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2009年11月 8日 (日)

役人の不正は許さん!「尾張国郡司百姓等解文」

 

永延二年(988年)11月8日、尾張国(愛知県)の郡司・百姓たちが、国司・藤原元命の悪政を訴えて立ち上がりました。

・・・・・・・・・・・

いつの世も、役人の不正はなくならないものです。

権力のあるところには、必ず甘い汁のおこぼれに預かって私腹を肥やそうとする輩が集まるもの・・・

しかし、そんな政治家をを許す事なく、常に人々が立ち向かってきた歴史も数多くあるのです。

農民や一般市民が心を一つにして、国や地方の権力者に立ち向かう・・・と言えば、室町時代以降の百姓一揆を思い浮かべますが、どうしてどうして、平安時代のはじめ頃からすでにありました。

早いところでは、天安元年(857年)に対馬嶋守(つしましまのかみ)立野正岑(たちののまさみね)が、郡司(ぐんじ・国司の下で働く地方官)らが率いる300余名の百姓に襲撃される事件が起きています。

また、元慶七年(883年)には、筑紫国(福岡県)の国守・都御酉(みやこのみとり)が、強盗を装った下級役人率いる集団100人に館を襲われ、射殺されています。

この時代、地方の行政は事実上、国司にまかされていました。

国司というのは、国ごとに置かれた地方行政官で、上から(かみ)(すけ)(じょう)(さかん)四等官で構成され、任期は6年ないし4年・・・この頃は、すでに、中央のいいポストは藤原一族の独占状態でしたから、藤原以外、あるいは藤原でも末端のほうの一族にとっての生き残りポストだったのです。

国司の中には、自分はその土地に行かず都に住んだままの人=「遙任(ようにん)の国司」と、自らその地方に赴いて実務ととった=「受領(ずりょう)とがいます。

受領・・・って聞いた事ありますよね~
「受領は倒るるところにも土をつかめ」・・・そのあさましいほどの貪欲さを言い表した言葉ですが、なんたって、在任中には、その地方の行政を一手に任されるわけで、もともと国からの給料が出るうえに、中央からの目が行き届かないぶん、下から徴収した税と、上へ治める納品の差ををくすねるのは、己の小手先次第ですから、不正に蓄財して私腹を肥やす者が続出したわけです。

そんな中の、今回・・・永延二年(988年)11月8日

この約50年前には、あの平将門(たいらのまさかど)(2月14日参照>>)藤原純友(ふじわらすみとも)の乱(12月26日参照>>)があり、逆の約50年後には前九年の役(9月17日参照>>)後三の役(11月14日参照>>)が勃発する頃・・・まさに、中央の目がいきとどかない事このうえない年代であったわけです。

とは言え、今回、郡司や農民に訴えられた藤原元命(もとなが)さん・・・この類のお話では、代表格のように扱われる有名人ですが、この方が特別悪人で、特別ヒドイ事をしたというわけではありません。

他にもいっぱいいて、彼と同じ・・・あるいはもっとヒドイ悪事を働いた役人は大勢いたわけですが、こういう悪政を訴えて立ち上がる場合、「解(げ)という声明文というか、上訴文というか、そういうのが残ってないと、その悪事の内容がつかめないわけです。

そんな中で、今回の尾張の元命さんの場合、彼を訴えた「尾張国郡司百姓等解文(おわりのくにぐんじひゃくしょうらげぶみ)という文が、見事に残っている事で、その内情がわかる・・・って事で、重要な史料となっているわけです。

ただし、原本は残っておらず、あくまで写本ではありますが、それは国の重要文化財にも指定されている貴重なものです。

その現物は、早稲田大学図書館がWeb上で公開しているのでコチラからどうぞ>>(別窓で開きます)

「尾張国郡司百姓等解 申し請う官裁の事
 請う、裁断せられんと。
 当国の守藤原朝臣元命、
 三箇年の内に責取非法官物ならびに
 濫行横法三十一箇条○○○・・」

で始まり、以下、31ヵ条の箇条書きにて、悪行の数々が列挙されているわけです。

  • 正規の納期以前に税を徴収
  • 農民から徴収あった調(国の特産品)のうち、良質な物を着服して、粗悪な物を中央へ進上
  • 農民に貸与すべき米穀を着服
  • 池・溝の修理費用を着服
  • 自らの郎党・従者を郡司・農民の家に押し入らせてめぼしい物を奪う

などなど・・・

この、上のほうの税金のごまかしなどは、はっきり言って、大抵の国司が行っていて、なんだかんだで農民は泣き寝入りする事が多かったのですが、今回の場合は5番目の強盗まがいの行為に、農民たちはブチ切れて、「国司を訴える」という行為に及んだようです。

なんせ、事が露見した以上、国司も罰せられるかも知れませんが、訴えた側も罰せられるわけで、郡司や農民たちも、命がけなわけですから・・・。

・・・で、訴えられた元命さん・・・翌年、尾張守を解任されて、一件落着!

と、思いきや、後任の国司たちも次から次へと悪事を働き、この後、寛弘五年(1008年)にも、そして長和五年(1016年)にも、彼らは、国司を訴えるという行動に出ています。

しかも、当の元命も、国司を解任されたとは言え、その後も役人世界に居座り、その息子も、石見守や上越前守など、受領としての家系は続いていくのです。

なんだか、トップの座からは降りたものの、そのまま党のご意見番として影のリーダーとなってるどなたかに似てるような似てないような・・・

いつ世のも、市民が立ち上がらねば!ですね。
 .

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