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2009年8月13日 (木)

暴れん坊・徳川吉宗~怪しすぎる8代将軍・誕生劇

 

享保元年(1716年)8月13日、江戸幕府第8代将軍に、紀州藩主の徳川吉宗が就任しました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

就任直後から、「享保の改革」(6月18日参照>>)と呼ばれる様々な改革を行い、崩れ行く幕府の態勢を立て直した中興の名君として讃えられる8代将軍・徳川吉宗・・・。

確かに、ここで吉宗さんが登場しなければ、江戸時代という徳川の時代も、7代で終っていたかも知れないと思わせるほどの名将軍ではありますが、御三家とは言え、地方藩主の四男坊が、天下の徳川幕府の将軍になった経緯については、あの「暴れん坊将軍」で受ける爽やかなイメージとはうらはらな謎多き人でもあります。

以前、江戸時代に実際に起こった事件をモデルにした「天一坊事件」(4月21日参照>>)についても書かせていただきましたが、この時、「実は、あなたの子供です」と名乗り出た見知らぬ人物を、「絶対に違う!」と、真っ向から否定できないほど、実は紀州のぼんぼん時代は遊びまくっていた・・・。

つまり、将軍になるなんて思ってもみなかった、なるはずもなかった紀州時代には、よくも悪くも、いろんな女性と、ほぼ自由な恋愛をしていて、隠し子の1人や2人いてもおかしくない自由奔放でのびのびとした生活を送っていたわけです。

そんな吉宗が17歳になった元禄元年(1697年)、越前国(福井県)丹生(にゅう)という地を与えられ、本来なら、その後は丹生3万石の大名として生きていくはずでした。

ところが22歳になった宝永二年(1705年)・・・二人の兄の死をきっかけに、その人生が変わっていくわけですが、その後、紀州藩主になり、やがて享保元年(1716年)8月13日将軍に就任します。

・・・と、この将軍になるまでの12年間で、身近な人&将軍継承にかかわる人が合計8人亡くなっている事になるのですが、その方たち、いずれか1人が欠けても、吉宗が将軍になる事はなかったのです。

臭いますねぇ・・・。

もちろん、すべてが怪しい死だというわけではありませんが、中には原因不明の急死とされる不可解なものもあります。

まずは、宝永元年(1704年)、長兄・綱教(つなのり)の奥さん・鶴姫天然痘で亡くなります。

実は、この鶴姫さん、あの5代将軍・徳川綱吉の娘・・・ご存知のように、綱吉は、あの「生類憐みの令」(1月28日参照>>)を発した人物・・・一説に、この法律が生まれた原因は、綱吉の長男・徳松が亡くなって後、男の子が生まれなかったせいだとも言われていますが、それが事実かどうかはともかく、そんな噂が飛び交うほど、実際にその後継者に困っていたのも確かなのです。

そんな中、実子のいない綱吉が次期将軍にと考えた人物が二人・・・一人は綱吉の兄の子=つまり甥っ子の甲府藩主・徳川綱豊、そしてもう一人が吉宗の長兄・綱教だったのです。

しかも、当時の綱吉は、かなり綱教さんに傾いていたのだとか・・・確かに、甥っ子には、自分の血は流れていませんが、将来、娘が産む子供=孫には、自分の流れている事になります。

すでに紀州藩主を継いでいる綱教ですが、娘婿の彼が次期将軍になれば、当然、その息子が次の将軍になるわけで、まだ見ぬ孫に、その夢を託す気持ちはわかります。

しかし、上記の通り、この鶴姫さんは、子供を産む事なく亡くなってしまい、そうなれば、当然、綱教を将軍にという話も立ち消えとなるわけですが、その翌年、その長兄の綱教が病死し、すぐ後に父・光貞も亡くなります。

この二人の死に関しては、いずれも病名こそ記されていないものの、不可解な部分は少なく、現在のところ、鶴姫・綱教・光貞に関しては、怪しい部分はないとされています。

しかし、問題は、次の頼職(よりもと)の死・・・この方は、光貞の三男=つまり、吉宗のすぐ上のお兄さんなのですが、二男の次郎吉さんという方が早くに亡くなっているので、長兄亡き後、紀州藩主を継ぐべき人物で、実際、この時、藩主を一旦継いだ後、実務をこなすために江戸から紀州へと帰国の途についていたのですが、その旅の途中に謎の急死を遂げます。

急に発病して・・・となっていますが、もちろん病名も不明・・・この次兄の死によって、四男坊の吉宗に藩主の座が転がり込んでくるわけですから、ここは疑われてもしかたのないところ・・・ただし、証拠はありません。

こうして、わずか一年で、父と二人の兄を亡くした吉宗は、この同じ年、第5代・紀州藩主となり、しばらく内政の改革などをこなす事になります。

この間の宝永六年(1709年)に綱吉が亡くなり(1月10日参照>>)、次の将軍には、かの綱豊が徳川家宣(いえのぶ)と名を改めて6代将軍となりますが、その家宣は、在位わずか3年で亡くなり、その息子・鍋松が、わずか4歳にして第7代将軍・徳川家継となります。

ただ、その家継も、わずか8歳で亡くなってしまうのです。

先の綱吉が29年間も将軍の座についていたにも関わらず、その後、7年間で2回も将軍が交代するという胡散臭さ満載の展開ですが、これには、家宣・家綱ともに病弱だったという話もあり、また、吉宗が・・・というよりは、二人の将軍の母による大奥内でのドロドロした関係が取りざたされているようです。

よく大奥ドラマで描かれるように、将軍の母となると、膨大な権力を手中に収める事ができるのですが、たとえ将軍のお手がついて、その子供を産んだとしても、身分の低い側室は、身分が低いままで、その子供は正室の子として育てられるわけです。

しかし、その子供が将軍になった場合は別・・・将軍の生母として優遇されるのです。

・・・で、この時の大奥に君臨するのは、家宣の正室・天英院と、家継の生母・月光院の二人がいる事になるわけですが、後者の月光院さんは、まだ家継が幼い頃から、我が子を将軍にするために、他の側室の産んだ子を暗殺したといった噂の耐えないしたたかな女性でありました。

しかも、上記のように、家宣亡き後の家継の生母という事で、それまでトップだった天英院の権力が、将軍交代で月光院に移り、その華美な生活は頂点を極めていたわけですが、この二人の確執は、大奥内には留まらず、それぞれの派閥の老中や御用人といった幕府幹部を巻き込んでの派閥闘争にも関与する事になります。

・・・で、この時、病弱な家継を心配して、生前の頃から、すでに次期将軍を誰にするかが取りざたされていたのですが、ここで月光院派が推していたのが、尾張徳川家の吉通(よしみち)・・・と、そのまま、月光院派が権力を握っていれば、たとえ家継が亡くなっても、次期将軍は、その吉通になるはずでした。

が、しかし、ここで、一つの事件が起こります。

あの大奥最大のスキャンダルと言われる「絵島・生島事件」(3月5日参照>>)です。

月光院派のナンバー2であった絵島が、生島新五郎というイケメン役者に惚れこんで、大奥の門限に遅れた・・・あるいは、男子禁制の大奥に彼を招きいれ、逢瀬を楽しんだと言われ、大奥内、果ては幕府内の月光院派が大量処分された事件です。

これによって、大奥内&幕府内の権力は一転して天英院派へと戻る事になるのです。

・・・で、その天英院が次期将軍に推していたのが、吉宗・・・その人です。

徳川家の正史である『徳川実記』では、「これは、亡き先代将軍・家宣様のご遺志である」という天英院の強い主張により、吉宗に決まった事が記されていますが、一方の月光院派で、この後失脚する事になる新井白石の著によれば、「家宣様は、次期将軍には尾張の吉通を・・・もしダメなら、鍋松を将軍にして、吉通を後見にする」と言った事が書かれていて、勝者と敗者の言い分の食い違いが生じてします。

どちらが正しいかは、更なる証拠の発見を見るしかないわけですが、最初に書いた通り、家宣は、綱吉の後の将軍の座をめぐって、一時は紀州の綱教とライバルとなった人ですから、その人がはたして、自分の次の将軍に、ライバルだった人の弟を指名するかどうかは、はなはだ疑問だという歴史家の指摘もあります。

とにもかくにも家継亡き後、こうして将軍の座を射止めた紀州の四男坊・徳川吉宗・・・この後、享保の改革の一環として、先のスキャンダルで月光院派がいなくなった大奥に、未だ残っている天英院派を一掃する大幅リストラに踏み切るのは、さすがの大奥女帝の上をいくしたたかさを持っていたという事なのでしょうか。

「世の中に人間ほどおそろしいものはない。善人にも悪人にも心を許してはならない・・・人は、色と酒と欲を好むものゆえ、その人の好みを知って取り入っていけば、願いが叶わない事などない」
これは、吉宗が著したとされる『紀州政事草』の中の一説ですが、まさに・・・

実践あるのみですな・・・吉宗さん。

・・・で、この後、吉宗は御三卿という、自分の子孫だけが将軍職を継ぐシステムを、ちゃっかり作り上げる事になるのですが、そのお話は、11月10日【いつの世も次期将軍でモメる?】のページでどうぞ>>
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江戸時代」カテゴリの記事

コメント

こんにちは~
吉宗、怪しいですよね~。私はこの辺の経緯や例のご三卿の件もあり、名君というより単なる権力欲の塊じゃあ、と思っています。
以前書かれていた家茂さんや6代家宣さんは、優しく部下思いで名君かなあと思いますが(ウィキペディアに逸話がありますが感動しました)。
ところで、天英院さんは通説では家宣の母ではなく正室だったと思います。公家の出ですし。家宣の母だったというのは初耳なのですが(お母さんは身分の低い人で、だから家宣は幼少期は家臣の新見さんちで育ったと聞いた覚えがあります)。ただ、通常公家出身の正室は子をなさず、将軍死後も大奥で権力を保つのは他にあまり例がないので(例外は和宮くらい)、何故月光院と争えたのか正直見当もつかず、実は家宣の生母だったと考えると、非常に辻褄はあうんですよね。
これは新説なのでしょうか?興味があります。
もし宜しければ出典を教えて頂けないでしょうか?

投稿: おみ | 2009年8月21日 (金) 13時25分

アチャー、ほんとですね~

天英院さんは、家宣さん母ではなく正室です~。
訂正させていただいときました~

投稿: 茶々 | 2009年8月21日 (金) 21時06分

天英院が家宣の母じゃなくて正室だってこと江島生島事件の方でも訂正されることをお願いいたします。

投稿: | 2012年6月22日 (金) 08時17分

天英院が家宣の母じゃなくて正妻だってこと「絵島生島事件」の方でも訂正されることを望みます。

投稿: ストレンジャー | 2012年6月22日 (金) 08時44分

ストレンジャーさん、こんにちは~

ありゃりゃ、あっちでも母になってましたか…
イカンですな。。。

2度ある事は3度ある…
また、どこかのページで発見されましたら、お知らせくださいませm(_ _)m

投稿: 茶々 | 2012年6月22日 (金) 09時37分

色々upup

投稿: 歴史大好き | 2014年6月19日 (木) 09時11分

徳川吉宗もなんか色々やらかしてますねsign03
すごい

投稿: 歴史大好き | 2014年6月19日 (木) 09時13分

歴史大好きさん、こんにちは~

ホント、イロイロ怪しいですね~

投稿: 茶々 | 2014年6月19日 (木) 12時42分

私も吉宗はかなり嫌いな部類です…
大奥の整理は仕方ないとしても、御三卿とか私利私欲以上の説明は出来ませんし、基本的に目新しいことよりは、やせ我慢的な権力の延命政策の方が多い人ですし。

確かに幕府の腐敗は隠すべくもなかったわけですが、ここに幸か不幸か、7代家継をもって家康直系の家督がいちおう途絶えたわけであって、ここで一旦徳川家をうまく精算していたら、幕末の悲劇もなく、徳川支配が後々200余年に渡って日本を閉塞退歩化させたなどと言われることもなかったと率直に思います。

投稿: ほよよんほよよん | 2014年6月19日 (木) 21時02分

ほよよんほよよんさん、こんばんは~

御三卿は、完全に自分と自分の子孫のためですよね~
暴れん坊な将軍様は、テレビとはちょっと違った雰囲気で暴れん坊だったのかも知れませんね。

投稿: 茶々 | 2014年6月20日 (金) 01時45分

こんにちは!

今日の歴史ヒストリアを見て月光院を検索。
茶々さんのこのページがGoogle検索七番目てした!

投稿: ヒロシ | 2016年5月 6日 (金) 21時33分

ヒロシさん、こんばんは~

コメント、ありがとうございます。
やはり、歴史ヒストリアの時間帯に1番多くの方が閲覧して下さったみたいで…NHK様様デスo(*^▽^*)o

投稿: 茶々 | 2016年5月 7日 (土) 02時14分

私も先ほど見た歴史ヒストリアの絵島の回で検索してこちらをヒットしました。
吉宗好きな私としてもムムと思わざるをえないほど分かりやすく書かれていて、とても面白かったです♪

ただ、歴史ヒストリアでの月光院と天瑛院、その取り巻き達の書かれ方はまったく違いましたね。月光院&絵島は身分低い成り上がり者ゆえの被害者で、それが許せない天瑛院派の策略に落ちたというような内容でした。

七代家継が幼いうちに亡くなるのは知っていたので、絵島を失った月光院がその後どうなったか知りたかったんですが、まあ、他の側室の子を謀殺したかもしれないなんてねえ。本とならすごい悪女でもあったんだなと、これだから歴史は面白いなと思いました。

投稿: しまやん | 2017年3月 5日 (日) 02時14分

しまやんさん、こんにちは~

私も、以前書かせていただいた「大奥スキャンダル江島の真相」>>というページでは江島側を被害者感覚でご紹介してるんですが、
おっしゃる通り、見方は様々で、それこそが歴史のおもしろさだと思っています。

投稿: 茶々 | 2017年3月 6日 (月) 16時08分

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