ

確かに、開国して、逆に日本人が「何もかも欧米が上」って考えになっちゃいましたね・・・残念です。

投稿: 茶々 | 2009年6月 3日 (水) 21時39分

茶々様、こんばんは

江川英龍が人名検索でも、出てきません。
キーワード検索でもかろうじて一つヒットしただけです。
この人もなかなかの人なので、一回主役を張らせていただきたいものです。

投稿: エアバスA381 | 2014年6月29日 (日) 23時54分

エアバスA381さん、こんばんは~

幕末には魅力的な人材が多いですね。
まさに、時代が呼んだという感じでしょうか?
また、イロイロと調べてみたいと思います。

投稿: 茶々 | 2014年6月30日 (月) 01時34分

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