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2009年12月 9日 (水)

「明暗」を書き終えたら・・・夏目漱石のやり残した事

 

大正五年(1916年)12月9日、明治・大正時代の文豪・夏目漱石が50歳の生涯を終えました。

・・・・・・・・・・・

もはや、説明もいらぬほど、超有名な夏目漱石さん・・・一昨年のこの日には、そのペンネーム・漱石の由来など書かせていただきましたが(2007年12月9日参照>>)、本日は、その執筆中に亡くなった事から、結果的に最後の作品となった『明暗』・・・

実は、漱石さんには、「この『明暗』を書き終えたらやりたい事があった」というお話をさせていただきます。

・‥…━━━☆

明治三十八年(1905年)、大学講師のかたわら『吾輩は猫である』で作家デビューを果たした翌年・・・そのデビュー作が大人気となっていた頃の漱石を訪ねて、ある人物がやってきました。

それは、三崎座という芝居一座の興行主の男で、
「今、人気の小説を、ぜひ舞台化したい!」
と、原作者である漱石の許可を得るためにやって来たのでした。

そこで、漱石・・・
「・・・で、どんな芝居になるのかな?」

「ハイ、役者を全員、女の役者にしまして、彼女らに男装して演じてもらいます。
もちろん、作品のこっけいな部分を充分に活かしたオモシロイ芝居に仕上げてみせます」

「ふ~~ん」
「コレ、絶対!当たりまっせ~」

結局、漱石は、この芝居興行を許可し、出来上がった芝居は、なかなかの評判となります。

未だ、教師の仕事をしていた時ですから、教え子の中には、
「先生! 先生の『猫』の芝居、見てきましたよ!」
「なかなかおもしろかったですよ」
「一度、先生もご覧になれば?」

と、言う生徒も多くいたのだとか・・・

ところが、漱石自身は、この芝居の話にはあまり良い顔をせず、もちろん、その勧めに応じることもなく、・・・結局、一度も芝居見る事がなかったので、生徒たちは、皆、「先生は、お芝居がお嫌いなんだ~」なんて事を、思っていたようです。

しかし、後日、漱石が友人に宛てた手紙には・・・
『猫』を芝居にするんなら、どんな演出にしたらえぇか、俺に聞きにきたらえぇもんを・・・三崎座のヤツは、まったく聞きに来よらん!」
「女の役者を使たりなんかして、小手先だけの演出なんぞ・・・」
『猫』は、俺が監督せなアカンのや!」

と、不満ムンムンのご様子・・・

そうです。
漱石が、一度も芝居を見に行かなかったのは、芝居が嫌いなのではなく、むしろ「大好き!」・・・

それも、自らが演出をつけたいほど大好きだったのです。

30代の頃、英語の教育者であった漱石の専門はイギリス文学・・・それも、シェイクスピアの研究に没頭していたようなのです。

ちょうど、その時期に、英語教育研究のため、イギリス留学した漱石は、その間に何度も現地の芝居を見にいきました。

ヴィクトリア朝時代の最盛期だった当時のイギリスでは、その舞台衣装は華やかで、舞台装置にも、本物の噴水を用意したり、煌びやかな電飾を配したりと、その演出も最盛期でした。

ロンドンから送られきた漱石の手紙には、
「こっちの舞台は、まるで竜宮城だ!」
なんて、感激のコメントも書かれていたそうです。

一方で、作家となってからの新聞の文化欄などへの批評として、
「歌舞伎の演出はオーバーすぎる」とか
「人間の動作として不自然」とか、
痛烈な批判を書いています。

まぁ、歌舞伎の動作の不自然さは、むしろ、それが歌舞伎の魅力であって、それは、ミュージカルを見て、「あの場面で、急に唄い出すのはオカシイ」と言ってるようなものなのですが、漱石としては、どうしても好きになれなかったようです。

とは言うものの、歌舞伎の衣装の煌びやかさ、踊りの美しさは認めていたようですので、漱石としては、
1、リアルで自然な演技
2、派手な衣装と演出
3、とにかく楽しい

・・・てのが、お好みだったようです。

そんな漱石に、千載一遇のチャンスがやってきます。

それが、最後の作品=『明暗』を執筆していた大正五年(1916年)の事・・・

新聞連載に忙しくペンを走らせる漱石に、弟子であり、当時は演出家をしている小宮豊隆(こみやとよたか)という人物が訪ねてきて、
「先生!この連載が終ったら、今度は、新聞で芝居の脚本を連載されたらどうですか?」

おそらく、この小宮という人は、漱石の弟子であった時代に、彼の「芝居好き」「演出やりたい」の気持ちを見抜いていたのかも知れませんねぇ~~しかも、漱石が、自らそれの口火を切る人ではなく、誰かから背中を押されてやるタイプだという事も・・・

しかし、元弟子の手前、師匠としては、うれしい提案に小躍りしてしまう軽さを見せるわけにはいきませんから・・・

「そんな事・・・新聞社が納得するわけないだろう
 
(小宮エライ!お前、えぇ事言う!)
「ええ!って事は新聞社がOKなら、先生はヤル気アリなんですね?」
「おいおい、小説枠に芝居脚本など前代未聞だゾ~
 
(ええぞ!小宮!新聞社に掛け合うて来い!)
「いいですか?聞いてきますよ!」
「おいおい、君は何を考えているんだね~
 (はよ、行って来いや!小宮!)

・・・と、一旦、退席した小宮が、再び戻り・・・

「先生!担当者も、それはオモシロイかも・・・って言ってくれました!OK出ましたよ!明暗の次は、芝居の脚本です!楽しみだなぁ~」
「おいおい、君は書く私の気持ちも確認しないまま、勝手に決めて来たのかい?
 (ヨッシャー!!!)
「そ、そうですよね・・・スミマセンヾ(_ _*)つい、気持ちがハヤッてしまいました。
一つの芝居脚本をコマギレに連載なんて無理ですよね~やっぱ、もう一度、新聞社に言って断ってきますね」

「いや、いいよ、向こうは君の事を、僕の代理と思ってるかも知れない。そしたら、僕は、自分で提案しておきながら、すぐに断った事になって、それはそれで失礼だろう
 
(アカン アカン・・・断ったらアカンでぇ)
「そうですかぁ・・・」
「『明暗』の次には、脚本を書く事にしよう
 
(小宮、ようやった!俺、頑張るからな!)
-以上()内は漱石の心の叫び(想像)-

しかし、漱石は、未だ『明暗』執筆中の大正五年(1916年)12月9日胃潰瘍(いかいよう)の悪化によってこの世を去ります。

小宮は、漱石の死から、ずっと後に発行された岩波文庫の『漱石全集』の解説文で、「先生の脚本を楽しみにしていたのに・・・」と語っていますが、小宮ならずとも、残念でなりませんねぇ。

リアルで自然でギャグ満載のド派手な舞台・・・いったい、どのような作品になったのやら・・・

日本の近代文学史に燦然と輝く最高の小説家=夏目漱石・・・しかし、そんな彼も、やはり志半ばで無念の死を遂げた事になります。
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コメント

小説家であり、脚本家&演出家志向もあった
夏目漱石。脚本家ですが三谷幸喜さんは「21世紀の夏目漱石」でしょうか?
ドラマに映画にミュージカル。50歳で死んだ夏目漱石がやりたかった事を、50歳前でやり遂げてます。

投稿: えびすこ | 2009年12月 9日 (水) 23時01分

えびすこさん、こんばんは~

そうですね。
私も文章を書いていて、三谷さんを思い浮かべてしまいました。

投稿: 茶々 | 2009年12月10日 (木) 01時31分

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