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2010年1月18日 (月)

江戸都市伝説・振袖火事~明暦の大火の謎

 

明暦三年(1657年)1月18日、江戸本郷丸山町の本妙寺から出火し、またたく間に江戸の町のほとんどを焼き尽くした明暦の大火がありました。

・・・・・・・・・・・・

大名屋敷から江戸城本丸まで焼き尽くした大火・・・若くして亡くなった娘の供養のために、その振袖を燃やした火が、お寺の屋根に飛び火したのが原因という事で、この明暦の大火は、別名・振袖火事と呼ばれました。

この火事のあらましや、振袖にまつわる因縁話は、すでに2007年の1月18日に書かせていただいているので、そちらでご覧いただくとして・・・
(2007年1月18日【げにおそろしきは振袖火事】を見る>>)

実は、この振袖火事に関する都市伝説は、その若い娘の因縁話だけではないのです。

いや、むしろ、その因縁話は、真実を隠すために、わざと流された可能性すらあるのです。

以前のページでも書かせていただいたように、ほとんど焼け野原となった江戸の町は、まったく新しい都市計画のもと、火災に強い町を造るべく、この大火をきっかけに生まれ変わったわけですが、当然、そこには、武士も町民もなく、大名屋敷や寺社、遊郭などが、皆、郊外へと移転されたのですが、なぜか、火元である本妙寺は移転することなく、かなり早い段階で再建され、しかも、その後、寺格も昇進しているのです。

後に、明和九年(1772年)に起こった目黒行人坂の火事明和の大火(2月29日参照>>)の火元となった大円寺再建許可が、出るのに50年もかかった事を思えば、とても不可思議です。

さらに、午後2時頃に一旦鎮火したにも関わらず、また別の所から火の手があがり、2度目の出火では多くの大名屋敷が被害に遭っています。

・・・で、ここから考えられるのは、この火災は放火が原因で、しかも、犯人はひとりではない・・・
いや、むしろ組織的な放火???

そこで、直後から囁かれた噂が「叛逆分子・放火説」です。

明暦三年と言えば、あの由比正雪(ゆいしょうせつ)の乱(7月23日参照>>)から、わずか6年後・・・記憶に新しい事件を思い出し、幕府に不満を持つ叛逆分子による叛乱と、江戸の町民が考えるのも無理はありません。

また、火事の最中や直後には、どさくさにまぎれて盗みや略奪など、文字通りの火事場泥棒が多発した事もあって、その噂は、またたく間に江戸に広がり、人々に不安を与えたようです。

つまり、この叛逆分子による放火の噂をかき消すために、幕府は「本妙寺が火元である」と発表し、その汚名を着てくれた本妙寺を優遇したというわけです。

しかし、都市伝説は、それだけでは終わりません。

この放火説・・・犯人は、叛逆分子ではなく、幕府そのものというのもあります。

それは、この火事の後に行われた見事な区画整理・・・

確かに、江戸の町は、あの徳川家康が優秀なブレーン・天海とともに、見事な都市計画で造り上げた城下町ではありますが、予想以上に発展した町が、予想以上の人口増加を招いたため、空いてる所に次々と家が建ち、もはやパンパンの状態・・・というのが当時の江戸。

そこで、ちゃんとした区画整理のもと、新しい都市計画で新しい町を造りたいけど、いちいち、郊外への移転の手はずを整えねばならないし、まだまだ使える大名屋敷などの建物を壊さなきゃならない・・・「それなら、いっその事、焼けてしまえば話が早い」というわけです。

当時、幕府の中心にいたのは知恵伊豆とよばれた老中・松平信綱(3月16日参照>>)・・・やりそうかも知れません。

しかし、もし、幕府の計画的な放火なら、江戸城まで燃やしてしまうっていうのは、ちょっと引っかかる物があります。
(まぁ、そこまで、火をコントロールする事ができなかっただけかも知れませんが・・・)

・・・と、そこで、第三の説

実は、本妙寺の記録によれば、火事のあった年から、毎年、老中・阿部忠明から、「供養料」という名目で、米・10俵が、本妙寺に寄贈されているというのです。

しかも、この毎年の供養料は、関東大震災のあった大正時代まで続いていたというのですから、ハンパじゃありません。

幕府は、この火事の後に、供養のための回向院(えこういん)を建立していますし、幕府が倒れた維新後の大正時代までとなると、この阿部さんの寄進は、幕府の一員としてではなく、阿部さん個人の寄進という事になります。

250年以上も???
個人的に???

実は、この阿部さんのお住まいは、本妙寺の間近・・・そう、ひょっとしたら、火元は阿部邸であったかも知れないとい事なのかしら?

時の老中の失火によって、江戸の町が焼け野原に・・・しかも江戸城まで焼いちゃったとなれば、幕府の信用もガタ落ちですし、もちろん阿部さんの責任も問われるでしょう。

そこで、近所の本妙寺に、その汚名をかぶってもらって・・・という事なのかも知れません。

以上、明暦の大火にまつわる江戸版・都市伝説・・・

果たして、本当の出火原因は・・・
叛逆分子による放火なのか?
幕府の区画整理なのか?
阿部ちゃんの失火なのか?

もちろん、本当に本妙寺が火元で、本当に振袖を燃やしてた可能性もありますが・・・

どれを信じるか、
すべてを信じないかは・・・あなた次第です。
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コメント

ゴメンナサイ こんにちわ~、茶々様。
相変わらず楽しく拝見させていただいています。
>阿部ちゃんの失火なのか?
これは・・・(汗)ない事を祈ります。(ミステリーどころか、ただの笑えない冗談になるので)

ところで話は変わりますが
>あの徳川家康が優秀なブレーン・天海とともに、見事な都市計画で造り上げた城下町
しかし、商品の取引市場は大阪?江戸近郊に作らず なぜに大阪なんですかね?京都に近いから?それでも大阪で売買したものを江戸に更に運ぶ・・・。2度手間で西と東で戦いが起こった時に食料の確保が・・・なんて考えてしまうんですが?よろしければご教授してください(*_ _)ペコリ

投稿: DAI | 2010年1月18日 (月) 13時27分

茶々さん お久しぶりです!

ようやくセンターが終わりました、まあまだ2次試験がありますが・・・
日本史満点にあと一歩及ばずでした、簡単な方だったんですが(苦笑)
振袖火事の火元になった寺ってどうなったのかなって思ってたんですが、なるほど、これは面白いですね! 知恵伊豆さんの「焼いちゃえ!」説が本当だったら恐ろしい話ですね(汗)。もしそれが本当で誤って江戸城焼いたんなら頭いいのか悪いのか(笑)

投稿: ryou | 2010年1月18日 (月) 13時58分

DAIさん、こんばんは~

>商品の取引市場は大阪?江戸近郊に作らず なぜに大阪なんですかね?

う~ん、いろいろな要因があると思いますが、大きな物としては、すでに秀吉の時代に基礎ができていた事と、海運の発達でしょうか?

とにかく、これに関しては、以前からちゃんと書いてみたかったので、明日の記事として書かせていただく事にします。

ちょうど、明日、何を書こうか思案していたところなので・・・

とりあえず、少々お待ちを・・・

投稿: 茶々 | 2010年1月18日 (月) 19時28分

ryouさん、こんばんは~

受験生は、大変ですね。
風邪をひかないように、気をつけてくださいね。

まぁ、結局は、幕府の発表通り、本妙寺が出火元なのかも知れませんが、江戸城を含め、町が焼け野原となった火災の火元が、すんなり再建されるのは、やっぱり、何か引っかかりますね。

投稿: 茶々 | 2010年1月18日 (月) 19時33分

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