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2010年1月28日 (木)

古事記編さんに関わった稗田阿礼ってどんな人?

 

和銅五年(712年)1月28日、太安万侶が古事記を編さんし、元明天皇に献上しました。

・・・・・・・・・・・

すでに2007年の今日・1月28日に、『古事記(こじき)の事、そして、それを編さんして献上した太安万侶(おおのやすまろ)についても、少し書かせていただいたのですが(2007年のページを見る>>)、そこにも書かせていただいたように、この太安万侶自体が謎の人物・・・

昭和五十四年(1979年)という、長い歴史から見れば、つい最近に、お墓が発見された事によって実在の人物であった事と亡くなった日づけが確認されたくらいです。

このブログでは、そのご命日とされる日に、SF的妄想満載【古事記をSFとして読めば・・・】>>というページも書かせていただいておりますが、本日は、『古事記』の編さんに関わった、もう一人の重要人物稗田阿礼(ひえだのあれ)についてのお話を・・・

・‥…━━━☆

「時有舎人
 姓稗田 名阿礼 年是二十八
 為人聡明
 度目誦口
 払耳勒心
 即 勅語阿礼
 令誦習帝皇日継及
 先代旧辞」

これは、古事記の序文に書かれている稗田阿礼に関する部分ですが・・・

「その時、1人の舎人(とねり)がいた
 姓は稗田 名は阿礼 歳は28歳
 大変頭が良く、
 目に見た物は即座に言葉にでき、
 一度聞いた事は忘れない
 すぐさま
(天武)天皇は阿礼に命令を下した
 『帝皇日継
(ていおうひつぎ・帝記』と
 『先代旧辞
(せんだいのくじ・旧辞)』を読んで覚えよ」

・・・と、上記の内容はこんな感じ・・・稗田阿礼については、たった、これだけしかありません。

そして、この稗田阿礼が発した言葉を、太安万侶が書き留めたのが『古事記』というわけですが、宮廷に仕えていた官人であるはずの太安万侶でさえ謎なのですから、たったこれだけしか登場しない稗田阿礼にいたっては、まさに、謎だらけ・・・男か女かさえわかっていません。

最近では、記紀があまりにも藤原一族・有利に書かれている事から、「稗田阿礼=藤原不比等」説なる新説も登場しているようですが、その説は特別として、昔からの研究で導き出された結果では、「おそらく女性であろう」というのが一般的です。

では、これだけの文章で、いかにして女性と解釈するのか?

短い文章ではありますが、この文章を読んだだけで、一つ不可解な事がありますよね。

そう、『帝皇日継』『先代旧辞』稗田阿礼に読ませて覚えさせ、それを太安万侶が書き留めたという部分です。

なんで、わざわざ覚えさせて、それを口伝えで話し、書き留めるのか?

『帝皇日継』と『先代旧辞』が、そこにあるなら、はなから太安万侶がそれを写せば良いのです。

万が一、それが、わけのわからない古代文字かなんかで、稗田阿礼だけが読めて、太安万侶が読めなかったのだとしても、稗田阿礼が読んでるしりから、そのそばで書き留めたらよいものを・・・わざわざ覚えて・・・

これは、つまりは、『帝皇日継』と『先代旧辞』という書物が、すでに、そこには無かったのではないか?と考えるのが自然です。

話の内容を、より正当化したいために、あたかも、そこに、正統な歴史書である『帝皇日継』と『先代旧辞』なる書物が存在して、それを丸々書きとめたように見せかけただけで、実は、稗田阿礼なる人物が、もともと知っている口伝えの伝承を書きとめたという事ではないでしょうか?

ここで、注目すべきは、稗田阿礼という名前・・・現在の奈良県大和郡山市には稗田町という町がありますが、ここは、代々、稗田氏という一族の居住地であったので、その名前がついているわけです。

・・・で、この稗田という姓が、メチャメチャ珍しい姓だった事で、この稗田阿礼という人物も、ここの出身であろうと推測されるわけですが、では、その稗田氏とは何者か?

ここに『西宮記(さいきゅうき)という書物があります。

これは、醍醐天皇の皇子である源高明が、平安時代に記したとされる宮中の儀式の解説書のような物・・・様々な儀式のやり方や記録が書かれているのですが、その中に・・・

「猿女は縫殿寮の解に依りて内侍奏して之を補す」
・・・と猿女(さるめ)という役職?の欠員補充縫殿寮(ぬいどのりょう・宮廷の人事部)が決めていた事が書かれていますが、その裏書には、延喜二十年(920年)10月14日の出来事として、先日亡くなった稗田福貞子の替わりに、稗田海子なる人物を補充したと書かれています。

また、天暦九年(955年)1月25日にところには、猿女に3名の欠員が出たため、右大臣の命令によって、やはり縫殿寮が、「誰かいませんか?」大和(奈良県)の住人に打診している事も記されています。

つまり、この大和の稗田氏は、代々、この猿女なる役職で宮廷に仕えていた一族である事がわかります。

では、この猿女???

記紀神話にくわしい方は、もう、おわかりでしょう。

あの天照大神(アマテラスオオミカミ)天岩戸(あまのいわと)隠れのシーンで、半裸になって踊り狂って大騒ぎをし、天照大神にちょっとだけ岩戸を開けさせた女神・天宇受売命(アメノウズメノミコト)・・・

彼女は、記紀神話にチョコチョコ出てきますが、大きく活躍するのは、この天岩戸隠れのシーンと、天邇岐志国邇岐志天津日高子番能邇邇芸命(アメニギシクニニギシアマツヒダカヒコホノニニギノミコト)天孫降臨(てんそんこうりん)のシーン。

かのニニギノミコトが、おばぁちゃん=アマテラスオオミカミの「地上を治めてきんしゃい」との命令を受けて、天上の高天原(たかまがはら)から、地上へと降臨するわけですが、この時、途中の雲の中に怪しい神の姿が・・・

結局は、この神は猿田毘古神(サルタビコノカミ)という国神(くにつかみ・地の神)で、下界への道案内をしようと待っていたのですが、なにぶんニニギノミコトらは初対面・・・なので、「ちょっと、どんなんか見てきます」と言って、最初に、このサルタビコに声をかけたのが、ニニギノミコトのお供をしていたアメノウズメノミコト・・・

それが縁で、アメノウズメさんはサルタビコさんに生涯仕える・・・つまり、どうやら二人は結婚したらしいんですね。

・・・で、この時から、アメノウズメさんは、ダンナの名を継ぐ猿女君(さるめのきみ)と呼ばれ、以来、その一族の女性が猿女君と名乗って宮中に仕える=女系の世襲となったと記紀にはあります。

・・・で、先ほどの猿女が稗田一族の女子に受け継がれていく事を踏まえれば、稗田阿礼も、この猿女として宮廷に仕える女性なのではないか?という事になるわけです。

『古事記』は、『日本書紀』と違って、近い時代の出来事は、心なしかあっさりと書かれ、神話の時代の事が、活き活きと描かれている事が多いように思いますし、その神話の時代の事は、要所々々に歌などを配置して、叙事詩的な雰囲気がする・・・

そこで、更なる妄想的推測を承知で、アメノウズメが、あの天岩戸の一件から、芸能の神である事を踏まえるならば、ひょっとして、彼女たち=猿女も唄って踊る事を務めとしていたのではないかと・・・

つまり、自分たちの一族の成り立ち=ご先祖様の伝説を壮大な叙事詩にのせて唄い踊りながら代々伝えていく一族だったと・・・

これならば、話の時代が活き活きと描かれている事も、天岩戸と天孫降臨という重要なシーンでアメノウズメが活躍する事も、そして、何より、稗田阿礼が、その物語を知っていた事も、すべてうなずけます。

さらに・・・奈良時代を頂点に衰退気味となり、徐々にその名前が歴史から消えていく猿女ですが、その末裔と思われる人が・・・

それが、以前、このブログでも書かせていただいた謎の人・猿丸太夫(さるまるだゆう)(4月18日参照>>)・・・「なんや、猿がいっしょなだけやん!」と言わないでね(゚ー゚;

そのページでも書かせていただいたように、猿丸太夫は個人ではなく、吟遊詩人のように、歌を唄い各地を巡りながら神事を行っていた複数の人たちの総称かも知れないのです。

能・狂言や歌舞伎の元祖となった猿楽に猿がつくのも、あながち無関係とは言えないかも知れません。

もちろん、稗田阿礼は1人ではなく、複数いたのかも・・・

・・・と、妄想はふくらみますが、これはあくまでも推測ですので、ご注意を・・・
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コメント

ヒエダノアレ  なんか不思議な響きですね。大和言葉のように思えないし、やっぱ特殊な階級の人たちだったんでしょうかね。徐々にフェイドアウトしつつ、さりげなく違う世界の中に紛れ込み少しずつゆっくりゆっくり形を変え、今日に伝えてくれているんじゃ・・・時を超え、今も誦み聞かせてくれているのかも・・・なんて想像するもまた楽し。私古事記はどうにか読んだことあるけど日本書紀はないな。今度読んでみます。(わかりやすそうなのを探して)

投稿: Hiromin | 2010年1月28日 (木) 21時10分

Hirominさん、こんばんは~

ヒエダノアレ・・・
色々と妄想をかきたてられる人物ですよね。

私的な見解ですが、猿女と交代するように平安後期に登場する白拍子がなにやら関係している気がしてなりません。

彼女たちは、唄って踊る遊女ですが、あの静御前が、神泉苑で行われた雨乞い神事で見事、雨を降らせた話もあり、つながりがあるのでは?と思ってしまいます。

投稿: 茶々 | 2010年1月28日 (木) 23時06分

 いつも楽しく読まさせていただいております。ちょっとだけコメントをお許しください。
 「出口王仁三郎霊示集」大川隆法著に「稗田阿礼」が出ておりました。出口王仁三郎の過去世だそうです。
 男か女かは書いてありませんが、神近き高級霊の言葉を伝える巨大霊能者で宮中で上位より御下問が下り、
「都を今度は変えるべき」とか、「そろそろ国史の編纂をすべき」とかを語り「太安万侶」が筆記したらしいです。

投稿: ひろ | 2010年1月29日 (金) 12時58分

ひろさん、こんにちは」

情報をありがとうございました。

今後ともよろしくお願いします。

投稿: 茶々 | 2010年1月29日 (金) 19時28分

はぁぁなるほど、やはり遊女へとつながる職種の人だったんでしょうね。古代、性にたずさわることで宗教的役割をも担っていた、おそらく身分も高いとされてた女性はやがて歌い、舞い、芸能を披露する遊女になっていった・・と聞いたことがありますが、舞いより歌、声の美しさのほうが注目されていたそうですね。聞きほれるすばらしい声は呪術的、宗教的効用が高かったそうで・・となると稗田阿礼さんの場合も「声を発する」という行為そのものに深い意味があったんでしょうか。さぞ朗々としたいいお声で誦みきかせされたんじゃないかなぁと想像してしまいます。安麻呂さんのうっとりした、いえ、ちょっと気にのまれて恍惚としながら筆録している様子も勝手に浮かんできてしまいます。

投稿: Hiromin | 2010年1月30日 (土) 20時42分

Hirominさん、こんばんは~

>古代、性にたずさわることで宗教的役割をも担っていた・・・

私も「古代の巫女は売春婦だった」なんて話を聞いた事があります。
当時は、売春というか、男女のそういう行為は隠すような物ではなく、むしろ子孫を繁栄する神聖な儀式のように受け止めていたふしもありますから・・・
仏教が浸透していく中で、その意識が変わっていって巫女から遊女に変貌していったのではないかと・・・

>恍惚としながら筆録・・・

そんな感じがします。

投稿: 茶々 | 2010年1月30日 (土) 22時52分

遺骨があればDNA鑑定で性別がわかると思うんですが、約1300年前に死んだ人だと難しいですかね?
ただ、上杉謙信にも「女性説」があるので。

投稿: えびすこ | 2012年1月28日 (土) 17時32分

えびすこさん、こんばんは~

太安万侶の遺骨が見つかったのも奇跡ですからね~
稗田阿礼は難しいでしょうね。

投稿: 茶々 | 2012年1月28日 (土) 18時48分

今更ですが・・・猿女の君は、宮中で新嘗祭の前に、アメノウズメの命の舞をもした御神楽の儀式の最中に、アメノウズメのようにひっくりかえした桶のようなものの上で杖(?)を叩くということ神事をしていたようです。日本書紀の聖武天皇(うろ覚え)の時代に記述があり、延喜式から内容を確認できます。神楽、猿楽等はアメノウズメの舞をプロトタイプにしています。舞うことが仕事ということでは、おっしゃる通りのようです。

投稿: 通りすがり | 2013年5月12日 (日) 04時46分

通りすがりさん、こんにちは~

やはり、アメノウズメの逸話を、宮中にて、歌と踊りで伝承していたのが猿女という感じがしますね~

投稿: 茶々 | 2013年5月12日 (日) 14時25分

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