« 将軍・吉宗に反発した尾張の暴れん坊藩主・徳川宗春 | トップページ | 時代の波に呑まれた穏やかな天皇・土御門天皇 »

2009年10月 9日 (金)

後藤象二郎様々?岩崎弥太郎の成功劇

 

明治三年(1870年)10月9日、岩崎弥太郎土佐開成社(九十九商会)を開設しました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あの関ヶ原の合戦の後、勝ち組の山内一豊(やまうちかずとよ)土佐(高知県)に入り(12月5日参照>>)、負け組となった長宗我部(ちょうそかべ)の家臣団を支配する形となり、元・山内の家臣は上士、元・長宗我部の家臣は下士と、土佐では厳しい身分制度が敷かれました。

そんな土佐で生まれた岩崎弥太郎(いわさきやたろう)の身分は、郷士株を売った地下(ちげ)浪人という最底辺の武士層に位置していました。

そんな弥太郎が、あの三菱財閥の創業者になる!・・・これ、ひとえに、ご本人の才能と努力のたまものに他ならないわけですが、人生、才能と努力だけではどうにもならないというのもつきまとう物でして・・・

そうなんです・・・才能を持ち、惜しみなく努力をする弥太郎に、幸運をもたらしてくれたのは、ある人物との出会いでした。

幼い頃から神童の誉れ高い秀才だった弥太郎は、14歳のある日、藩主・山内豊熈(とよてる)の前にて漢詩を披露した事でその才能を認められ、江戸に出て遊学できるチャンスを得ます。

21歳で安積艮斎(あさかごんさい)の塾に入塾するも、酒の席で暴れた親父さんのとばっちりで、彼も獄中の人となります。

その後、同じ土佐藩士だった吉田東洋(よしだとうよう)少林塾に通い、ここで、その運命の人と出会います。

それが、あの大風呂敷広げまくりの後藤象二郎(しょうじろう)(8月4日参照>>)です。

象二郎は上士の家柄でありながらも、その大雑把なこだわらない性格で、身分の低い弥太郎にも親しく接してくれ、その才能ゆえに、何かと目をかけてくれたのです。

そのおかげで、慶応元年(1865年)に、象二郎が殖産・貿易振興のために造った開成館下役になり、その2年後には、その象二郎の後を受けて藩の商務組織・土佐商会長崎留守居役に抜擢されます。

坂本龍馬の脱藩が許されて海援隊が土佐藩の外郭組織になった時には、藩の命令のその経理も担当するようになります。

すでに土佐商会の実権を一手に掌握する人となっていた弥太郎・・・明治元年(1868年)に土佐商会が閉鎖されると、拠点を大阪に遷し開成館大阪出張所(大阪商会)に、そしてその大阪土佐商会が、明治三年(1870年)10月9日土佐開成社(九十九商会)となるのです。

やがて、廃藩置県(はいはんちけん)(7月14日参照>>)にともなって、土佐藩の持っていた債権債務や財産ひっくるめて、藩の船2隻とともに、すべてが弥太郎に譲渡されますが、これも、象二郎の意見・・・。

維新の混乱の時代とは言え・・・
借金も含まれるとは言え・・・
土佐藩の財産を弥太郎個人にあげちゃうなんて~~!
「あぁ、後藤さん、大雑把でいてくれてアリガトウ」

また、全国統一貨幣が鋳造される事が決まった時に、「新政府が藩札(江戸時代に藩が発行したお札)を買い上げる」という情報を入手した弥太郎は、10万両の元手で藩札を買占め、莫大な利益を得ていますが、この情報を弥太郎に流したのも象二郎です。
「あぁ、後藤さん、大雑把でいてくれてアリガトウ」

・・・で、結局、かの九十九(つくも)商会三菱商会となり、さらに郵便汽船三菱会社となって、そのまた向こうのほうに現在の日本郵船へと発展するわけですが、確かに、モノが一つあっても、それを何倍も大きくするのは、本人の才能と努力・・・

誰もが、何倍もの大きさにできるわけではなく、そのままゼロになってしまう人もいる・・・

しかし、さすがの弥太郎も、象二郎がいなければ、ここまでの成功を収める事はできなかったでしょう。

ただ・・・
私企業を発展させる実業家でありながら、国家を憂い、緊急時には人員や物資の輸送に尽力した弥太郎・・・あまりのその繁栄ぶりに、西郷従道(じゅうどう)「国賊!」と罵倒された時には、「政府がそんな事言うんやったら、三菱の汽船全部を燃やして、財産は全部自由党に寄付してやる!」と、堂々と渡り合いました。

その姿には、象二郎から貰ったラッキーだけではない、自分自身の努力が多分に含まれているという自信が見て取れます。

以前、【どうなった?龍馬亡きあとの海援隊】(11月16日参照>>)で書かせていただいたように、龍馬が夢見た海援隊の世界進出を実現したのは、日本郵船の土台を造った弥太郎・・・という事になるのかも知れません。

そこには、きっと、人知れぬ彼の努力があった事でしょう。
 .

内容が「よかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】を・・・
ブログ内の人気ページとしてランキングされます(゚ー゚)あなたの応援で元気100倍!

    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

 

 


|

« 将軍・吉宗に反発した尾張の暴れん坊藩主・徳川宗春 | トップページ | 時代の波に呑まれた穏やかな天皇・土御門天皇 »

幕末・維新」カテゴリの記事

コメント

いい時に城巡りしましたね。
彦根城は城垣が一部破損したとかで、大変でしたよ。私が住む千葉県も電車が長時間運休で、バスを待つ人がたくさんとか。
18号のコースを見ると、「平成伊勢湾台風」のような感じでした。後世に「今世紀最大級の台風」になるかも?
都内でも木が倒れたとか。
上記のとおり、「海援隊」は人手に移りましたが、坂本龍馬とおりょうの間に子供(今考えると、おしどり夫婦の2人に子供がいない事が不思議)がいたら、「坂本運輸会社」として日本の産業発展に貢献したかもしれませんね。でも親族が運営を引き継ぐ事は、できなかったのでしょうか?生家は(副業で)商売もやっていたから。

投稿: えびすこ | 2009年10月 9日 (金) 13時31分

でたぁ~、岩崎 弥太郎ヽ(´▽`)/
司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』では竜馬と微妙な関係の弥太郎。仲が良いのか悪いのか?職を転々とする弥太郎のイメージしかありませんでしたが茶々様のお陰でまた深く知ることができました!ありがとうございます。
私は良く思うことがあるのですが、幕末・・・どうして多くの傑物が生まれたのでしょうか?時代の変わり目・・・すなわち多くの理不尽が爆発し、皆が何かを変えようとしたのでしょう。岩崎 弥太郎さんもそんな中の一人なんですね。

投稿: DAI | 2009年10月 9日 (金) 14時46分

えびすこさん、こんばんは~

雨と台風の間の晴れ間に彦根城へ行く事ができラッキーでしたヽ(´▽`)/
特に、寸前に日づけを少しズラした事もあって、晴れ女の面目躍如です。

>坂本龍馬とおりょうの間に子供・・・
う~ん、どうでしょう・・・
モテモテの龍馬さんの事だから、そのまま長生きしてたら、別の女の人との間に子供ができてたりして・・・

投稿: 茶々 | 2009年10月 9日 (金) 19時02分

DAIさん、こんばんは~

>どうして多くの傑物が生まれたのでしょうか?

ホントですね~
人が時代を作るのか?
時代が人を呼ぶのか?

今も、100年に一度の危機なんですから、大局観?とでも言うのか、ど~んとデカイ人に出てきてもらいたいですね~

投稿: 茶々 | 2009年10月 9日 (金) 19時07分

茶々さん、今晩は!!
後藤さんは本当に太っ腹ですね。土佐藩の債権債務に船ですか。でも人を見る目は確かですね。
容堂さんは黙っていたのですかね?

弥太郎の才能は本当に凄いですね。半端ない資産を運用して大成功をおさめるのですから。
コメントに書いてある通り激動の時代には傑物がでるんですね。


龍馬の話しがでてましたが、龍馬は梅毒に罹っていたと本に書いてましたが本当なんですかね。


来年の大河は龍馬と弥太郎が主役なんですね。楽しみです!

投稿: シンリュウ | 2009年10月 9日 (金) 19時28分

シンリュウさん、こんばんは~

>龍馬の話しがでてましたが・・・

残っている写真の龍馬の髪の毛がお淋しいのは、梅毒によるものだという話らしいですね。

かなり激しい女性関係があったようですが、それだけモテた(魅力があった)という事なんでしょうね。

投稿: 茶々 | 2009年10月10日 (土) 01時20分

おはようございます。「龍馬伝」の収録が始まりましたよ。福山さんの(一部は地毛かな?)パーマ髷姿が女性週刊誌に出ていました。
ちなみに、子役の男の子も「パーマかつら」ですよ。
去年話題になりましたが、坂本竜馬の身長は165~170cmそこそこ、という「新説」があります。一説では180cmあるとも言われていましたが。
西郷隆盛は身長180cmです。でも西郷は意外にもスリムと最近言われます。現存する「唯一の写真」から推測されます。

投稿: えびすこ | 2009年10月10日 (土) 08時33分

えびすこさん、こんにちは~

33歳で亡くなる龍馬をアラフォーの福山さんが演じる事に、どうも引っかかってしまう私です。

「天地人」は役者さんが若すぎた感じで、今度は歳いきすぎな感じが・・・

そんな事を言っちゃぁいけないんでしょうけど。。。

投稿: 茶々 | 2009年10月10日 (土) 15時41分

私は、弥太郎さんの事は、詳しくなかったですが、こんな経緯は凄いと思います。ただ、めぐり合いだけなら、龍馬も勝、武市、各大名などなど、多くの人に世話になり、活躍しましたね。弥太郎さんが凄いと思うのは、竜馬と遠縁なのに、倒幕活動に参加しなかった事です。当時の武士であれば、自然と倒幕に入ったと思いますが、そこでとどまったのが凄いと思います。勇気だと思います。おそらく死ぬ事ぐらいは、怖くなかったと思いますが。いずれ幕府が倒れる事を見越して、算数を勉強して、土佐の中で修行したのは、勇気と思います。結果的に龍馬がしたかった、貿易業を明治で替わりに果たしたのかなと思います。

投稿: いで | 2009年10月19日 (月) 22時30分

いでさん、こんばんは~

政治家にならずに、企業家に徹したのは、やはり、彼なり思うところがあったのでしょう。

幕末の動乱の中で、自分の生きる道をしっかりと見ていたんでしょうね。

投稿: 茶々 | 2009年10月19日 (月) 23時44分

4日の放送で、坂本龍馬が後藤象二郎に意図不明な大法螺を吹いたのですが、あれは必要ないですね。見ていて首を傾げました。
後藤は「船中八策」を受け入れる人ですが、そこにいたるまでの「線」である経緯(つまり、いつ和解するか)がどうなるか不安です。終盤出てくる海援隊の先行きですが、これは「岩崎が乗っとる」という事になるのかな?

NHKが意図してないと思うんですが、坂本龍馬が「フリーターの神様」のように見える演出に疑問です。「龍馬伝」の主人公が、坂本龍馬か岩崎弥太郎か、春先からは武市半平太か、ますますわからなくなってきております(困)。
これからは中岡慎太郎が加わるので、龍馬・慎太郎・弥太郎の「土佐トロイカ体制」に移行するんでしょうか?

あと最近気がついたんですが、同作は子供がほとんど出てこないですね。登場人物の家族構成(子供のいない人ばかり)もあると思うんですが、主人公の子供時代も1回きり。まだ坂本姓を継ぐ甥が出ていません。
すいません。また例によって意見を書いてしまいました。

投稿: えびすこ | 2010年7月10日 (土) 09時30分

えびすこさん、こんばんは~

確かに、意図がわからない感じはちょっとあるかも知れません。

これから、よくなると良いんですが…

投稿: 茶々 | 2010年7月10日 (土) 22時32分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/47570/31711245

この記事へのトラックバック一覧です: 後藤象二郎様々?岩崎弥太郎の成功劇:

« 将軍・吉宗に反発した尾張の暴れん坊藩主・徳川宗春 | トップページ | 時代の波に呑まれた穏やかな天皇・土御門天皇 »