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2009年6月 5日 (金)

新撰組・絶好調!池田屋事件

 

元治元年(1864年)6月5日、新撰組が京都の旅館・池田屋に集まった尊王攘夷派志士を急襲した騒動・・・池田屋事件がありました。

・・・・・・・・・・

話は一年前にさかのぼります。

世は、まさに、尊王攘夷(そんのうじょうい・天皇中心&外国排除)公武合体(こうぶがったい・朝廷と幕府が協力)かと真っ二つに分かれていた頃・・・それは朝廷内でも同じでした。

公武合体派の中川宮朝彦親王(なかがわのみやあさひこしんのう)は、やはり公武合体派の会津藩薩摩藩と協力して、尊王攘夷派の公卿・三条実美(さねとみ)ら7人を御所から閉め出し、さらに、京都からの退去を命じます・・・これが、八月十八日の政変と呼ばれるクーデターです(8月18日参照>>)

京都に居場所がなくなった実美らは、尊王攘夷派の長州藩を頼って都落ちするはめに・・・これで、政治の中心から尊王攘夷派が一掃されたわけですが、もちろん、それまで政治の表舞台にいた長州藩が、舞台から引きずり下ろされたわけですから、このままで済むわけがありません。

すぐには表立って反撃できない尊王攘夷派の志士たちは、京都の市街や近郊に身をひそめ、挽回の機会を狙う事になりますが、そんな過激派の志士たちの探索&取り締まりにあたったのが、あの新撰組です。

八月十八日の政変での活躍で、壬生(みぶ)浪士組から新撰組に名をあらため、対立していた芹沢鴨(せりざわかも)を排除して(9月18日参照>>)近藤勇のもと一枚岩となった新撰組でしたが、脱走者は多数出るわ、不潔で病人は多いわで、未だ京都の町の人々から見れば、危険極まりない浪人たちの集団でしかありませんでした。

そんな新撰組のイメージを一転させたのが、この池田屋事件・・・

元治元年(1864年)6月5日・・・この年の4月頃から、京都には何人もの長州人が入りこみ、密かにテロの計画をたてているなどの噂が流れはじめていた事から、日々、取り締まりにあたっていた新撰組は、この日の朝に、かねてから狙いをつけていた四条小橋の道具屋・桝屋家宅捜索を行い、何やら怪しげな手紙や武器などを発見します。

Dscn2966a800 ・・・で、桝屋の主人・喜右衛門(きえもん)こと古高俊太郎(ふるたかしゅんたろう)を捕らえて、壬生の屯所(旧前川邸)で厳しく取り調べたところ、京都市街への放火や天皇奪取などのテロ計画を自白します・・・と幕府の記録にはありますが、最近では、そのような自白は無かったという説が主流となってします。

・・・というのも、冒頭に書いた通り、この後、新撰組は池田屋に集結している過激派志士たちと一戦交えるわけですが、池田屋に向かうのに、わざわざ、局長の近藤率いるグループと、副長の土方歳三の率いるグループに分け、さらに、わずかな距離の池田屋まで2~3時間を要しています。

これは、おそらくは、具体的な供述などは何もなく、とりあえず「どこかで何かの集まりがある」みたいな情報だけをもとに、そこらあたりを片っ端から探索して回ったという感じだったため、多くの時間を費やしてしまったのでしょう。

いや、むしろ、よく見つけました・・・なんせ、彼らは、わずか34人の人数で探しあてたのですから・・・

とにもかくにも、何らかの怪しい情報を得た近藤らは、会津藩の配下にある新撰組として行動すべく、京都守護職に報告し、隊士を八坂神社の前の祇園会所に集合させ、会津藩のGOサインと援軍を待ちます。

しかし、待てど暮らせど援軍も来なければ、命令も出やしない・・・

どうやら、肝心の藩主・松平容保(かたもり)が病床にあった事で、周りの重臣たちが、何かあった時の責任をとりたくがないため「もし、長州の恨みをかって、どえらい大ゴトになったらどうすんねん」と、誰も命令の決定を下せずにいたのです。

Ikedayakankeizucc【近藤&土方・進路】クリックしていただくと大きいサイズで開きます
(このイラストは池田屋への進路をわかりやすくするために趣味の範囲で製作した物で、必ずしも正確さを保証する物ではありません)

約束の午後8時になっても、音沙汰がない事にしびれを切らした近藤は、土方に24人の隊士を預けて祇園方面の探索に向かわせ、自らは、沖田総司藤堂平助原田左之助永倉新八ら10人とともに、鴨川の西側の四条から木屋町通りを探索するべく出発します。

やがて、三条小橋のあたりに到着した時、旅篭・池田屋の前に「一文字に三つ星」の提灯が掲げてあるのを見つけ、「これは、長州の紋では?」と野生の勘が働いた?

表口と裏口をそれぞれ3人ずつで固め、近藤が、「御用改めである!」と声をかけながら、戸をけたたましく叩くと、中で、池田屋の主人が、何やら大声で叫んでいる声が聞こえる・・・。

Ikedayamitorizucc【池田屋・見取り図】クリックしていただくと大きいサイズで開きます
(このイラストは池田屋内での様子ををわかりやすくするために趣味の範囲で製作した物で、必ずしも正確さを保証する物ではありません)

これで、過激派志士の潜伏を確信した近藤は、素早く、沖田とともに裏階段を駆け上がり、すでに行灯(あんどん)が消されて、暗闇となった二階の座敷に突入!

中には、20人余りの志士たち・・・1人が即座に斬りかかるも、それを沖田が一刀に・・・さらに、沖田は数人を斬りますが、ここで、持病の結核のために吐血・・・やむなく、倒れた志士の遺体を枕に横になり、戦線離脱します。

鎖帷子(くさりかたびら)で完全武装した近藤らに対して、ふいを突かれた志士たちは、逃げるしかなく、裏庭へと飛び降りる者が続出し、最初は、二階で繰り広げられた戦いは、徐々に一階へと移り、近藤も一階に戻って奮闘します。

やがて、藤堂が負傷して、中庭にて戦線離脱すると、いよいよ、近藤と永倉の2人になってしまい、1人が4~5人を相手にする大ピンチとなります。

・・・と、そこへ、グッドタイミングで登場したのが、どこまでもカッコイイ土方率いる別働隊・・・形勢は一気に逆転し、終ってみれば、新撰組の死者が平隊士・3人なのに対し、志士側は14人(人数は諸説あり)

その中には、長州藩の吉田稔麿(としまろ)熊本藩宮部鼎蔵(ていぞう)といった重鎮たちも・・・人数から考えれば、新撰組の圧倒的勝利となりました。

翌・6日の昼、屯所に凱旋帰館した彼らを、大勢の見物人が取り囲み、その行列は、あの赤穂浪士を思わせる晴れ晴れとした光景だったとか・・・

これで、新撰組の人気は一気に上がり、土方曰く「モテてモテて困ってんねん」新撰組絶頂期となるのですが、もちろん、長州も黙ってはいません。

・・・で、長州藩の積極派が、京都を奪回すべく大軍を率いて押し寄せるのが、あの蛤御門(はまぐりごもん・禁門)の変・・・なのですが、そのお話は、2010年7月19日の【禁門の変~来島又兵衛アラ50の挑戦】でうぞ>>
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コメント

私新選組が大好きなんです!!
とくに沖田総司の大ファンです!
池田屋事件で新選組は大活躍☆
かっこいいですね!!

歴史も大好きでこのブログを見て
よかったです!!

投稿: どら | 2009年6月 5日 (金) 22時10分

どらさん、こんばんは~

新撰組はとても人気があって、すご~くくわしいかたも沢山いらっしゃるので、私ごときが書いて良いものかと悩みもしますが、やはり、無視するわけにはいきませんから・・・。

喜んでいただけるとうれしいです。
また、遊びに来てください。

投稿: 茶々 | 2009年6月 6日 (土) 00時26分

ありがとうございます。
また遊びに来ます!!
これからも、どんどん歴史について
書いていただけると嬉しいです。

投稿: どら | 2009年6月 6日 (土) 12時05分

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