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2009年9月18日 (金)

失敗してもくじけるな!どん底からの復活・仙石秀久

 

天正十四年(1586年)9月18日、仙石秀久が、羽柴秀吉島津討伐軍・先鋒の軍監として豊後・府内に着陣しました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あの耳川の合戦(11月12日参照>>)の勝利以来、その勢力を九州全土に広げんが勢いで豊後(大分県)大友を圧迫する薩摩(鹿児島県)島津・・・。

島津の攻撃に耐えかねた大友宗麟(そうりん)は、天正十四年(1586年)4月、前年に四国を平定して、今、まさに、天下統一を目前にした羽柴豊臣)秀吉援軍を依頼します(4月6日参照>>)

この時、秀吉の命を受け、先鋒の大将として駆けつけたのが讃岐(香川県)高松城主の仙石秀久(せんごくひでひさ)でした。

彼は、自称・土岐氏で、はじめは美濃(岐阜県)斉藤氏に仕え、斎藤氏が織田信長に滅ぼされると信長に、信長が本能寺で倒れると秀吉に・・・と、順に主君を変えて、その都度武功を挙げてきました。

そして、賤ヶ岳の合戦のあった天正十一年(1583年)頃、これまでの功績により、淡路洲本を与えられ、5万石の大名となります。

天正十三年(1585年)にはじまった四国征伐(7月25日参照>>)では、宇喜多秀家(うきたひでいえ)黒田孝高(如水)らとともに讃岐ルートで参戦し、その時の活躍によって讃岐高松10万石を与えられたのです。

・・・で、冒頭に書いた宗麟からの救援要請です。

かくして、秀吉から先鋒を命じられた秀久は、天正十四年(1586年)9月18日軍監として豊後・府内に着陣しました。

軍監とは読んで字の如く、軍を監督するという役どころ・・・この時、彼の率いる先鋒軍の他に、讃岐虎丸城主の十河存保(そごうまさやす)土佐岡豊(おこう)城主の長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)も軍を率いて参戦したわけですが、そんな他の軍も含めて、軍全体を監視し、チェックする役割です。

簡単に言うと、上記の二人=存保と元親の監視です。

なんせ、この二人、これまで四国を巡って争っていた敵同士なわけですから・・・

存保は讃岐&阿波(徳島県)に勢力を誇った三好義賢(みよしよしかた)の息子。

元親は土佐(高知県)出身で、そんな彼らを倒して、一旦は四国統一を果たした人物・・・存保は、元親から追われた後に、秀吉の傘下となり、四国征伐に従軍した事で旧領を取り戻していたのです。

そして、その元親を抑えて四国を平定した秀吉から、この軍団のまとめ役を任されたのが秀久というわけですが、そんな因縁の二人を、そう簡単にまとめられるはずもなく、まして、軍監というのは、総大将ではなく、作戦の指揮・命令を出せる立場ではないので、合戦の方針は、3人で相談して決めなければならない・・・

嵐の予感が満載ですが、そんな中で突入したのが、11月25日の戸次(へつぎ)川の合戦(11月25日参照>>)・・・。

大友の軍を加えても1万足らずの秀吉軍に、対する島津は2万5000・・・ただでさえ数が劣るのに、意見がまとまらずギクシャクしたままでの開戦は、予想通りの大敗を喫してしまいます。

しかも、かの存保自身と元親の嫡男・信親(のぶちか)が討死するという大きな犠牲を出したうえ、自分だけが戦場を先に離れて逃げ帰るという大失態を演じてしまいます。

この状況に激怒した秀吉は、秀久から所領を没収・・・高野山へと追放してしまいます。

いや、これだけの大失態、命があっただけでも儲けモンです。

しかし秀久・・・これにめげずに、拾った命を大切に使います。

その後、秀吉が島津を屈服させて、残る最後の大物=北条小田原城を囲んだ事を知ると、秀久は20人余りの家臣を率いて参陣するのです。

もちろん、一旦追放された以上、そのまま、すんなり受け入れられるわけがありませんから、徳川家康の陣を借りての仮参戦・・・

ところが、ここで秀久・・・一世一代の大パフォーマンス!

なるべく、秀吉の目を惹くように、最高に目だつ格好で、自らが最前線に立って奮戦しまくり・・・小田原城の要所の出入り口を占領するという大手柄を挙げます。

ちなみに、諸説あるものの、あの箱根仙石原は、彼が奮戦した事によって、その名で呼ばれるようになったという話が残るくらいの大活躍・・・

そして、わずかな人数での命がけのパフォーマンスは、その願い通り秀吉の目に止まり、その活躍に大喜びした秀吉から、信濃(長野県)小諸5万石を与えられ、再び大名に返り咲いたのです。

その後も、朝鮮出兵や伏見城の建築に尽力し、秀吉亡き後は、ちゃっかりと家康につき、江戸時代には初代・小諸藩主となって、城下町の整備に力を注く秀久の姿がありました。

どん底から、見事、這い上がった数少ない武将・仙石秀久・・・人間、追放くらいで諦めちゃぁいけません。
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戦国・桃山~秀吉の時代」カテゴリの記事

コメント

今日はマンガ「センゴク」でも有名な仙石秀久さんですね。どん底からの復活も凄いですが彼は織田→豊臣→徳川と天下統一を成した人物の配下になり上手く世を渡り歩いていますよね。上手く言えば「どん底からの復活」、悪く言えば「世渡り上手」・・・。彼だけではなく徳川時代にも生き残った多くの大名に通じていえる『世渡り上手』・・・これこそが家臣を多く抱える武将(大名)の才能だったなんて・・・ちょっと悲しいな ┐(´д`)┌

投稿: どん底からの復活というより・・・ | 2009年9月18日 (金) 13時37分

戦国時代は「バルカン武将」の方が(子孫を含め)生き残る確率が高いと思います。
「バルカン武将」で有名な藤堂高虎や「隠れバルカン」の細川藤考・忠興親子、あとは真田一族(幸隆~信之)かな?

前日のご意見ありがとうございます。
知名度の高い人は、あまり「カッコ良く」できない事もあります。TBSでおなじみの、水戸黄門や大岡越前も30代までの前半生は、あまり知られていませんね。
勝海舟は前半の幕臣時代より、後半の政府高官時代の方が活躍するんですよ。昭和49年の大河ドラマでは、前半生で終わりました。平成10年の徳川慶喜も同様なストーリー展開でした。

投稿: えびすこ | 2009年9月18日 (金) 14時03分

どん底からの復活というより・・・さん、こんばんは~

マンガ「センゴク」・・・なかなかオモシロイという噂を聞いた事があります。

題名の「センゴク」は「戦国」じゃなくて「仙石」の「センゴク」だったんですね。

確かに、ストーリーを楽しむ側としては、うまく生きられない人たちのほうに魅力を感じてしまいますね。

投稿: 茶々 | 2009年9月18日 (金) 18時52分

えびすこさん、こんばんは~

勝海舟の後半生は、先日、ヒストリアで取り上げられてましたね。

それにしても・・・
>昭和49年の大河ドラマでは、前半生で終わりました・・・

には、オドロキました。

ドラマは見てたはずなんですが、途中で渡さんから松方に代わって、その共演がきっかけで松方さんと仁科さんが結婚した事は覚えているのに、ストーリーはまったく覚えてませんでした(;ω;)

大河ドラマは死ぬまでやるものと思ってましたが、前半生で終るものもあったんですね~びっくり

投稿: 茶々 | 2009年9月18日 (金) 18時59分

こんばんはー

仙石サン、なかなか渋いトコですね!
今の時代から見ると、主君をコロコロ変えてるように感じますが・・・
斎藤家滅亡時は秀吉の配下についてますね、百姓上がりの秀吉は積極的に家臣を取り立てていたと勝手に想像しています(半兵衛サンあたりの推挙があったかも?)
信長死後は、そのまま秀吉の配下です当然の成り行きだと思います。
改易後は、昵懇であったと云われる家康を頼って小田原に参陣。
秀吉死後はその家康に与すると、流れを見ればごく当たり前のように感じられます。
確かに一人の主君に終生仕える方が格好良く感じるかも分かりませんが、当時の感覚ではごく当たり前のコトだったんじゃないでしょうか。
まあ、主君を変えて生き抜くのは才能も必要だったでしょうから、誰でも出来た訳じゃないと思います。

勝手な考えを長々と書いて失礼しましたm(_ _)m
明日も楽しみにしています(^_^)

投稿: maabou | 2009年9月18日 (金) 20時06分

maabouさん、こんばんは~

「忠臣は二君に仕えず」と言われるようになったのは江戸時代以降だったと思いますよ。

それまでは、おっしゃる通り、次から次へと主君を変えるのは当然だったと思います。

投稿: 茶々 | 2009年9月18日 (金) 22時17分

16日の勝海舟の回の「ヒストリア」は、「鳩山新内閣発足関連ニュース」で休止のはずですが?
幕末の大河ドラマは主人公の年齢に関係なく、「明治改元」でほぼ終わる事が多いですね。誰の主役かは忘れましたが、「太閤記」は秀吉が天下を取った時点で終わったと聞いています。緒方拳さんかもしれません。
晩年を取り上げなかったのは、ストーリーや時間的な制約もあると思います。昭和49年勝海舟と平成10年徳川慶喜はそうだと思います。(そうは感じませんが)彼らの後半生はあまり面白くないから?ただ「葵徳川三代」や「武蔵」も、主人公の死去で終幕、ではありませんでした。これらは元々偉人の人生を取り上げると言う趣旨(特に前者)ではないので。
35年前に見ていた(記憶している)と言う事は、歴史好きな私の母親と同世代ですか?私は27歳です。

投稿: えびすこ | 2009年9月19日 (土) 08時41分

えびすこさん、こんにちは~

>16日の勝海舟の回の「ヒストリア」は・・・

さっき録画したヤツを見ようとしてショックを受けたところでした(´Д⊂グスン

年齢は28歳で更新をストップしました。
27歳なら想像し難いかも知れませんが、昔のテレビはチャンネル権が親にあるので、ストーリーはわからずとも見た記憶だけはあるものです。

投稿: 茶々 | 2009年9月19日 (土) 10時18分

追伸
勝海舟の回の「歴史秘話ヒストリア」放送日は10月14日になりました。

5連休になりましたが、どこかへ遠出なさる予定はありますか?歴史ファンにとっては、絶好の「歴史めぐりの旅」に費やせる連休です。私は「遠出」と言っても、23区内までにします。

投稿: えびすこ | 2009年9月19日 (土) 12時26分

連休は・・・

予定は「なし」です。

出かける時は、いつも、その日の朝に決めるので・・・

天気が良いと、どこかに行きたくなります( ̄ー ̄)ニヤリ

投稿: 茶々 | 2009年9月19日 (土) 15時16分

センゴクは面白いですよ、なかなか。絵がくどいから、人を選びますし、男くさ~く泥くさ~い、地味~な話です。大筋は功名が辻より地味。でも惹かれますねぇ。お勧めです。
しっかり文献から作ってるし、マンガの仙石秀政は愛すべき馬鹿だからでしょうかね。
むちゃくちゃな性格なのでハラハラします。忠勤も秀吉が信長にするがごとく、身を捨てとにかく励む。でも失敗は多い。段々反省から学び賢くはなってるが、基本はいつまでも認めてもらうためか、秀吉が好きなせいか、いつも全力猪突猛進。馬鹿です(実際いたら暑苦しくてうざったいかもしれません(笑))。
一回見限られたくらいなんやねん、諦めんな!という精神は見習いたいし、世渡りテクも必要だと思います(あまりマンガではここは感じませんが)。ただ、やはり華はないですよね…。サラリーマンみたいで(笑)
武将萌えな人にはまずうけないキャラでしょうねぇー。

投稿: おみ | 2009年9月19日 (土) 19時10分

おみさん、こんばんは~

すごく、おもしろそうですね。

時代モノの漫画というのは、やっぱり、その時代を好きな人が描いてるから、たとえ創作であっても、歴史好きが読んで、納得できる創作なんでしょうね。

ドラマの場合は、関わる人が多すぎて、中には、別にそんなに歴史が好きではない人も混ざってたりなんかして・・・それで、ヘンな創作になってしまうのかも・・・

勝手な思い込みですが・・・

投稿: 茶々 | 2009年9月19日 (土) 21時32分

戦国時代の武将の中でこれほど爽快な不屈の武将はいない。「無」の旗をかかげた仙石秀久は凄いし評価したい。奥方の本陽院についても同様である。

投稿: 天池治彦 | 2010年8月28日 (土) 16時16分

天池治彦さん、こんばんは~

ほんとにう、痛快ですね…
いつか、ぜひ、仙石さんを主人公にしたドラマを…

投稿: 茶々 | 2010年8月28日 (土) 21時26分

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