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2010年1月 8日 (金)

江戸時代には藩も鎖国も無かった?~歴史用語の妙

 

すでに、このブログでチョコっと書かせていただいているので、ご存知の方は、すでにご存知の事なのですが、上記の表題の通り、「江戸時代には藩は無かった」んです。

・・・と言っても、もちろん、それぞれの地方はあります。

いや、むしろ、江戸時代は、独立国家の集合体のような物で、それぞれの地方は別の国となっていて、それを中央で幕府がまとめているといった感じ・・・現在よりもはるかに境界線がはっきりした物だったでしょう。

そうです。
そのそれぞれの地方を呼ぶ時の「藩」という言い方が無かったのです。

幕末に活躍する薩摩藩長州藩会津藩などという呼び方・・・なので、もちろん、時代劇などで、よく登場する、侍のセリフの「我が藩の財政は・・・」なんて言い方もしなかったワケです。

「藩」という名称が、初めて正式文書に登場するのは、明治二年(1869年)6月17日の版籍奉還(はんせきほうかん)の発布の時(6月17日参照>>)・・・この時に、各領地を治めていた、いわゆる殿様を、藩知事(はんちじ)という役職に任命して、明治政府の下で、以前と同じように治めさせたので、この藩知事という役職名から、各領地を「藩」と呼ぶようになったわけです。

・・・で、その2年後の明治四年(1871年)7月14日に、あの廃藩置県(はいはんちけん)が発布(7月14日参照>>)されて、文字通り、「藩」が廃止されて、「県」となります。

つまり、日本の歴史上、それぞれの地方を、正式に「藩」という呼び方で呼んでいたのは、わずか2年と1ヶ月という事になります。

意外と短い期間だったんですね~

実は、こんな風に、現在、私たちが使っている歴史用語や、時代劇に出て来る呼び方は、実際には、その時代には使われていない」なんて事が多々あるんですね~

たとえば、「鎌倉幕府」なんて言い方も、明治になってからの名称ですし、新聞のルーツと言われる「瓦版」も、瓦版と呼ばれるようになったのは幕末頃で、江戸時代のほとんどが「読売(よみうり)という名前で呼ばれていました(2月21日参照>>)

また、最近になってよく言われるのは「鎖国は無かった」なんていう言い方・・・。

それも、そのはず、この「鎖国」という言葉は、ケンベルという外国人の書いた『日本誌』という本を、蘭学者でオランダ通詞の役職にあった志筑忠雄(しづきただお)という人物が、享和元年(1801年)に翻訳した際に、『鎖国論』という表題にした事からできた造語なのです(3月29日参照>>)

享和元年(1801年)と言えば、あの伊能忠敬(いのうただたか)が全国を測量してた頃で(9月4日参照>>)、すでに、近海に外国船がチラホラやってきていた頃・・・ちなみに、長崎港にイギリス軍艦が侵入してくる、有名なフェートン号事件が起こるのは文化五年(1808年)です。

ご存知のように、江戸時代を通じて、日本は長崎の出島で交易をしていました(4月2日参照>>)し、ヨーロッパの国の中で、オランダの独占となったのは、どちらかと言えば、彼らヨーロッパの事情・・・

ヨーロッパの対東南アジア貿易で、まずはイギリスが出遅れて、ポルトガルとオランダの間で日本との交易の奪い合いがあり、それにオランダが勝利して、独占権を獲得したという事なのです。

その外国の事情に対し、幕府は、幕府で、対外貿易の権利を独占したいし、銀の流出も防ぎたいので、オランダ一本の方が好都合だったからそうしたという感じで、あえて肩肘張って「外国の文化は絶対入れない!」なんてやってたわけではないのです。

なので、言い回しとしては「貿易保護政策」、あるいおは「貿易引き締め政策」といったニュアンスの物だったワケですが、この志筑という人が、当時の幕府の対外政策に反対の立場をとっていた人だったので、批判の意味を込めて、当時の対外政策の事を、少しオーバーな「鎖国」という言葉で表現したのです。

その表現が正しかったかどうかはともかく、その後、文政元年(1818年)には浦賀に英国船はやって来るわ、文政八年(1825年)には外国船打ち払い令は出るわ、やがて、やって来る欧米列強の開国要求に攘夷(じょうい)の嵐の中、弱腰の幕府に反対する人々の間で、「鎖国」という、少しオーバーな表現が定着していったというのがホントのところではないでしょうか。

こうして見ると、歴史用語は「後々、そう呼ばれるようになった」みたいな部分があって、なかなかにオモシロイです。
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コメント

藩て言い方が無かったってのは、このブログでも見ましたし、他の書籍等でも見た事がありますが…そうすると、当時の侍は自分の仕える藩の事を人に伝える場合「我が藩」と言う表現じゃなく、何て言ってたんでしょう。

投稿: マー君 | 2010年1月 8日 (金) 13時21分

藩ではなく「家中」と家臣は言ったでしょう。お家騒動と言う言葉がありますし。例えば「前田家加賀百万石」と言います。
「藩主」は家臣が殿様と呼んで、将軍は~家当主と呼んだでしょうね。「鎖国」は日本人の海外往復禁止や、外国人の入国制限が基本路線ですからね。
時代劇での専門用語の使用が、暗黙の「便宜上での前提」と言う事になりますね。同じ意味合いでは「水戸の副将軍」とか、「文明開化」もありますよね。
文明開化は明治前半が「集中期」と私は感じます。「文明開化」は開港後の1860年代初頭(つまり幕末期)から、既に始まっていたと言われます。

投稿: えびすこ | 2010年1月 8日 (金) 15時33分

マー君さん、こんばんは~

>当時の侍は・・・何て言ってたんでしょう。

えびすこさんもおっしゃてる「家中」か・・・もしくは、
個人的には、「国」ではないかと思っています。
故郷と書いて「くに」と読んだり、「お国はどちらですか?」と出身地を聞いてみたり、方言の事を「お国なまり」と言ったりしますので・・・
侍は、「我が国は・・」とか「我が薩摩では・・・」と国もしくは固有名詞で言っていたのでは?と思います。

投稿: 茶々 | 2010年1月 8日 (金) 17時45分

えびすこさん、こんばんは~

>時代劇での専門用語の使用が、暗黙の「便宜上での前提」・・・

これは、仕方ありませんね。
特に、名前なんてどうしようもありません。

徳川家康は、おそらく、人生の中で一度も徳川家康と呼ばれた事はないと思いますが、他のお侍も含めて、通称で呼び合ってたら、視聴者には、誰が誰だかわからなくなりますから・・・

投稿: 茶々 | 2010年1月 8日 (金) 17時50分

「藩」と言う言葉がないと、「脱藩」と言う言葉も存在しないですよね?そうなると「~家出奔」と言うのが、当時の言い方でしょうか?藩がないと「藩士」ではなく、「~家の家臣」となりますから。
「外様」と言う言葉も、かなり後になってから定着したと思います。江戸時代初期の公式記録に「譜代大名」、「外様大名」と区別してはいなかったでしょう。

投稿: えびすこ | 2010年1月 8日 (金) 20時34分

えびすこさん、こんばんは~

そうですね、藩がなければ「脱藩」もないですね。
やっぱ、「出奔」でしょうかね。

投稿: 茶々 | 2010年1月 9日 (土) 00時46分

藩は元々周の皇帝が配下の王を藩と呼んでいたのを
元禄時代に日本の儒教学者が勝手に徳川配下の大名に当て嵌めただけですからね。
公称は『領』です。

藩主→大名、候、公、藩知事、知藩事
藩士→家臣、家中
藩庁→政庁、政治堂
藩邸→江戸屋敷 京屋敷、上屋敷、下屋敷
脱藩→国抜け

藩が公称になったのは明治。
明治になり藩が置かれ廃藩となります。

よく、長州とか薩摩とか奥羽とかいいますが
これは国名です。州は別称、略称です。
長門国の略称、別称が長州となります。
奥羽国は奥州、薩摩国は薩州となります。

島津家の領地を例に説明すると。
国は薩摩(薩州)、大隅(隅州)
日向(向州または日州)の一部。
これを鹿児島領と呼びます。
明治に置藩で鹿児島藩となり
だいたい2年くらいで鹿児島県となります。

日本は歴史が継続されてるので
今でも当時の地名が使われたりしてます。
幕末時も前時代の呼び方を継続して
使う傾向があり、鹿児島領を薩と書いたり
薩州と書いたりしてます。
萩領だと、長、長州と呼ばれてますね。

呼び方が色々あるので
現代人が勉強するのはなかなか大変です。
人名もそうで、高杉晋作も高杉春風
高杉暢夫などあります。
最終的には谷潜三だったかな?(笑)

投稿: 三郎 | 2017年6月24日 (土) 20時40分

三郎さん、こんばんは~

そうですね。
おっしゃる通り、「藩」という呼び方が無かったわけではないですが、公に使われるのは、本文にも書いた、明治二年(1869年)の版籍奉還から明治四年(1871年)の廃藩置県の、わずか2年間だけですからね。

名前も、日本には古代から「本名を公表しない」からの「相手を本名で呼ぶのは失礼にあたる」という風習があったので、普段は通称を使い、時と場合によって使い分けたりしてますからね。

なかなかややこしいけど面白いです。

投稿: 茶々 | 2017年6月25日 (日) 01時43分

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