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2009年6月17日 (水)

いよいよ大詰め~第二次長州征伐・小倉口ゲリラ作戦

 

慶応二年(1866年)6月17日、第二次長州征伐・小倉口の戦いで、再び長州軍が小倉に上陸しました。

・・・・・・・・・

ほぼ毎日のように第二次長州征伐の話題で恐縮ですが、やはり、続いて起こった出来事は、続いて書いたほうが良いのでは?と、こうなったらトコトン書かせていただきます。

・・・で、とりあえず、久々にご覧になる方のために・・・

そして、昨日の小倉口の戦い・初戦では、奇しくも、生涯一度だけの高杉晋作坂本龍馬という幕末2大スター・夢の共演となったわけですが、この小倉口・・・

その名の通り、小倉藩の居城・小倉城の城下町・・・東の本営を広島城に置いていた幕府は、西の本営を、この小倉城に置いていて、こちらの総督には老中の小笠原長行(おがさわらながみち)が着任していました。

しかし、先日来より、足並みが揃わない幕府軍なのですが、ここは、その乱れっぷりもハンパなく・・・。

長行は、総督命令として、九州の各大名に兵の動員を呼びかけますが、まずは薩摩藩がはなから出兵を拒否しているところに、佐賀藩も出兵を拒否・・・何とか、肥後藩久留米藩が出兵し、小倉藩とあわせて2万(諸説あり)ほどの兵が集結します。

しかし、やっぱり、ヤル気があるのは、小倉藩だけ・・・昨日の初戦でも、主力として戦ったのは、小倉藩でした。

なんせ、小倉藩は、現実に上陸されて、領地内を攻撃・略奪・放火されちゃってますから、そりゃぁ必死で守り抜かねばなりませんわな。

ところで、肥後・久留米・小倉と、並べて見ると、久留米と小倉には失礼ですが、どう考えても、肥後が飛びぬけて大きな大名・・・本来ならば、主力となって奮戦していただきたいところなのですが、この肥後兵の指揮官である家老の長岡監物(けんもつ)は、もともと、長州征伐自体が「大義のない戦いである」と、否定的な姿勢であったために、最初のうちから何かと総督の長行と衝突してしまいます。

・・・で、とうとう「自分とこの担当とされた場所を守る事は守りますげど、それ以外の事は知らんからな!」てな険悪ムードに・・・

ただ、まだ幕府軍には、諸藩の兵以外に、八王子千人同心(江戸の西を守る隊)から派遣された幕府直属の部隊もいたのですが、これが、この慶応二年(1866年)6月17日長州の再上陸で、エライ事になってしまいます。

長州征伐に於いては、幕府千人隊と呼ばれたこの一軍をまとめていた軍目付の斎藤図書(ずしょ)が、長州の再上陸と同時に逃げ出してしまうという大失態・・・この幕府直属のヤル気のなさに、もはや、手伝う諸藩の士気もさがりっぱなしの状況となってしまいました。

しかも、昨日の初戦のように、長州兵の攻撃は、怒涛のごとく上陸しては、雷鳴のごとく暴れ回り、事が終れば嵐のように去って行くというゲリラ攻撃を繰り返します。

これは、奇兵隊を中心とした精鋭であるとは言え、この小倉口の担当が、わずか1000人ほどという人数の少なさのために、晋作がとった言わば苦肉の作戦なのですが、押しては退き、退いては押すの繰り返しの中で、徐々に徐々にと、その進む先を、またその先へ・・・と攻撃する範囲を広めていきます。

Sikyousensoukokuracc ↑クリックしていただくと大きいサイズで開きます
(このイラストは位置関係をわかりやすくするために趣味の範囲で製作した物で、必ずしも正確さを保証する物ではありません)

そんな中の7月3日、大里(だいり)という所で、大きな衝突が起こります。

この日、門司から上陸した長州軍は、海岸側と山側の二手に分かれて進み、2方向から同時に、大里を守っていた小倉藩兵に襲いかかり、敵陣地をぶっ壊して大打撃を与えます。

ただ、ここでも例のごとく、夕方になると潮が退くように軍を撤退させ、船に分乗して対岸へと戻ろうとしたのですが、この日は停泊していた幕府軍艦が追撃・・・海上でも激しい砲撃戦となりました。

しかし・・・・
やはり、結局、この日も戦ったには小倉藩の兵だけ・・・

「もはや、城を枕に討死するしかないのか・・・」
小倉藩兵には、悲壮感が漂います。

・・・と、これまで、本営で高見の見物をしながら、指示だけを出していた長行・・・さすがに、ここに来て、自ら、小倉藩兵を陣中見舞いし、
「これからは、千人隊を率いて、俺自身が戦線に出るから・・・」
と、約束し、やっと重い腰をあげた!

・・・っと、思いきや、長行の頼りは、やはり大大名の肥後・・・

今度は、肥後藩が矢面に立って戦う事になるのですが、そのお話は、やはり、またまた長州が上陸作戦を決行する7月27日(7月27日参照>>)で見ていただくとして、その前に、7月15日には、別働隊の石州口に動きがでますので、とりあえずは、コチラからどうぞ>>
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幕末・維新」カテゴリの記事

コメント

お邪魔します!

長州の大島奪還について知りたいと思い、こちらのサイトにたどり着きました。
ご説明が大変わかりやすく、どんどん読み進んでしまいますhappy01

さて
>この肥後兵の指揮官である家老の長岡監物(けんもつ)は、もともと、長州征伐自体が「大義のない戦いである」と、否定的な姿勢であったために…

の文を読んで、「長岡賢物」ってどんな人かな?と思ってググって見たところ、長岡賢物=長岡 是容は安政6年(1859年)で亡くなっているようです。

もし良かったら、正しくは誰なのか教えてください~。

投稿: がー | 2010年8月31日 (火) 00時13分

がーさん、コメントありがとうございます。

ご質問いただいたので、再度調べなおしてみましたところ、長州征伐の時に家老職にあったのは、是容さんの次の代の長岡監物是豪(けんもつこれひで)さんという方のようです。
手持ちの史料では、天保九年(1838年)生まれで明治三十七年(1904年)にお亡くなりになっているとの事ですが、恥ずかしながら、私もそれ以上の事はくわしく知りません。

しかしながら、このたび、ご指摘をいただいて調べてみますと、確かに「長岡監物」とだけ書いた場合は、先代の是容さんの事を指すのが一般的なようです。
どうも言葉足らずで誤解を招いてしまって申し訳ありませんでした。

投稿: 茶々 | 2010年8月31日 (火) 01時52分

ありがとうございます!
お父さんと息子さん?で同じ名前、って事なのですね。納得です!
なかなかネットで調べただけでは判らなかったので、教えていただいてすっきりしましたhappy01

他の記事も楽しく、興味深く読ませていただいてます。
ありがとうございましたnote

投稿: がー | 2010年9月 4日 (土) 00時30分

がーさん、お返事ありがとうございます。

どうやら、この「長岡監物」という名前は、ここのお家の当主が代々名乗る名前のようです。

>お父さんと息子さん?

そうです、そうです…また、ちゃんと書いてませんでしたが、長岡 是容さんの息子さんが是豪さんで、この長州征伐のすぐ後に、弟の虎雄さんという方に家督を譲って、その虎雄さんの代で維新を迎えるようです。

ご質問をいただいたおかげで、私も勉強になりました。
ありがとうございました。

投稿: 茶々 | 2010年9月 4日 (土) 11時42分

龍馬伝をみて、龍馬って小倉口では戦況を眺めて手紙を送ったくらいで傍観者じゃなかったかしらと思い、こちらにいきつきました。とても詳しくて面白いです。

なるほど、龍馬は自ら操船していたんですね。
実際のところ龍馬は活躍したんでしょうか?

ちなみに近辺で働いていたことがあるのですが、大里は今は「だいり」と読んでいるようです。

投稿: 春風 | 2010年9月27日 (月) 23時25分

春風さん、ご指摘ありがとうございました。

史料を読み直してみると「だいり」でしたので訂正させていただきました。
1年以上前の記事なので、今となってはなんで「おおさと」にしちゃったのかは不明ですが、教えていただいてありがたいです。

ところで、龍馬の参戦の件ですが・・・
私の書き方がややこしくて、申し訳なかったです。
龍馬は、今回の長州征伐が始まる前から、桂小五郎に「観戦させてほしい」と頼んでいて、確かに、当日、乙丑丸に乗船してやって来ましたが、その後は、高杉晋作といっしょにいたようです。

もちろん高杉は長州軍を率いているわけですから参戦と言えば参戦ですが、実際に戦うのは部下の戦闘員で、高杉自身がゲリラ戦を行うわけではないので、その横にいた事が参戦と言えるのかどうかは微妙ですよね。

ただ、この日の海戦が、最初は長州の劣勢だったのが、乙丑丸の到着で逆転したとも言われていて、そうなると、この勝利は、そこまで操縦してきた海援隊のおかげって事にもなるわけで…それだと、まったく参戦していないとも言えないような気もします。

投稿: 茶々 | 2010年9月28日 (火) 00時33分

なるほど、丁寧にありがとうございます。

>桂小五郎に「観戦させてほしい」と・・・
というのと龍馬伝紀行での「火の山からみて手紙を書いた」という表現からは第三者っぽい雰囲気ですね、まあ実際第三者なんですけど(笑)

四境戦争も、龍馬視点からだとあっという間でした。「俺とお前は焼山葛・・・」がでたので山縣なんかも見たかったんですが。
詳しい説明ありがとうございます、他の記事も読ませていただきます。

投稿: 春風 | 2010年9月28日 (火) 22時36分

春風さん、こんばんは~

実は、我が家の地デジアンテナの調子が悪くて、ちゃんと録画できていなかったため、まだ、今週の「龍馬伝」を見ていないんです(土曜日の再放送に賭けますww)

春風さんのお話の雰囲気だと、ドラマ内ではバッチリと参戦していたような描き方だったのでしょうね。

ちゃんと見てからだと、もう少し違うお返事の仕方ができたかと思いますが、申し訳ないです。

投稿: 茶々 | 2010年9月29日 (水) 01時11分

こちらこそ若干ネタばれしてすみません。
ご覧になってなかったんですね、あぶない。

高杉晋作大活躍で、演出家が自ら公式サイトで「仮面ライダー高杉」と表現するほど現実離れしているところがありましたw

ここらへんの長州のめまぐるしい動きをスピンオフしてほしいなあ。

投稿: 春風 | 2010年10月 2日 (土) 13時03分

春風さん、こんにちは~

今日の再放送を見ました(≧∇≦)

おもいっきり参戦してましたねww

まぁ、ドラマに描くなら、後方で大将と高みの見物じゃ、おもしろくないですから…

高杉…カッコ良かったです。
龍馬さんのファンは多いですが、その生き方としては、高杉のほうがカッコイイですからね~(個人的な好みですが)
燃え盛る小倉城の前で、勝利を確信しながら吐血…これは一応、事実とされている事ですが、そこだけでもドラマになります。

投稿: 茶々 | 2010年10月 2日 (土) 15時53分

高杉晋作かっこよかったです。
この週は晋作伝といってもいい回になってましたねw


来週のタイトルが「海援隊始動!」から「さらば高杉晋作」に変わったのも反響を意識してるんでしょうね。
あまり龍馬が絡みすぎずに抑え気味に描いてほしいです。

投稿: 春風 | 2010年10月 4日 (月) 22時04分

春風さん、こんばんは~

>タイトルが「海援隊始動!」から「さらば高杉晋作」に…

ええ?
そうなんですか?

やっぱ評判が良かったのでしょうか?
またまた福山さんがかすんでしまいます。
お龍さんもかすみっぱなしですが…

投稿: 茶々 | 2010年10月 5日 (火) 00時54分

「かすむ」と言えば最近は勝海舟や乙女さんが全然出てきません。中岡慎太郎が次回久々に出ますが。どうも坂本龍馬と関係の深い人を「冷遇」している気がしますね。TVでも触れましたが、坂本龍馬は「武人」なのでしょうか?

昨日の朝日新聞朝刊での興味深い記事。野田正彰さんの「龍馬ブーム」および龍馬伝への言及。文章の要点です。「姉・妻以外の女性の交友場面が多いが必要なのか?」。「番組を見ると史実と違いすぎるのでうそを言うのは良くない」。「龍馬伝には政治的(+商業的)な色彩を感じる」の所で思いましたが、これは外資系企業の日本進出に対抗しようと言う、国内企業の抵抗意識の置き換えでしょうか?大河ドラマはそこまでの深い意味はないと思うんですが…。
なお「龍馬伝」は高知県で(やはり)不評らしいです。
「昔から坂本龍馬を(良くない意味で崇拝対象に)利用する傾向があるのでほどほどにして」と言うご指摘。偉人を尊敬するのは誰でもしますが、度が過ぎてもだめですね。

投稿: えびすこ | 2010年10月 6日 (水) 10時16分

えびすこさん、こんにちは~

そうですね~
龍馬が本当に大きな事を成した人なのかどうなのか?は、現状では微妙なところだと思います。
なんせ、水面下でやってる事ですから…

しかし、すばらしい小説のおかげで、すべてが彼のやった事になってしまい、しかも小説の主人公なので、一点の曇りもない英雄として描かれた偶像が、さも本物のようになってしまっている…
それが、あまりにヒドくなると、やはり、苦言の一つも言いたくなってしまいますね。

投稿: 茶々 | 2010年10月 6日 (水) 12時49分

なるほど。坂本龍馬が明治時代中期に、同郷の役人に美化されたと言われますからね。番組での扱いが、維新への単純な「アシスト役」としてなら、違和感がなかったですね。
そこに岩崎弥太郎が絡むからおかしくなる?次に大河ドラマで坂本龍馬を演じる俳優には、見た目を含めて「スッキリした印象」にしてほしいです。
次回のサブタイトルから「海援隊」が消えたんですか?予告で海援隊と書かれた半紙を持っているのに?

先日指摘した言葉の件ですが、言語を当時そのままに合わせるのはやはり困難(方言でさえ難解)です。番組を見て引っかかったのは「単語」です。最近知りましたが去年の「天地人」でも、戦国時代に存在する可能性の低い単語(「平和」や「家族」)が、会話の中でいくつか出ていました。さすがに戦後世代の書き手になると、そこまで頭にないのもある意味で当然ですね。

投稿: えびすこ | 2010年10月 6日 (水) 15時58分

えびすこさん、こんばんは~

いえ、私も、ドラマはドラマなんですから、いろんな創作があった良いと思っているんですが…
いや、むしろ、創作がなかったら、皆、同じドラマになっちゃいますから…

でも、最近の大河は、歴史好きの許容範囲を越えた創作が目立つような気がします。
何とか、軌道修正していただきたいです。

投稿: 茶々 | 2010年10月 6日 (水) 18時43分

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