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2009年10月21日 (水)

花のお江戸の酒飲み大会~千住の酒合戦

 

文化十二年(1815年)10月21日、飛脚問屋・中屋六右衛門の還暦祝賀パ-ティで『千住の酒合戦』が行われました。

・・・・・・・・・

酒合戦・・・つまり、今もテレビのスペシャル番組などで行われる「大食い大会」のお酒バージョンです。

もちろん、酒豪同士が個人的に、「どっちが強い」的な感じで、酒飲みの勝負をするような事は、おそらく神代の昔からあったでしょう。

黒田家配下の勇将・母里太兵衛友信(もりたへえとものぶ)が、福島正則・主催の宴会で、大杯(おおさかずき)の酒を飲み干し、勝利の証として、正則の持っていた「日本号」と称する名槍を手に入れた話は、♪黒田節♪の歌詞として現在にも伝わります(6月6日参照>>)

ただ、参加者を広く募って、彼らが競う様子を一般聴衆に見せる・・・という、いわゆるイベントとして企画されたような事が行われるのは、やはり、徳川政権も安定し始めた3代将軍・徳川家光の頃から・・・

『水鳥記』という文献には、江戸・大塚の医者・地黄坊樽次(ぢおうぼうたるつぐ)なる人物と、大蛇丸底深(だいじゃまるそこぶか)なる農民が、酒勝負を行い、樽次が一斗五升を飲み、底深はそれ以上飲んだけれど、判定勝ちで樽次の勝利となった事が記録されているそうです。

判定て・・・( ̄○ ̄;)!
どうやら、飲む量だけじゃなく、その作法も採点の対象となったようです。

それにしても、名前が、
「地黄坊樽次」
VS
「大蛇丸底深」て・・・

もう、完全に、
「地上最強の胃袋=プリンス小林
VS
「大食い大魔神=ジャイアント白田の世界ですね。

・・・で、こんな感じで、江戸を通じて、度々開催された酒飲み大会ですが、その中で最も有名なのが、文化十二年(1815年)10月21日に開かれた「千住酒合戦」という大会・・・。

冒頭に書いたように、飛脚問屋・中屋六右衛門さんの還暦を祝うための酒宴だったようですが、この大会をプロデュースした人物が千住駅頌酒堂(酒屋かしら?)の通称・鯉隠居と呼ばれる人で、その隠居なる人が俳画などをたしなむ文化人だった事もあって、ゲストには、今、江戸で評判の一流の文化人や画家が招かれ、彼らが、ちびちびと酒を飲みながら審査をしたと言いますから、まさに、現在の正月番組的な一大イベントだったわけです。

・・・で、大会参加者は、まず、受付で申し込みをし、そこで、自分の酒量を事前に申告して整理券をもらって、待合室へ・・・

しばらくして、一斉に戦いの場となる大広間へ通されますが、戦いの場と観客席は、ちゃんと青竹で作った垣根で仕切られ、お客さんの席には、赤い毛氈(もうせん)が敷かれています。

中央には、6種類の盃が用意されていて、それぞれ盃に描かれた蒔絵によってイカス名前が付けられています。

  • 江の島盃=五合
  • 鎌倉盃=七合
  • 宮島盃=一升
  • 万寿無彊(まんじゅむきゅう)=一升五合
  • 緑毛亀(みのがめ)=二升五合
  • 丹頂鶴盃=三升

これを、小さい順に飲み干していきますが、もちろん、も用意されてます。

花塩・さゞれ梅・蟹・鶉(うずら)の焼き鳥・・・と、けっこう豪華!

しかも、浅草の芸者が三味線でナマBGMを奏で、太鼓持ちが「一気!一気!一気!」とはやし立てて、場を盛り上げてくれます。

もう、飲まずにはいられません!

・・・とは言え、さすがに「大会に参加しよう」と集まってくるような人は、はなから二升・三升当たり前ですから、「負けまい」とついつい、限界を超えてしまう人が続出して、芸者に絡むわ、そこらへんで粗相をしてしまうわで、あたりは修羅場と化してしまったのだとか・・・

さらには、酒・酢・醤油・水をそれぞれ一升ずつ飲んで「腹の中で三杯酢でぃ!」てな芸を見せる電撃ネットワーク的なワンクッションのお笑いもあり・・・まさにエンターテイメントショーです。

・・・と、こんな風に書くと、マッチョで豪快な男たちばかりが、汗だくで競い合ってる光景を思い浮かべてしまいますが、なんと、この大会には、あの大食い大会に花を添えるギャル曽根的に、幾人かの女性の参加者もいたのだとか・・・

菊屋のおすみという人は2.5升緑毛亀盃に挑み、酌取り女のおいく江の島鎌倉の二つの盃を手にチビリチビリ・・・天満屋五郎左衛門の妻・お美代という人は1.5升万寿無彊盃を飲み干してなお、まったく乱れなかったのだそうな。

トゥルトゥルトゥル・・・(←ドラムロール)
ジャ~ン!
結果発表~~!

最多記録としては7.5升を飲んだ男性がいましたが、優勝したのは、千住の宿場の泊り客で6.2升を飲み干した河田なんたらという人物でした。

彼は、江の島に始まり、鎌倉宮島万寿・・・と順調に飲み干し、最後に丹頂鶴盃をすすめられたところ・・・

「明日の朝、ゆっくりできるんなら、もう一杯戴くところなのですが、ちょっと用事があって、早立ちして故郷に向かいますので・・・」
と、丁寧に断り、一礼して会場を去ったのだとか・・・
*この頃って、確か七つ立ち(午前4時)が普通だったはず大江戸旅マニュアル参照>>)・・・早立ちって大丈夫かいな?この人・・・

やはり、量だけでなく、いくら飲んでも乱れず、礼を失わずのカッコイイ飲み方が評価されたようです。

ところで、文化十二年(1815年)と言えば、すでに、近海にロシアの船が何度か現れ、7年前の文化五年(1808年)にはフェートン号事件も起こり、そろそろ、幕末へのカウントダウンを刻み始めた頃でないかい?(黒船以前の外国船出没については2月3日参照>>

そんな時に、ノンキにもこんな事してていいのか!

・・・と、言いたいところですが、個人的には、こういうのもキライではありません。

人間、どんなに深刻な時でも、たまの笑いという物は必要です。

特に、何のヒネリもないバカバカしい笑いというのは、脳をリラックスさせるためには、とても良いのだそうです。

江戸であろうが平成であろうが、緊張・緊張の連続でストレスがたまった場合は、な~にも考えずに笑える、緩和の時も、たまにはアリという事で、広い目で見てさしあげましょう。
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江戸時代」カテゴリの記事

コメント

茶々さんこんにちは。
現在でも「酒の早飲み」の祭りをしている所がありますね。杯で飲み干す所が風情がありますね。
水戸黄門でも時々作り酒屋が出てきます。昔、劇中で灰を入れて酒をうまく(透明に)したエピソード(もちろんフィクション)があります。

投稿: えびすこ | 2009年10月21日 (水) 13時23分

えびすこさん、こんにちは~

いつの時代も、庶民の楽しみは同じですね~

投稿: 茶々 | 2009年10月21日 (水) 15時23分

茶々さんこんばんは!

江戸時代って粋ですね!!
一番飲んだ人を優勝にさせなくて、まだ飲めるけど、明日早朝に出立する人を優勝させるのですから。
それに女性がそんなに飲んでも大丈夫なんですから。

江戸時代にはそれを許す余裕があったのですね。

現代とは違いますね。

江戸時代のお酒は現在のお酒と同じなんですかね。
鬼平ファンの私にはちょっと気になります。

投稿: シンリュウ | 2009年10月21日 (水) 22時29分

シンリュウさん、こんばんは~

ちょうど文化文政の時代頃に、「灘の酒が天下一」なんて記録に残ってるそうなので、今も昔も基本は同じお酒でしょうね。

でも、造り酒屋さんも日々研究されてるので、きっと、今のほうがオイシイと思います。

投稿: 茶々 | 2009年10月21日 (水) 23時18分

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