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2010年1月 2日 (土)

鳥羽伏見の戦いの大坂湾で~初の洋式海戦

 

慶応四年(明治元年・1868年)1月2日、大坂湾へと入った幕府軍艦・開陽丸が、湾内に停泊中の薩摩藩船・平運丸に砲撃しました。

・・・・・・・・・・・・・

ご存知、幕末の戊辰戦争の序盤戦・鳥羽伏見の戦い・・・

倒幕をもくろむ薩摩(鹿児島県)長州(山口県)から、その矛先をかわし、新体制の中でも、このまま徳川幕府が主導権を握る体制に持っていくべく、第15代江戸幕府将軍・徳川慶喜(よしのぶ)大政奉還します。

ふりあげたコブシの下ろし所が無くなった薩長は、王政復古の大号令というクーデターを決行し、新体制に幕府の居場所がない事を宣・・・さらに、江戸市中の治安を乱すテロ行為を行い、倒幕の戦争へと持っていこうと幕府を挑発します。

やがて、その挑発に乗ってしまった幕府が、江戸薩摩藩邸を焼き討ちするに至って、大坂城にいた慶喜は、慶応四年(明治元年・1868年)1月1日「討薩の表(とうさつのひょう)を発します。

「討薩の表」とは、「朝廷の意に反して王政復古を行った薩摩の重臣たちを引き渡さなければ罰する」という物で、事実上の宣戦布告・・・翌1月2日、この「討薩の表」を朝廷に届けるべく、1万5000の幕府軍が大坂城を進発したのです。

伏見街道鳥羽街道の二手に分かれて京をめざす幕府軍・・・一方、それを阻止すべく立ちはだかるのは、薩摩長州土佐(高知県)

翌・1月3日の正午頃・・・「朝廷の許可がないと通せない」とする薩長軍と、「通せ」とすごむ幕府軍との押し問答の末、強行突破しようとした幕府軍に、薩摩が砲撃を加えた事で、戦闘が開始されますこれが、鳥羽伏見の戦いなのですが、その経緯は下記の通り・・・くわしくは、それぞれのページへのリンクからどうぞ

慶応三年(1867年)
 ●10月14日・大政奉還>>
 ●12月 9日・王政復古の大号令>>
 ●12月25日・薩摩藩邸・焼き討ち事件>>
慶応四年(1868年)
 ● 1月 1日・「討薩の表」を発す
 ● 1月 2日・幕府軍が大坂城を出発
 ● 1月 3日・鳥羽伏見の戦い・戦闘開始>>
 ● 1月 5日・薩長軍が錦の御旗を掲げて官軍に>>
 ● 1月 6日・敗戦の報を聞いた慶喜が大坂城を脱出
 ● 1月 8日・慶喜を乗せた開陽丸が大坂を出航>>
 ● 1月 9日・大坂城・炎上>>
 ● 1月11日・アメリカ兵・射殺事件>>

・・・となり、これ以降は、慶喜はひたすら恭順の態度をとり、合戦の舞台は関東・北陸。東北へと移動します。(3月6日:勝沼戦争>>)

・・・で、実は、この鳥羽伏見の戦いの時、大坂湾上でも、日本初の洋式海戦となる幕府軍と薩摩軍の海戦が行われていたのです。

それも、鳥羽伏見の勃発より早い1月2日・・・1万5000の幕府軍が大坂城を出発したその日の出来事です。

そもそもは、その1週間ほど前の年の暮れに起こった江戸薩摩藩邸焼き討ち事件・・・上記にも書かせていただいた、その事件の時に、テロ行為を行っていた薩摩の浪士たちは、身の危険を感じ、薩摩藩船・翔鳳丸(しょうほうまる)に乗って、江戸を脱出したのです。

「逃がしてなるものか!」
と、その翔鳳丸に砲撃しながら追撃したのが、幕府艦隊の旗船・開陽丸(かいようまる)でした。

この開陽丸は、慶応三年の3月に幕府が手に入れたオランダ製の帆船で、排水量=2590t、全長=72.8m、蒸気機関で走る時は10ノット(時速15.8km)の速さを持ち、26門の大砲を備えた最新最強の軍艦です。

余談ですが、後に、北海道で蝦夷共和国を設立させ、最後まで新政府に対抗する榎本武揚(えのもとたけあき)を、「新政府に無謀な戦いを挑んだ」と考える人もおられるようですが、榎本は、江戸城無血開城の時に、この開陽丸以下8隻の幕府軍艦とともに蝦夷へ脱出しており、青函トンネルのないこの時代、新政府は、新たに最新鋭の船(ストーンウォール号)を手に入れるまで、蝦夷に渡る事すら危うかったわけで、当時としては、あながち無謀とも言えないのです(3月25日参照>>)

それくらい、幕府の持つ艦隊は、世界に誇れるレベルの物・・・開陽丸は、その旗船ですから・・・

・・・で、逃げた翔鳳丸を追って、大坂湾へとやってきた開陽丸・・・艦長は、もちろん、榎本です。

そこには、薩摩藩船の平運丸(へいうんまる)春日丸が控え、そばには、あの翔鳳丸が停泊していました。

かくして慶応四年(明治元年・1868年)1月2日開陽丸は平運丸に向け、砲撃を開始します。

翌・3日には、さらに、翔鳳丸と春日丸にも砲撃・・・これが、日本史上初の洋式による海戦となったのです。

この時、開陽丸は翔鳳丸と春日丸に対して25発の砲弾を放ち、一方の春日丸も18発を返しますが、双方ともに大打撃を受ける事はありませんでした。

やがて、最もスピードの遅い翔鳳丸に狙いを定めた開陽丸・・・砲撃を続けて追い込み、耐え切れなくなった翔鳳丸は阿波(徳島県)由岐(ゆき)にて自爆しました。

乗っていた薩摩の兵士は、なんとか浜に上陸するも、ほとんどが負傷していたと言います。

ちなみに、開陽丸よりスピードが速かった事で、なんとか振り切った春日丸には、後に連合艦隊を率いる東郷平八郎の若き日の姿があったのだとか・・・彼には、この海戦も、大きな経験となった事でしょう。

こうして、平運丸と春日丸には逃げられたとは言え、もともと江戸から追い続けていた翔鳳丸を撃破した榎本らは士気も上々・・・ところが、そんな、彼らのもとに、鳥羽伏見での幕府軍の敗戦の一報が届きます。

今後の作戦について、思うところのあった榎本は、慶喜に謁見するため、あわてて大坂湾へと戻り、すぐさま上陸して、一路、大坂城へと向かったのです。

そころが、なんと、その間に慶喜は、密かに大坂城を脱出して、逆に大坂湾へ・・・そして、停泊していた開陽丸に乗船して、江戸城に戻ってしまうのです(1月8日参照>>)

なんてドラマチックなすれ違い・・・
男女ならね゜.+:。(*´v`*)゜.+:。

スカを喰らわされた榎本は、その怒りをぶつけるかのように、大坂城に残された品々や軍資金を持てるだけ持って、別の船=富士丸に乗船して江戸へと向かうのでした。

んん~~慶喜さんったらお茶目・・・と、見てる側は思いますが、当の榎本さんは、このすれ違い劇に、さぞかし、はらわたが煮えくりかえった事でしょうね。

ドラマでは、あまり描かれない鳥羽伏見の海戦でした。
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コメント

 始めまして。yuki-utaと申します。よろしくお願いします。OSAYANさんのブログから飛んできました。どうも、ご近所さんのようです。

 そうですか、鳥羽伏見の戦い時に大坂湾で海戦があったのですか。いや、驚きました。慶喜さんが、さっさと大坂城の京橋口から出られて、バイバイしてくれたおかげで、大坂では戦にはならなかったとずっと、思っていました。(薩摩藩と会津藩が少々、小競り合いをしたようですけど。)

 新選組好きなもので、大坂の幕末の史跡の顕彰をしたいと長年、願っています。大坂にも史跡が多数あるにも関わらず、あまり顕彰されていず、全国的には無名なのですよね!今年は【龍馬伝】に【新選組異聞】と、幕末関連の連ドラがありますし、楽しい年になりそうです。

投稿: yuki-uta | 2010年1月 4日 (月) 03時47分

yuki-utaさん、はじめまして

そのページには、本文からのリンクもつけましたが、1月9日の大坂城炎上でも、慶喜に見捨てられた形となった多くの武士が徹底抗戦を訴えて自刃しましたよね。

そこでは、彼らが葬られたお墓もご紹介しましたが、そこも、大坂城公園の敷地内にあるにも関わらず、かなりマイナーな場所となってしまっています。

ちょっと、寂しいですね。

コメントありがとうございましたo(_ _)o

投稿: 茶々 | 2010年1月 4日 (月) 11時24分

この海戦のことは、燃えよ剣にもありました。
榎本さんの置いてけぼりは、新撰組!にもありましたね。置いてけぼりをくらったのはさぞや悔しかったでしょうね。後に慶喜さんと写真を撮るとなった時は、「主君とは一緒に写れない」と、徳川への忠誠心は変わりなかったようです。

投稿: Ikuya | 2011年7月10日 (日) 20時44分

Ikuyaさん、こんばんは~

鳥羽伏見は有名ですが、海戦にほうは、あまりドラマ等では描かれませんね。

お金かかるからかなww

動乱の時代なので、イロイロありますが、皆、一所懸命に生きて証…誰一人欠けても、今の日本は無かったと思います。

投稿: 茶々 | 2011年7月11日 (月) 01時38分

とてもおもしろい内容で読みいってしまいました言ってしまいました
こんな回線があった海戦があったとは知りませんでした

様式って何のことかと思ったら最後まで読み切ってわかりました
洋式のことですね

投稿: | 2018年10月23日 (火) 21時50分

ありゃりゃ、本当」ですね。
全然気づいてませんでした。
訂正しておきます。
ありがとうございましたm(_ _)m

投稿: 茶々 | 2018年10月24日 (水) 02時27分

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