浅間山、天明の大噴火~鎌原村の秘話
天明三年(1783年)7月6日、長野県と群馬県にまたがる標高2560mの活火山・浅間山が大噴火しました。
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活火山である浅間山は、これまでに何度となく噴火しています。
古くは、『日本書紀』に天武十三年(685年)3月に噴火の記録があります。
さらに、そろそろ平氏が武士としての力をつけ、貴族社会に入り込んでいく天仁元年(1108年)7月21日にも・・・この時は、2ヶ月以上に渡って何度も噴火し、遠く離れた京の都でも、東の空が赤かったという事が記録されています。
もちろん、それ以前にも以後にも、被害の記録が残っていない物も含めれば、数限りなくあるわけですが、やはり、印象に残るには、天明の大飢饉を引き起こしたとされる、この天明三年(1783年)7月6日と8日の大噴火・・・現在、群馬県嬬恋村(つまごいむら)にある「鬼押し出し園(おにおしだしえん)」も、この天明の噴火で流れ出た溶岩を公園として整備したものです。
この天明三年(1783年)・・・最初に噴火が起こったには4月8日の事でした。
この時は、煙を噴き上げて地響きを鳴らしはしましたが、それ以上にはならず、その後、1ヶ月以上経った5月26日、再び噴煙を上げ周囲には灰が降りました。
6月18日の3回目の噴火では、火口から10km程離れた鎌原村(かんばらむら・群馬県嬬恋村)にも、灰とともに小石が降り、少し積もりました。
その後、6月28日からは毎日噴火が起こり、軽石が降っていた状態でしたが、もともと4月8日の噴火以来、徐々に程度が大きくはなるものの、人間というものは、次第に慣れていくもので・・・
最初こそ、驚きはしましたが、こう、毎日噴煙が上がっていると、「いつか爆発するんじゃないか?」と思いつつも、「まぁ、10kmも離れてるし、ここは大丈夫なんじゃないの?」といった思いもあり、心配はありつつも、日々の生活はやっていかねばならないわけで、なんだかんだで、鎌原村の人々も、ある程度、普通の生活をしていたわけです。
この頃は、避難勧告なんてものも出ませんから・・・
ところが、天明三年(1783年)7月6日・・・とうとう浅間山が大爆発したのです。
その6日の夜から7日にかけて、火口の北側から溶岩が流れ出し、8日には、再び大爆発が起こり、ここにきて鎌原村の人々も、慌てて避難するわけですが、彼らがとりあえず目指したのは、近くにある鎌原観音堂というところでした。
この観音堂は、少し小高い丘の上にあり、おそらく、溶岩が流れて来ても、「ここは大丈夫だろう」と思える場所でした。
その予想通り、丘のふもとにあった村は、溶岩におおい尽くされ、村にあった家・93軒はすべて埋まってしまいましたが、何とか、この観音堂に逃げて来れた人たちだけは助かったのです。
生き残ったのは、村の総人口・597人のうち、わずか131人でした。
その131人の中には、この日、用事で他の場所に出かけていた人も含まれているそうなので、実際に、観音堂で難を逃れた人は、もう少し少ない数なのかも知れません。
その後、様々な事情で、この鎌原村を去った人が38人・・・結局、村に残ったのは93人という事になったのですが、その多くは、夫婦や親子が揃った状態ではなく、夫が生き残っていても妻が死んでいたり、子供が生き残っていても親が死んでいたりと、様々なケースがありました。
考えた末、村では、夫を亡くした妻に、妻を亡くした夫を・・・
子供を亡くした夫婦に、親を亡くした子供を・・・といった具合に、家族を造りなおすところから再出発をする事になったという事です。
一方、この浅間山の大爆発は、ここから、東の地域に更なる被害をもたらしました。
ご存知、「近世三大飢饉」の一つと言われる冒頭に書いた天明の大飢饉です。
遠くは、仙台まで風に乗ってやってきたという灰・・・灰そのものが降りかかった事によって農作物は大きな被害を受けます。
また、成層圏まで達した灰が、太陽の光をさえぎったため、冷夏となり、東北地方を中心に大飢饉となりました。
中でも大量の餓死者を出した八戸藩では、人口・5万人のうち3万人事が亡くなった事が記録されているのだとか・・・
ところで、この浅間山の大爆発で、溶岩に埋まってしまったために、わずか15段の石段を持つだけになってしまった鎌原村の鎌原観音堂・・・「本当は、何段の石段があったのか?」という発掘調査が昭和五十四年(1979年)から3年間かけて行われたそうです。
結果、もともとの石段は全部で50段あった事がわかったそうですが、この発掘調査で、一つのドラマも発掘されました。
それは、この石段を上り始めるあたり・・・その1段目に1体、そして2段目に1体、重なるように二つの遺体が発見されたのです。
すでに白骨化していたその遺体・・・更なる調査で、ともに女性の遺体である事、そして、1段目にいた女性の年齢が若く、その上に重なっていた2段目の女性が、少し、年老いていた事も判明しました。
そうです。
この日、若い彼女は、年老いた女性をおんぶして、この石段を登ろうとしたのです。
二人は親子でしょうか?
それとも、歳の離れた姉妹でしょうか?
嫁と姑だったかも知れません。
流れ出る溶岩、迫り来る火砕流・・・
取るものもとりあえず、手に手を取って逃げてきた彼女たちは、ここで、50段の石段を目の当たりにします。
年老いた人は、ポツリと言ったでしょう
「私は、もう、走れない・・・」
振り向けば、そこに燃え盛る川・・・
「アンタ1人なら、なんとかなる・・・早く行きなさい」
しかし、若い彼女は、年老いた人を背負い、この石段を上った・・・その直後、火砕流は二人を呑み込み、その命はここで尽きました。
50段上の観音堂前には、この二人の光景を、こぶしを握りながら見つめ、自然の猛威の前に、なすすべのない無力な自分を嫌悪した人もいた事でしょう。
まるで、タイムカプセルのごとく浮かぶ光景・・・せめて、心優しい彼女が、苦しむことなく逝かれた事を願うばかりです。
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コメント
indoor-mamaさん、こんにちは。
浅間山の大噴火に被災した皆さん、どんなに恐ろしかった事でしょうね。
周辺に火山帯のない自分としては想像がつきません…
さて、この記事については、TBさせて欲しいのでおよろしくお願いします!
投稿: 御堂 | 2009年7月 6日 (月) 13時14分
御堂さん、こんにちは~
御堂さんは、すでに書いておられたのですね。
遅ればせながら、私も書かせていただきました~
やはり、二人の女性のお話は、心に響きますね。
投稿: indoor-mama | 2009年7月 6日 (月) 13時31分